清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO


第22回 愛に苦しむものたちへ

2010年12月12日


写真: フェリンの息子と戯れるペロテロ。アメリカ合衆国、ペンシルバニアにて

元メジャーリーガーの恋

「ドミニカの人たちはラテン系だから人生を謳歌しているんでしょう?」とよく聞かれる。たしかに「いま」という一瞬を激しく生きる彼らは、人生をあますところなく享受しているように見える。しかるに、ラテン的に生きることの辛さやわびしさがある。心を狂わすような恋に身をやつし、終始おいたてられた挙句に、なるようにしかならないと居直ってしまえれば楽であるが、そんなふうに簡単にいかないのが人間というものである。

ひとりの元メジャーリーガーがペンシルバニアのドミニカ人街でくすぶっている。ペロテロ(野球選手)と呼ばれるその男は、元ヤンキースの投手である。といっても、スプリング・トレーニングに呼ばれたときに肩を故障し、そのまま引退してしまったから、公式戦では一度も投げていない。それでも、ヤンキースとのメジャー契約は栄光と挫折をもたらし、その陰影のなかをさまよいながら、手さぐりでたどり着いたのがこの街だった。

野球をやめてからもドミニカには帰らずアメリカにとどまったのは、ドミニカのパスポート所持者がいったん出国した場合、正規に再入国できる保証などなく、これまでに自由契約となった多くのドミニカ人選手たちがそうしてきたからだった。そのときすでに、故郷の島にはふたりの子どもがいたから、そのことも理由のひとつであったと推測する。しかしそれ以上に、彼をこの地に踏みとどまらせたのは、ひとりのプエルト・リコ人女性との出会いであった。ボストン近郊のローレンスに部屋を借りてすぐのころに恋におちた女性がいた。現在の妻である。

移民街のシェルター

私のペンシルバニアでの滞在先であるフェリンの家には、四六時中、得体のしれない男どもが出入りする。もとはフェリンがどこかのディスコで知りあって連れてきたのだろうが、いまでは食事どきになるとかならず顔を出すようになった、という人たち。フェリンの妻はしかたなくといった感じで、嫌な顔をせずに人数分の夕食をつくる。かくいう私もその恩恵を受けているのだから、彼らにすれば同種の仲間と思われていたのかもしれない。

とにかく彼らといえば、食事以外はとくになにをするわけでなく、ただ駄弁っているのである。ときおり思いついたかのように皿洗いをしてみたり、雪かきを手伝ってみたり――。それは家主への感謝の念をしめすためではなく、自分たちの居心地の悪さを解消するためである。そこには一宿一飯の恩義といったねちっこさはない。たとえて言えば、一時的にシェルターに身をよせているような感覚に近いかもしれない。ペロテロも、そんなシェルターに集う男たちのなかのひとりであった。では、いったいなにから逃れてきていたのか。

完璧な人間なんていない

私が出会ったころのペロテロは、フェリンの家から仕事に通い、折にふれては妻に会いに行く、そんな生活を送っていた。ローレンス時代については多くを語りたがらないが、ときおり漏らすことばからは、過去の自分の残像に苦しむ夫と、未来への不安に怯える妻が口論をしている、そんな光景が浮かんできた。はじめに妻が家を飛び出した。彼女を追いかけてこの街にやってきた彼は、あらたな場所で再出発を誓ったはずだった。しかし、生活はすぐに破綻する。いつのまにか、顔をあわせば互いを傷つけあう、昔の生活に戻っていた。

「妻の兄が来てからすべてがおかしくなった」
ペロテロはそうつぶやくと、冷蔵庫からコロナ・ビールを2本ぬきだして、そのうちの1本を私にくれた。プエルト・リコからやってきた兄に、妻はなんでも相談するようになった。いまでは、彼の話に聞く耳をもたないし、マリファナを吸っているときは会話にもならない。もう一度やりなおそうという彼に、あんたとはもう暮らせないと繰りかえす妻。兄のいれ知恵とわかっているから、頭に血がのぼる。「でも、愛しているんだ」目のふちが赤く染まっていた。

ある日、妻に会いに行くまえの彼に、シェルター仲間のひとりが忠告した。
「ペロテロ、この世に完璧な人間なんていない。彼女の家に行ったら、まず机をはさんで座って、冷静に話をしろ。ソファーはダメだ。かならず机をはさんで向かいあうこと。いまのお前は仕事をしている。彼女もマリファナを吸っていないときは、おとなしいだろ? ゆっくりと話せばかならずわかりあえる。彼女はおまえを愛しているし、おまえも彼女を愛しているんだから。もう一度言う。完璧な人間なんて、この世にひとりもいない。俺もそう、おまえもそう、そして彼女もだ」

テレビの野球中継を見ながら、ペロテロの帰りを待った。憔悴しきった表情でたどり着いた彼は、無言のまま寝床にしているソファーに横たわると、すぐに寝息をたてはじめた。私はリビングの電気を消して、テレビのボリュームを落とした。テレビ画面のなかではホームランを打たれた投手がマウンドの土を蹴りあげていた。その光がペロテロの顔のうえで明滅して、こけた頬をおおう無精ひげを照らし出した。明け方ちかくまで、なにかにうなされる声はやまず、私はまんじりともしないで夜をあかした。

情熱的な恋に身をやつし、移民として、元メジャーリーガーとして、異国の地で身をやつした彼がいた。野球が亡霊のようにとり憑いて離れない。