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第23回 勝利か死か

2010年12月26日


写真: 命を賭した闘い。ドミニカ共和国、サント・ドミンゴの闘鶏場にて

街角の闘鶏場

「ブランコ(白)、ブランコ!」「アスール(青)、アスール! دانيل الفيش
試合開始のベルが鳴っても、観客席の賭け金を煽る声はやまない。最前列に陣取ったオヤジさんは腕組みのまま、一点を凝視してうごかない。まのびした実況の声が、ガジェータ(駄菓子)売りのかん高い声に折り重なる。その直後、首根っこを押さえつけられ、踵で蹴りあげられた鶏の悲痛な叫び声が、会場の怒号のなかをぬって私の耳にまで届いた。

その日、首都郊外の下町にはじめて足を踏みいれた。闘鶏を見るためである。バスを2台乗り継ぎ、教えられたところで降りる。来た方向に少し歩いて、ピカ・ポージョ(中華料理店)の角まで来たら左に曲がるように、たしかにジョアンはそう言った。

私はひさしぶりに胸の鼓動が激しくなったことにとまどいをおぼえた。それが未知の場所にいる不安からなのか、これから目にする光景への期待からなのかはわからなかった。車が脇を走りぬけるたびに、一瞬の静寂がおとずれ、エンジン音が遠ざかるとふたたび騒音がうちよせる。そのときに砂埃が舞いあがり、下町の猥雑が、一日の終りの倦怠と高揚が、汗で濡れそぼったシャツにべったりとまとわりついた。あっというまであった。

入口ちかくでジョアンが待ってくれていた。2週間見なかっただけで、ずいぶん精悍な顔つきになっていた。入場券を買って彼を追いかけると、何十羽もの鶏が一羽ずつカゴに囲われている場所に出た。その脇には鶏の踵に鋭利なつけ爪をほどこす部屋があり、2人の男が作業に没頭している。獣の糞尿のにおいが鼻をついた。ふとボクシングの選手控室が頭に浮かぶ。タイトル戦をまえにしたボクサーが計量をすませ、セコンドからグローブを巻かれている、そんな緊張感があった。かかり気味の何羽かが隣のカゴにむけて狂ったように体当たりを繰り返している。極限までにたかめられた闘争本能が、一気に解放される瞬間を待っているのだ。怯えが形になって痛烈にせまってきた。ついさきほどの胸の鼓動を私は知った。

ジョアンの秘密

ジョアンはドミニカでは珍しく口数の少ない、どちらかといえば地味な少年である。彼と出会ったのは、毎日のように通っていた首都の野球教室だった。ノックを受けているときも、打撃練習のときも、ほかの少年たちの順番が終わるのをじっと待っている、16歳とは思えない大人びたところのある少年だった。彼の姿が見えない日などは、いつもより早めに家路についたものである。
彼は決まって水曜日の練習を休んだ。このことはずっと気になっていた。水曜日から翌週にかけて彼が来なくなったとき、私はコーチから電話番号を教えてもらい、近況をたずねてみることにした。

「どうしたの? 野球が嫌になったの」
「べつにそういうことではないけど……」
しばらく沈黙が続く。受話器のむこう側で幼い女の子の泣く声が聞こえてきた。言いにくい事情でもできたのか。
「今度、家に遊びに行ってもいい?」
「……」
「どうしたの?」
「サトルは闘鶏って見たことある?」
「えっ!? ないけど……」
「じゃ、今度の水曜日にこっちに来なよ。案内してあげるから」
グランドの彼からは想像もつかない快活さだった。聞けば、近所の闘鶏好きの金持ちから飼育係の仕事を頼まれたのだという。数が多いからエサやりだけでも大変なんだと、はずむ声で教えてくれた。

闘鶏と野球

ドミニカでは昔から闘鶏が盛んだった。とくに男性のあいだではいかに強い闘鶏を育てるかが、まわりからの評判につながった。エサを与え、水をぶっかけ、ほかの鶏とのスパーリングで鍛える。試合に勝てば1000ペソ(3000円)から2000ペソの賭け金を手にする。負ければ終りではあるが、強い闘鶏にめぐりあい、うまく育てあげ、そして永遠に勝ち続ければ……。

「こいつはと思った少年は家に住まわせて、なけなしの金をはたいてご飯を食べさせる。ビタミン剤の注射も週に1度はしたいところさ。で、毎日ここで野球を教えてね」
ジョアンのコーチが教えてくれた。一攫千金の世界を生きている。少年たちのうちの誰かがアカデミーと契約すると、コーチには契約金の25%が入ってくるのだ。さらに選手がメジャー契約にまでたどりつけば、ふたたび契約金の一部が転がりこむ。これは選手がクビになるまで、毎年、繰り返される。もちろん、すべてがうまく運べばの話だが。
「野球選手を育てるのは闘鶏を育てるようなものだよ」定職に就かずに寝食を惜しんで少年たちに寄り添う姿に静謐な狂気が漂う。負けることは命を失うこと。勝利か死か、である。

ジョアンと会場に移動する。殺気だった男たちの体臭にむせ返りそうになる。男たちが100ペソ(300円)を張る声は苦悶の底から絞りだされ、それを煽る声には邪鬼がひそんでいた。おそらく、その日の稼ぎを闘鶏につぎこまざるをえない生き方というものがあるのだろう。その銭を受け取る側にしても同じである。ドミニカ人の明るい笑顔の裏にこのような激しさが隠れていたことに戦慄をおぼえた。

私はジョアンが育てている鶏に張った。その鶏は、肩から羽根にかけて鮮やかな緋茶色におおわれていて、先端までのびる尻尾は黒一色に美しく染めあげられていた。この日のために交配をくりかえし、創られた人工的な美しさである。胴元の男に100ペソ紙幣を手渡したとたん、出尽くしたと思っていた汗がまた噴き出してきた。

試合開始のベル――観客席が揺れ、身体じゅうの血液が沸騰する。眼の奥が痛くなる。
黒色が一閃した。ジョアンの叫び声が消えた。頭のなかが真っ白になった。

(次回1月16日更新予定)