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第21回 ことば遊び

2010年11月28日

「昨日、シカゴ・カブスと契約してさ……」。ドミニカ共和国、バニ市
写真:「昨日、シカゴ・カブスと契約してさ……」。ドミニカ共和国、バニ市

マイアミに行く

まんまとだまされてしまった。
週末の夜、いつものように近くのコルマド(食料品や生活雑貨をあつかう小商店)で飲んでいたときのこと。一緒にいたジョニーが「マイアミに行ってくる」と言って席をたった。最初、酔っているのかと思ったが、まだビールは2、3本しか空いていない。マイアミなんて名前のコルマドはこの辺りにはなかったはずだが……。

5分もたたないうちに戻ってきたジョニーに、「マイアミって近いんやな」と皮肉を言った。すると、急に顔をくしゃくしゃにさせて笑いだすではないか。この会話を聞いていたまわりの連中も同様である。腹を抱えながらジョニーが解説をしてくれた。こちらではおしっこをすることを「ミィアオ」と言う。日常的に使う表現ではないが、確かにときどき耳にする。一方の「マイアミ/MIAMI」は、スペイン語で発音すると「ミアミ」となる。もうおわかりだと思うが、「マイアミに行く」と言えば、「おしっこに行く」という意味になるのだ。

シカゴ・カブスと契約!?

こちらがうまくだまされたと見てとるや、たたみかけてくるのが冗談好きのドミニカ人。ジョニーが「実は一昨日、シカゴ・カブス(MLB球団)と契約したんだ」と真剣な表情で言うではないか。いまから考えてみれば、29歳(当時)のジョニーが、選手契約など結べるわけがないのだが、思わず「いくらで?」と聞き返してしまった。

そのときジョニーは、ドミニカではほとんど見かけなくなった希少種を発見したのだ。日本からやってきた外来種。ドミニカ人の語ることであれば、なんにでも食いついてしまうピラニア・ジャポニカ。陸に投げだされ、口をパクパクさせて、タネあかしのときを待っている。

前回に「ベースボール・アカデミー」をとりあげた。アカデミーは、17歳から22歳までの有望な選手を探しだし、マイナー選手契約を結ぶ。そのときに支払われる契約金は、10万円から1億円までとさまざまだが、これが練習に励む少年たちの最大のモチベーションとなっている。そこで少年たちは、大リーガーという夢ではなく、まずは現実的な目標としてアカデミーをめざすのである。なんといっても毎年、600人以上の少年がこの契約にたどりつくのだから。

そろそろタネあかしをしなければならない。もちろんジョニーは、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだわけではない。「シカゴ・カブス/Chicago Cubs」はドミニカで「チカゴ・クゥブ」と発音する。チカゴの最初の二音節「チカ/Chica」は、スペイン語で女の子という意味。つまり、シカゴ・カブスとは、女の子をあらわす隠語なのだ。ジョニーは「シカゴ・カブスと契約をした」と言うことで、「女の子とうまくいった」と伝えたかったのである。

隠語を使うこと

よくできた隠語だと思う。スペイン語では「ドブレ・センティード」といって、ひとつの単語にふたつの意味をもたせることがしばしばある。ドミニカでもこれを使って、普段からダジャレや淫語をつくって楽しんでいる。しかし、こうしてことば遊びが洗練されるためには、スペインによる植民地支配の経験を必要としたことを忘れてはならない。奴隷として働かされていた人びとが、スペイン人の監視の目をかいくぐって情報交換をするには隠語が不可欠だった。相手に内容が露呈してはいけないという緊張感が、ことばを現在の洗練された隠語へと研ぎすますヤスリの役割をはたしたのだというと言いすぎだろうか。

隠語ということばの意味を辞書で調べると、「特定の社会・集団内でだけ通用する特殊な語」とある。現在のドミニカにあてはめると「移民を多く送りだしている社会、野球選手が次々に誕生する社会内でだけ通用する特殊な語」とでもなろうか。「マイアミに行く」「シカゴ・カブスと契約」はそのなかの一例だけれど、毎月のようにバリオの誰かがアメリカへと渡っていく。毎年のようにバリオの野球少年がマイナー契約をかわしてアカデミーへと巣立っていく。そういう社会にいるからこそ、このことば遊びがいきてくるのだ。

このあと私は、覚えたての隠語を使ってみたくて仕方がなく、ことあるたびに「マイアミに行ってくる」と言ってからトイレに行くようになった。驚いたことに、ドミニカのどの地域でも簡単に通じるのであった。うれしい反面、誰も私のように引っかかってはくれないことが少々つまらなくもあった。そうなるとまた、あまりにも簡単に引っかかったあの夜のことがよみがえり悔しくなる。そう、あの夜は……次のエサがいつ投げ込まれるかわからないから、警戒のあまり、とうとう最後まで酔えなかったのである。