清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO


第32回 食卓の弁護士

2012年1月15日


写真: 移民の食卓も守るアボカド。アメリカ、ペンシルバニア州にて

昼食至上主義

レイナの闘病生活がはじまって2年がたった。いちばんの変化は、昼食の献立から肉が消えたこと。治療費と薬代をひねりだすために食費が削られることになったのだ。レイナは幼稚園の給食婦をしていたくらいだから、料理の腕には自信がある。自分の料理をおいしそうに食べる家族の姿を見るのがなによりの楽しみだった。それが昔なら鶏肉が盛られていた皿に、いまではスパゲティか生野菜が添えられているだけ。「こんなへんな料理で悪いね」と言いながらレイナが料理をとりわけてくれるのだが、本人が一番つらいことを知っているので返答に困ってしまう。

昼食の時間が近づくと、通りには胃袋を刺激するにおいが充満し、にわかに人の往来が激しくなる。職場から昼食を食べに帰る人たちや、母親からおつかいを頼まれた子どもたちだ。ドミニカの地方都市で定食屋をあまり見かけないのもうなずける。あるいは、旧宗主国であるスペインの影響がこんなところに残っているのだろうか。家族がそろって食事をとり、シエスタ(昼寝)を挟んで、ふたたび仕事に出向く。昼食が一日の中心という考えかたである。鶏かな? 魚かな? 頭のなかは今日の献立で一杯なのだろう、すれ違う人の表情もどこか明るい。

朝食はパンやジャニケケ(小麦粉を水で溶いて揚げたもの)、夕食はバナナやユカを茹でたものと決まっているから、肉と米が中心の昼食が待ち遠しい。これほど楽しみにされると、母親たちも気合いが入るというものだ。別の場所に暮らす子どもがふらりとやってくるのにそなえて、人数分よりは多めにつくっておく。そうすれば、急な来客(昼の時間を狙って来る人も多い)にも対応できるし、家事を手伝ってくれるメイや隣人にも顔がたつ。母親がつくる昼食によって親子・親類・隣人同士がつながる、この生活スタイルを私は勝手に昼食至上主義と呼んでいる。

ポージョ・ベルデ!!

昼食至上主義の主役は鶏肉である。調理法はバラエティに富んでいる。揚げる、煮こむ、蒸し焼き、炊きこみ・・・・・・いずれも骨ごと調理するので、ご飯によくあう濃厚な味つけになっている。頭以外は、全部食べ尽くす。ドミニカに来てはじめて首や足先の丸揚げを食べたが、はじめに淡白な肉の味がして、次に骨からしみでた甘みが口のなかにひろがり病みつきになった。

味もさることながら、鶏肉は、そのほかの家畜(山羊、牛、豚)にくらべて値段が安く、パティオ(裏庭)で簡単に飼育できることもあって、ながらく庶民の味方だった。それだけではない。クリスマスやセマナ・サンタ(聖週間:イースター)には、大量の鶏が絞められ人びとの口に入る。宗教行事に欠かせない食材としての顔もある。ところが、毎年のように物価があがり続けると、聖域であった鶏肉でさえ例外ではなくなった。鶏一羽の値段は、280ペソ(2011年2月現在:約600円)。3年前から50ペソの値上げである。

ある日、レイナが昼食の献立を決めかねていると、通りから「ポージョ・ベルデ!! 3つで2ペソだよ」とのかけ声が聞こえてきた。アグアカテ(アボカド)を売る声だ。メキシコ料理ですっかりお馴染みのアボカドは、中米が原産の果物である。ビタミンが豊富なうえに値段が安く、ドミニカでも昼食時にサラダ感覚で食されている。

そういえば、と、まだ病気をするまえのレイナが好んで使っていたジョークを思いだす。「3人の食べ盛りの子どもを育てていたころは、生活費が底をつくと、昼食は白米と豆の煮こみだけなんて日はざらにあったわ。肉なんて滅多に口にできなかった。でも、こうしていまでも生きていられるのは、弁護士が助けてくれたおかげよ」というもの。弁護士はスペイン語でアボガド。英語のアボカドとほぼ同じ発音であることからくる単純な語呂あわせなのだが、ドルに頼らなくてもよかった時代への郷愁をともない、笑いを誘う。

ようやく献立が決まった。白米にフアンドゥーレ(豆を煮こんだスープ)、それにアボカド。結局、この日も鶏肉を買うことはできなかった。苦肉の策ともいえる献立だが、ポージョ・ベルデは日本語で「緑の鶏」。思わずうなってしまった。苦しい自分たちの生活までもジョークに変えてしまう。毎日、家計をやりくりするのは苦しいに決まっている。手に入らないことを嘆くのではなく、受け入れる。だけどそこには、ユーモアがあったほうがいい。「緑の鶏」を食べながら、いつのまにか肩の力が抜けていく自分がいた。