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プロローグ

2010年1月16日

2003年7月、わたしは初めてナイジェリアの地をふんだ。当時大学でアフリカ美術史を勉強していたわたしは、ナイジェリア南西部の小規模都市イフェに10週間滞在し、卒論のためのフィールドワークをおこなった。

同年9月、空港からその地を発つとき、もう2度とここへは来ないと誓った。

「みんな強引すぎる。ずるすぎる。マナーが悪すぎる」

わたしの心に響く声。みんながわたしの物を勝手に使ったり、食べたり、持って行ったりした。トイレを8時間がまんしたこともある。当時22歳だったわたしは、自分の生まれ育った環境と180度ことなるナイジェリアを嫌いになった。

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「9ja」ことナイジェリア

2010年1月16日

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ナイジェリア連邦共和国(以下、ナイジェリア)は、アフリカ大陸の西側、サハラ砂漠の南側に位置し、アフリカ大陸随一の人口をほこる大国である。総人口は約1億4~5000万人。ナイジェリア最大の商業都市であるラゴスの人口は推定1700万人だ(参考まで東京都は約1300万人で、ラゴスの人口密度は東京都の約2.8倍)。

国土面積は日本の約2.5倍。熱帯に属するが、南部、中部、北部では雨量や温度にかなりの差がある。砂漠に近い北部に対し、南部では熱帯雨林が見られ、また中部の高原地帯は肌寒い。ハウサ、イボ、ヨルバと呼ばれる人びとがナイジェリア3大民族といわれているが、そのほか250以上もの民族があるとされており、言語も、公用語である英語のほか300以上の言語が使用されているという。英語はナイジェリア独特のピジン・イングリッシュが主流である。

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新連載「d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから」

2010年1月16日

d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリア

今日からウェブの新連載がはじまります。タイトルは「d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから」。アフリカ西部ナイジェリアをテーマにしたフォト・エッセーです。

著者の緒方しらべさんは、総合研究大学院大学の博士課程に在籍する若手研究者で、2003年以来ナイジェリアへ何度も足を運び、フィールドワークを続けています。特にナイジェリアの現代美術に関心をもち、現地のアーティストたちと信頼関係を築きながら研究を進めています。

"d beauty of 9ja" というのは "the beauty of Naija" つまり「ナイジェリアの美(美しさ)」を意味することばです(ナイジェリアはイギリスの旧植民地で、英語が公用語)。

この連載では、アフリカ/ナイジェリアの現代美術研究者の実体験がつづられます。ナイジェリアの人々、芸術、生活、社会――そこにある美しさ。

緒方さんは初めてナイジェリアを訪れたとき「ナイジェリアを嫌いになった」そうです。それでもふたたび旅立つことを選び、少しずつ、ナイジェリアに魅せられてゆきます。そこで緒方さんを魅了したたくさんのものは、この連載を通じて、あなたを「魅するもの」になることでしょう。

毎週土曜日に更新。緒方さんが撮影した写真と、そこに秘められたエピソードや想いが語られます。おたのしみに。


第5回 調査地での日々

2009年11月10日

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写真: ドミニカ共和国バニ市リゴーラにて。深夜までにぎわうコルマド(食料品や生活雑貨をあつかう小商店)

日常生活

朝はいつも7時半頃にジョナタンを起こす母親の声で目を覚ます。朝食は母親が沸かしておいてくれるコーヒーに、サラミか卵を揚げたパンにはさんで食べる。こちらでは昼食に力をいれるのが習慣で、朝食はみんな軽くすませる。朝食後は、近所の野球場にプログラマ(15歳以上のプロ契約を目指す少年対象の野球教室)の練習を見に行ったり、ジョニーが行くところについて行ったりする。

昼食後は、近所の人たちの井戸端会議にまじって話をする日もあるし、家を訪ねて調査めいたことをしたりする。夕方は、ジョニーが持っているリーガ(小さな子ども対象の野球教室)の練習を手伝う。気まぐれな人たちと生活していると、毎日がルーティンワークのように進んでいくことがなく、おもしろい。

軽い夕食をすませると、水のシャワーを浴び、小奇麗な格好に着替えてブラブラ。大リーグがやっている時期には、電気がきている市街地まで出て、コルマドでテレビ観戦をする。ビールを飲みながら、好きな野球を観ていると口もなめらかになるらしく、ジョニーがライフヒストーリーを問わず語りに話しだす。こっちは、必死にメモをとるから酔いつぶれるわけにはいかず、大変である。これもフィールドワークだと私は思っている。

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第4回 フリトゥーラ

2009年11月6日

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写真: ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスにて。居眠りするフリトゥーラ店主

屋台経営者の苦悩

家の向かいにある屋台を営むオヤジから金を貸してくれといわれたときの話だ。彼の店では、鶏肉や豚肉の揚げもの、臓物の煮込みを豆ご飯やバナナ揚げ、スパゲティと一緒に提供している。ドミニカでは主食のひとつであるプラタノ(食用バナナ)を揚げたものをフリートと呼び、このフリートを売る屋台形式の店をフリトゥーラと呼んでいる。

屋台といっても家の軒先にプラスティックの椅子を数脚持ち出して、ガラスケースに料理を並べただけの店構えである。夕方に開店するこの店は、夕食を軽くすませる近所の人びとや夕食にありつけなかった男たちに重宝がられており、いつも多くの客がやってくる。しかし、このオヤジの経営は、はたから眺めていても危なっかしい。一晩で1200ペソ(約2500円)くらいがこの屋台の平均の売り上げであるが、ここから彼の苦悩がはじまる。まず、サンと呼ばれる頼母子講の払いに120ペソ。米や鶏肉などの材料費に700ペソ。プロパンガスの充填代が130ペソ。ここまでで、手許には200ペソしか残らない計算になる。

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第3回 約束――その不確かなもの

2009年9月4日

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写真:ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスの青年。神妙な顔つきは何を思う

「今日」と「明日」

約束は破られるためにあるといったのは誰であっただろうか。ドミニカに暮らしているとこの言葉の意味を考えない日はない。調査滞在中の身ゆえ、週に何度かはインタビューに出向くことになる。事前にアポイントはとっていくのだが、不在で会えないことが多い。あとで電話をすると、急用ができたとか家族が急病になったとかさまざまな答えが返ってくる。そのときには次に会う約束だけをしておとなしくひきさがることにしている。しかし、こんなことが二度、三度と続くとこちらの気持ちもなえてくる。もう調査なんかどうでもいいかと投げやりになる。そんな日には、近所の公園で日陰のベンチに座り、何をするのでもなくぼーっと過ごすことに決めている。絞りたてのオレンジジュースを飲んで気持ちが静まるのをゆっくりと待つのだ。

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第2回 拡大家族

2009年7月28日


写真:ドミニカ共和国バニ市近郊の海岸にて。拡大家族の休日

2008年9月29日――旅立ちの日

首都サントドミンゴからバスで1時間半ほど西へ向かうとバニ市に到着する。そこからモトコンチョ(バイクタクシー)で10分ほどのところに私の調査地、ロス・バランコネスがある。大きなボストンバッグを片手で支える運転手。ホンダ製のスーパーカブはヨタヨタと走っていく。ふり落とされぬように運転手の背中にしがみつきながら懐かしい風景をながめていた。エンパナーダ(小麦粉を練った皮に肉などを詰めて揚げたもの)を揚げるかおりにドブに溜まった汚水の悪臭がまじる。ゆきかう車が猛烈なクラクションをかき鳴らし、頭上からは熱帯の太陽が照りつける。日本でなまけていた私の身体中の感覚が一気に覚醒した。

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窪田暁 「野球+越境する漂流者たち -ドミニカ共和国滞在記-」

2009年6月12日

野球+越境する漂流者たち月日をおうごとに日差しが強くなり、夏到来の気配を感じる今日このごろ。弊社編集室がある海辺の町も、週末になると賑わいをみせるようになりました。波音を聞きながら、ビール片手に、ページをくくる……そんなことが楽しい季節。梅雨なんていらないのに、と誰もが思うのですが、これが毎年懲りずにやってくる。雨音と波音と読書、なんてのも風流かもしれません。

さて、本日より新たな連載ブログを開始します。若手の文化人類学者がドミニカ共和国と野球について、また、現地での暮らしぶり、自身の葛藤などを徒然と綴ります。「フィールドワーク」「野球移民」など聞き慣れない言葉が多いと思います。また、「文化人類学」って何? 「ドミニカ共和国」ってどんな場所? と思う人もいるかもしれません。月1、2回の更新になるかと思います。また、著者が現地訪問のあいだ、更新が滞るかもしれません。計40回のドミニカ彷徨、どうぞご覧あれ。


第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ

2009年6月12日


写真:ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴにて、カリブ海を望む

ドミニカ共和国

ニューヨークからサント・ドミンゴに向かう飛行機がゆっくりと高度を下げていく。機内は、故郷に帰る移民たちの熱気に包まれており、そのなかに身をゆだねているだけで、お尻のあたりがムズムズしてくるのがわかる。こちらが聞いてもいないのに、故郷で待つ家族のことやアメリカでの生活についてまくしたてていたおじさんが神妙な顔つきで窓の外をながめている。その足元には免税店で買い求めたのであろうジョニーウォーカーが2本。我慢ができなかったとみえて1本はすでに封が切られていた。

ドミニカ共和国(以下、ドミニカ)はカリブ海に浮かぶ島嶼群のひとつ、大アンチル諸島に属するイスパニョーラ島にあり、隣国ハイチとその領土をわけあっている。面積は九州より少し大きく(約48,000km2)、人口約900万の国である。おもな産業はサトウキビ栽培を中心とした農業であったが、近年は砂糖の国際価格の低迷により国家収入を観光と海外送金による外貨獲得に依存するようになっている。

1492年にコロンブスが到着して以降、ドミニカは険しい道のりを歩んできた。先住民のタイノ族はスペイン人がもたらした疫病と強制労働が原因で、わずか80年間で絶滅にいたった。タイノ族の役割は、西アフリカから連れてこられた奴隷に引き継がれた。スペイン、ハイチ、アメリカとめまぐるしく替わる宗主国に翻弄されながら、独立をはたしたとはいえ現在もなおアメリカによる政治経済的支配下におかれている。

11月を過ぎ乾季がはじまると、カリブ海沿いのリゾート地は休暇で訪れる欧米からの観光客でにぎわいはじめる。美しい砂浜に建つリゾートホテルには、宿泊する欧米人と低賃金で働くドミニカ人従業員。24時間供給される電気は近隣住民がロウソクの灯りで夕食をつくることでまかなわれている。南北格差の現実を前に言葉を失ってしまうが、当事者ではない私は目に見えぬ相手への闘争心と諦念という感情をもてあますことしかできない。

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