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震災によせて

2011年4月8日

今回の震災で被災された方に、心からお見舞い申し上げます。

未曾有の大災害から、もうすぐ1か月が経過しようとしている。いまだに被害の全容すらつかめずにいることへのもどかしさとともに、大災害に対する無力さを痛感している人も多いかもしれない。
震災をとおして目の当たりにしたのは、何十万人規模にもおよぶ「難民(困っている人)」である。

正直、2010年1月12日に起きたハイチの地震では、「他人事」だった震災も、今回はどこか「当事者」の意識をもって経緯を見守っている自分に気がつく。それは、流れてくる映像や被災状況があまりにもショッキングだったからだろうか。それとも、「国民」としての意識がそうさせるのだろうか[1]

海外では、「規律正しい日本人」に賞賛の声があがっているらしい。しかし、レベッカ・ソルニットが著書、『災害ユートピア』で紹介しているように、災害時に短期的にでも助け合いが生まれるのは、日本に限ったことではない。

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私は、研究を通して、きっとほかの人よりすこしだけ難民のことを多く知っている。もちろん、一瞬にしてすべてを失ってしまった被災者と、じわじわと追い立てられ10年も20年も難民キャンプで暮らしている難民を、同じようにみることはできない。

いずれにしても、個々人の能力を圧倒する大きな力に対して、「いま、すぐに」何かができるとは思えなかった。できることといえば、募金をすることくらいだ。ちなみに私が専攻している人類学という学問は、いま起こっている災害や、「困っている人」に向けて、即効的に何か役に立つことを提供できる学問ではない。また、専門性や責任がともなわない行動をとることへの違和感もある。

タイで調査をしていると、「勉強が終わったらどういう風にそれをフィードバックしてくれるのか」、「今度は私たちのために何をしてくれるのか」と聞かれることがままある。それへの答えには非常に窮してしまう。一度、支援のアレンジのようなことをしたことがあるのだが、いわゆるドナー側は、難民側を期待させるだけさせて(大きな支援をちらつかせて)、何もせずに去ってしまったり、一回きりの支援で終わってしまったりという苦い経験がある。

もしもできることがあるとすれば、傾聴ボランティアかもしれない。報道によれば、現地の人たちが傾聴ボランティアを開始したそうだ(朝日新聞 4月3日)。

既知の関係だからこそ話せることもあれば、見ず知らずの他人にしか話せないこともあるはずである。とりわけ避難所では、特に独り身の人は、遠慮してしまって体調が悪くても申し出ない人もいるという。これは、他人の話を聴いて観察することを生業とする人類学者ができることのひとつかもしれない。

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テレビでは、はやくも「復興」の二文字がでてくるようになった。一部の地域ではボランティアを受け入れているところもあるようだ。しかし、道のりはあまりにも長い。だから、自分にできることを見極めつつ、長期的な復興に関わる方法を模索中である。

素人目にみても、復興には何年もかかると思われるが、その頃も今と同じように支援は継続しているだろうか。ここはひとつ、給料や携帯料金から少額からでも義援金や支援金を自動引き落としできるサービスや、コンビニのレジ横のガムのように、買い物ついでに差し出せば500円単位、1000円単位で寄付できるバーコードを用意するなど、支援を継続できる仕組みがあってもよいのではないだろうか。

私たちは、腑に落ちないと、「なるほど!」と思えないと動けないものである。
一番大切なのは、お金が何にいくら使われたのかを気軽に知ることができることである。

概して、私たちは募金をした後に、そのお金がどうなるのかよく知らない。それだけ信頼がおけるのでよいのかもしれないが、使われ方を知ること、「なるほど!」と思えることは、継続する動機にも繋がる。膨大な作業とも思えるが、例えばFacebookの画面のように、写真つきで「○○○(支援団体)からのいくらのお金が△△△に使われました」と表示され、なおかつ双方向的なやりとりができると面白いのではないか、とも思う。

「難民(困っている人)」がほんとうに困るのは、誰からも忘れられたときである。
いますぐに何かできなくとも、息の長いサポートを提供するために知恵をしぼることは、誰にでもできる。

  1. [1]ハイチの地震では、23万人が死亡、150万人を超える人が住居を失ったという。人の命を人数ではかることはできないが、改めてその規模に言葉を失う。(窪田暁 2010年3月13日 「大地が震動するとき―ハイチとドミニカの関係―」を参照)