いつか、どこかへ ドォッカーデー


信仰の世界 2

2011年2月16日

鶏骨占い。本ブログ「信仰の世界」を参照
写真: 鶏骨占い。本ブログ「信仰の世界」を参照

「私は○○人(民族)です」や「私の宗教は○○教です」という意識は、彼らにとっては、必ずしも自明ではない。というのも、こうした当事者の帰属意識は、「ただひとつ」とは限らないからである。例えば、「仏教徒でありアニミスト」と表明したり、クリスチャンと自称するが教会には行かず、アニミズムに基づいた伝統行事に参加することもある。このように、当事者が表明したり実践したりするレベルでは、その「信仰」をクリアにわけることはできない。

若者が「改宗」する理由

同じ世帯でも親と子で信仰する宗教が異なることもある。この場合、親がアニミストで、子がアニミストからクリスチャンになることが多い。このように若い世代がクリスチャンに「改宗」する理由は、概して「気軽」である。例えば、「クリスチャンの友だちと一緒に日曜日に教会に遊びに行くから」というものや、「キャンプには宗教の自由があって、何でも好きなものを信仰してよいのでなんとなく」といった感じだ。確かにこのような人たちは、クリスチャン・ネームを名乗るものの、食前に祈るわけでも、日曜日に教会に行くわけでもない。

もう少し現実的な問題から、クリスチャンになる人もいる。教育を支援する国際NGO(イエズス会難民サービス、以下JRSと表記)で働くには、クリスチャンであることが必要条件である。しかし、JRSで働くあるローカル・スタッフは、「別に教会には行かないし、熱心なクリスチャンではないので、本当はJRSで働いてはいけないんだけど」と吐露する。この人は、普段からクリスチャン・ネームを名乗っていない。

「改宗」する人たちは、クリスチャンを自称してはいるが、アニミズムの伝統行事に参加することもある(無論、熱心な信者は参加しない)。クリスチャンでも参加するのは、「伝統文化を忘れないため」であり、宗教的な理由によるものではない。

このように、キリスト教とアニミズムは、当事者が「いずれか」を表明するレベルではわけられるものの、線引きが曖昧な部分もある。ただし、年長者のアニミストにとって、キリスト教とアニミズムは、はっきり異なるものとされる傾向がある。それは、アニミズムとキリスト教の違いが、自分たち年長者と若者の違いとして認識されているからである。

年長者の「改宗」への認識

例えばピャーレー氏(50歳代・カヤー・アニミスト)は、若者と年長者の考え方の違いを述べるにあたり、キリスト教への改宗を引き合いにだしながら、次のように言う。

「以前は、RC(ローマン・カトリックをさしてRCと呼ばれる)はいなかった。クリスチャンが来てからは、伝統行事をしないように、日曜の礼拝に行くように、と言った。それまでは日曜日が休みとは知らなかった。こんな風に休みをとると、稲作のスケジュールが狂ってしまうから困った…私たちは、子どもたちが結婚するさい、鶏やブタを殺して村のみんなと共食する。この伝統は、カヤーなら村を問わず誰でもやっていた。でもRCが来てからは、隣の村でも宗教が異なる状況が生まれた。例えばこの村はRC、あの村はケトボ(アニミストの意)という風に…ここ(キャンプ)では、伝統行事をやってもいいけど、日曜には礼拝にきなさいという場合もある。でも、伝統行事をしながら教会にも通うと、困ってしまうことがある。ケトボ祭やクリスマス祭にあてる募金で、両方にお金を払わないとならず、借金をしなければならないからだ。だから生活が苦しくなる。ふたつの宗教に属すると、お金がかかるんだ…何とかして子どもに伝統や文化を伝えなければならない。

彼ら(若者)には、よく考えて。すべてを信じるな。あっち(クリスチャン)には金があるなどの話を。それが間違っている場合もあると言いたい。ふたつの宗教を行ったり来たりするとよくない。両親は伝統だが、息子はRCで鶏骨占いを知らない、といった事態が起こってしまうんだ。シャン人に仏教があるように、私たちには伝統、文化があり、習慣がある。ふたつの間を行ったり来たりするのはよくない。キャンプではクリスチャンがケトボよりも多い。私たちは、人数は少ないが、クリスチャンになった人を呼び戻すことができる。改宗したあと、再びケトボ(アニミズム)に戻ってきてもよい。強制はしないが、なかには戻ってくる人もいるから(括弧内は筆者補足)」

彼が述べるように、積極的に「改宗」する理由には、金銭的な動機があり、こうしたある種短絡的な若者の態度が、年長者のクリスチャンに対する否定的な感情を生み出している。JRSなどのキャンプで活動する国際NGOは、宗教で被支援者を特定するわけではない。しかし、自力でドナーや支援者を探す場合には、クリスチャンの支援機関に頼ることが圧倒的に多く、仏教やアニミズムを母体とするドナーはほとんどない。よって、クリスチャンと名乗ることは、それだけチャンスが増えることを意味する[1]

ピャーレー氏の認識にならえば、アニミズムとキリスト教をはっきりと区別している反面、「双方を行ったり来たり」したり、「クリスチャンからアニミストへ戻る」ことも可能と言うように、融通が利くといえば利く。このように、当事者が表明する宗教や信仰に対する姿勢は、統計のようにクリアにわけられない。

キリスト教徒になることは、必ずしも当事者の観念に純粋に影響するでも、単線的に内面的な信仰を変えることでもない。確かに敬虔なキリスト教徒、敬虔なアニミストはいる。しかし、単純な二分法では彼らの信仰の世界をうまく捉えることはできないのである。


  1. [1]日本からは公益社団法人シャンティ国際ボランティア会が、カレン難民キャンプの図書館をはじめとする支援を提供している。



著者紹介

久保忠行

久保忠行 (くぼ・ただゆき)

1980年、兵庫県に生まれる。2003年、大阪府立大学総合科学部人間科学科を卒業。同年から神戸大学大学院総合人間科学研究科へ進学。2006年に修士課程を修了し、2011年に同大学院の博士課程を修了(博士・学術)。同年4月から日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア研究所に在籍。現在、タイ・ビルマ国境地域と日本の難民に関する人類学的な研究に取り組んでいる。

おもな業績に、「ビルマの『国民和解』に関する予備的考察―カレンニー社会から」、(『神戸文化人類学研究』、第2号、2008年)、「タイの難民政策――ビルマ(ミャンマー)難民への対応から」(『タイ研究』、第9号、2009年)、「難民の人類学的研究にむけて――難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』第75号第1巻、2010年)、「難民キャンプにおける伝統の復興―難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』第37輯、2011年)、『ミャンマー概説』(共著・めこん・近刊)などがある。

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