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第10回 イミグレーションと「運び屋」

2010年6月27日

アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。
写真:アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。

憂鬱な入国審査

「ドミニカへはなにをしにいくのか?」これまでに何度同じ質問をされただろう。
ドミニカへの行き帰りに米国移民管理局による入国審査を受けるのだが、この時間が憂鬱でならない。イミグレーションの係官は私のパスポートに目を通すなり、一応に警戒の表情を浮かべる。

ドミニカへの出入国を示すスタンプが多いことがその理由らしいが、こちらとしてはなぜアメリカの入国管理官にドミニカ行きの理由を忖度されなければならないのか納得がいかない。コンピューターには私の個人情報が入力されているのだから、過去の質疑応答も記録しておけばいいではないかと毒づきたくなる。

「アメリカに滞在中は誰を訪ねるのか?」などと執拗に尋ねてくる係官にうんざりしながら、以前にアメリカで暮らすドミニカ移民の女性が語ってくれたエピソードを思い出していた。

パンツを脱がせればいい

現在、市民権を取得してアメリカのパスポートを持つマルレニィは、年に何度か残してきた子どもたちに会いに、ドミニカへと出かけていく。そんな彼女も空港の税関では毎回喧嘩になるという。なんでもアメリカの空港では、中南米からの女性ひとり旅は、麻薬の運び屋として疑われるのだそうだ。コカインやヘロインを詰めたビニール袋を飲みこんで、空港で待つマフィアに届けるコロンビア人の運び屋女性をテーマにした映画が、何年か前に日本でも公開されたが、マルレニィからすればその手の疑惑はいい迷惑でしかない[1]

「どこのホテルに泊まるのか?」「誰が迎えにきているの?」挙句の果てには、「あなたのようなタイプの女性には、お腹にドラッグを入れてきて、ホテルに着いてから取り出す運び屋が多いからね」とはっきり言われたらしい。さすがに頭にきた彼女は、「そんなに疑うなら、ここでパンツを脱がせて覗いてみたらいいじゃない!」と英語で啖呵を切ったというからカッコいい。それにしても、あからさまな侮蔑を隠しもせずに先入観と偏見をもとにこんな質問を平気でする税関職員がいるということに驚いてしまう。

いざ、特別室へ

とうとう入国管理局の特別室に案内されることになった。去年の9月、ドミニカから降り立ったニューアーク空港での出来事である。これまでの係官の態度から、いずれはご招待を受けるだろうと覚悟はしていたものの、いざ連れていかれるとなると、それなりに緊張するものだ。その時の係官の応対はなんとも「アメリカ人的」であった[2]

以下、係官との一問一答。

係官「ドミニカでの滞在目的は?」
私 「文化人類学のフィールドワークだ」
係官「なぜ、毎年こんなに長期に滞在するのか?」
私 「それがフィールドワークだからだ」
係官「I don’t understand」
私 「大学で人類学の講義を受けなかったの?」

……しばらく押し問答が続いた後、手もとのパソコンをログアウトした係官がブースを出て、特別室へと繋がる扉に歩を進める。私はきれいに刈りあげられた金髪頭をにらみつけながらその後に続いた。

文化の「翻訳」

特別室はIDカードがないと扉が開かない仕組みになっている。自由を奪われた気分だ。駅の待合室にあるような三人掛けのソファーが5列ほど並んでいて、そこでは中国系の中年夫婦と腕にタトゥーを彫りこんだメキシコ系らしき若者、そして黒人の老女といった人たちが名前を呼ばれるのを待っていた。

私の順番になり、飛行機に預けた荷物を命じられるままに取りにいく。税関はドミニカへの渡航歴が多い私を麻薬の「運び屋」ではないかと疑っているのだ。私の荷物は大きなボストンバックとキャリーバックの2つ。キャリーバックには、フィールドノートや資料、衣類などの私物。ボストンバックには、ドミニカの家族から預かった、アメリカで暮らす子どもたちへのお土産が入っている。そういう意味では、私もれっきとした「運び屋」に違いない。

目の前には、それだけで人を威圧することのできる、長身で筋骨たくましい体格をした白人の職員が立ちはだかる。早速、ボストンバックのファスナーを開けにかかった。ブルーガル(ラム酒)の大瓶が3本、ココナッツで作った自家製のペースト状のお菓子が6個、産まれたばかりの孫のためにと、これまた自家製の滋養たっぷりのスープ。いずれも中身がこぼれないように、アルミホイルで厳重に包装され、宛名として子どもたちの名前が書かれている。税関職員の眼光いよいよ鋭くなり、ビニールの手袋をはめて、ぞんざいな手つきで次々とアルミホイルを破っていく。

「これは?」ココナッツでつくったお菓子を手でもてあそんでいる。「ドミニカン・スイート」と答えるが、らちがあかない。それ以上の説明をする義理もこちらにはないので、「ドミニカではみんな食べるけど、知らないの?」と聞いてみた。その質問には答えずに、受話器を取り上げると、何やら短く用件を伝えている。やってきたのはドミニカ系の職員だった。テーブル上に散らかったものに目をやり、口元に笑みを浮かべた彼を見て、これで無罪放免だと確信した。彼がひとつひとつの品について、「ノープロブレム」とはっきりとした口調で伝えながら、次々と文化を「翻訳」してくれる。おかげで、ようやく私は解放されることとなった。

残滓

無残に剥ぎ取られて、くしゃくしゃになったアルミホイルの残骸を見ていると、私にお土産を託したドミニカの家族たちが踏みにじられたような気分になってきた。腹の底から激しい怒りがこみ上げてくる。「元通り綺麗に包みなおせよ」と低い声でつぶやくと、即座にドミニカ系の職員が「やめとけ」とスペイン語で割ってはいる。その目は、「そんなことじゃないんだ」と訴えかけているようにも見えた。荷物を詰めこむのを手伝ってくれながら、「このお菓子、小さい頃に母親がよく作ってくれたんよ」と懐かしそうにつぶやく。

そうか、本当は彼のほうがずっと悲しいのだ。目の前で白人の同僚から、自分のルーツである食べ物をぞんざいに扱われたのだから。おそらく彼は日常的に繰り返されるこの種の不条理に耐えながら、ドミニカから届けられるお土産を守ってきたのだ。私よりもまだかなり若そうな彼のさりげない優しさが、入国審査にまつわる一連のできごとを忘れさせてくれた。白人の職員はというと、つまらなそうな顔をこちらに向けて「さっさと出ていけ」と言わんばかりに顎で出口のほうを指し示した。

注1: 『そして、ひと粒のひかり』。ジョシュア・マーストン監督、2004年に制作されたアメリカ・コロンビアの合作映画。書籍に、ジョシュア・マーストン著、高橋美夕紀訳の『そして、ひと粒のひかり』(英知出版、2005)がある。 [ ]
注2: アメリカ人は概して内向的な人びとである。異文化に対して関心がない、というのは私の偏見だろうか。とりわけ内陸部ではその傾向が顕著である。ちなみに、アメリカのパスポート所持率は14%に過ぎない(日本は約40%)。 [ ]

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