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ンゴズィの嫁入り
2011年4月30日
2011年4月25日のイースターマンデーに、ンゴズィは嫁いだ。
2008年12月の合宿、2週間おなじ部屋で過ごしたわたしたちの夜な夜な話の主題はいつも、「好きな人」の「あれやこれ」だった。
「あなたの夢見てたら、いま、あなたの電話で目が覚めたわ!」
早朝から大声で電話している彼女に起こされて、迷惑したこともあったけれど。
大学へ
2011年4月23日
ナイジェリアには、国公立と私立をあわせて100を超える大学が存在する。とくにこの10年間で、「貧しい人たち」以外は大学を卒業することは常識となりつつあり、大卒でなければ就職も難しい。近年では、よりよい職に就くために修士課程に進学する若者も少なくない。
リーダー
2011年4月16日
アフリカ大陸では、2011年早々からチュニジア、エジプト、コートジボワールで大統領退陣をめぐる市民、政府、軍隊の衝突が相次いで起こっている。リビア情勢も予断を許さない。大陸で非常に緊迫した空気が漂うなか、2011年4月9日、ナイジェリアで選挙がはじまった。16日には大統領選が、26日には州知事選がおこなわれることになっている。2010年5月に大統領が死去して以来、副大統領が暫定大統領として国を統治してきたが、いよいよ、4年ぶりに新政権・新大統領が選ばれるときがきた。
緑うすき熱帯
2011年4月9日
「熱帯アフリカってどんな感じですか?」
大学2年生の立春、アフリカ美術史の恩師にたずねてみた。1960年代にナイジェリアで10年暮らしたイギリス人の恩師は、しわしわの大きな白い手を羽に見たてておしえてくれた。
「ジャングルにはね、こんなに大きな蝶蝶がいるんだよ」
人間たちのいる場所で
2011年4月2日
眠るその娘を見つめながら、ふと、想像してみる。80歳になった彼女はココナッツの木陰で腰かけて、何を思うのだろう。
寄りそって助けあい、傷ついて慰めあう。嫉妬して奪いあい、抱きあって笑いあう。相手につよさを求めたり、弱さを許したりする。探しもとめて、見つけて、やっとつかんだと思ったら、手からするりと落ちる。人間がふたり以上いる場所で、心はいつも忙しかった。ひとりならそんなことは起こりえなかっただろうに――懐かしさが胸をよぎって、彼女は母の背なかを思い出してみる。ぬくもりはいまもなお、彼女をやさしくつつみこんだ。
タイヤよ、歩きつづけ
2011年3月26日
街でふと、バイク修理工の足もとに目をやった。黒のゴム地にシンプルなデザインで、鼻緒のむすび目の赤がアクセントのサンダル。少々ごつそうにも見えるけれど、その格好のよさにわたしもひとつ欲しくなる。友人に話すと、「ああ、アデジャのこと? あんなものが欲しいの?」と笑いながら、店へ連れて行ってくれた。
Up NEPA!
2011年3月19日
コンクリートの床に転がって涼んでいると、向かいの部屋のトスィンがやって来てドアをノックした。つけ毛をほどくのではさみを貸してほしい、と。
風通しのよい玄関の階段に腰かけ、自毛に編みこんだつけ毛をひとつひとつほどいていくトスィン。ひんやりと気持ちのよい階段にわたしも座ってみる。電気が来ないとこの暑い午後に扇風機をまわせない。
美味
2011年3月12日
帰国してこのトウモロコシのことを母に話すと、「そう言えばわたしがまだ小さかったころ、そういうすっごく硬くて甘くないの食べてたわ」と、懐かしげに思い出していた。
6月から9月の雨季の盛り、ナイジェリアで豊富に実るトウモロコシ。畑を持つ友人たちを訪ねると、もぎたてのトウモロコシを帰り際に持たせてくれる。
朝7時をまわれば住宅地に響きわたる、いつものメロディにのった「オギ」売りの声。女性たちが頭にのせて歩いて売っている。「オギ」はトウモロコシ粥のもとで、熱湯で溶かして、朝食にすることが多い。午後から日没まで街のいたるところで買えるのは、あつあつの焼き(または茹で)トウモロコシ。女性たちは炭火のうえに敷かれた網のうえでトウモロコシを転がしながら、こんがりと焼いている。夕方から夜にかけては、コーンスターチを蒸して豆腐のようにした「エコ」が売られる。これはご飯の代用で豆や青菜のおかずが添えられる。帰宅途中の人びとでにぎわう交差点で、女性や子どもたちが「エコ」のつまった大きな桶のまえでしゃがんで客を待っている。
ひたすら硬くて全然甘くない9jaのトウモロコシ。なぜかいつも食べてしまうのは、それしか売っていないからなのか、安いからなのか。いや、やっぱりすごく美味しいから、か。
天気予報
2011年3月5日
夕方4時をまわればいつだって気にしてしまう、空の色。風が舞い、椰子やバナナの木々がざわめく。灰色の雲がぐんぐんと押し寄せて、淡い水色の空を覆っていく。ところどころ、その隙間から光がまだわずかに差しこんでいる。
8年間の監獄生活
2011年2月26日
ロンドンには、数えきれないほどのナイジェリア人が暮らしている。イギリスの旧植民地であったナイジェリアは、いまでも旧宗主国イギリスと切っても切り離せない関係をもつ。通りでわたしを追い越す急ぎ足の男性たち、地下鉄のベンチに腰掛けて携帯電話で話す清掃員の男性……たった5日間のロンドン滞在で、何度も耳にしたナイジェリアの言葉。
ホーム・エンターテイメント
2011年2月19日
9jaにはレジャースポットが少なく、大都市の一部の地区を除けば娯楽施設はまったくない。国内の8割を超える人びとには余暇にお金をかける余裕もない。たとえ余裕があっても、インフラの不整備で道は悪く治安も不安定だから、目的地まで簡単にたどり着けない。でもみんな、余暇を持たないわけでもその楽しみかたを知らないわけでもない。