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なぜ、兄犬はカミツイたのか?!

2012年1月17日


我が家の愛犬アンディが、近所に住む兄犬を預ったときに、勃発したカミツキ事件。詳細は前回を参照してもらうとして、なぜ仲よしの兄犬にいきなりかまれてしまったのか、事件の後、私と相棒の女性は、その原因を深く、深く考えた。そして次の4つのルートから原因を探っていった。
それは
   その1:もともと実は、あまり仲がよかったわけではなかった
   その2:ひとりっ子と2頭飼いの違い
   その3:それぞれの家の日常のライフスタイルと育て方の違い
   その4:預かっていたときの兄犬の精神状態
である。

そして私たちが得た結論は、シンプルに次のことだった。
「兄犬は預けられている私たちの家を、自分の家と思ってしまうぐらいにリラックスし、そしてちょっと気に入らないことをしたアンディをかんでしまった」
である。

両方とも未去勢の真性の雄犬である。だから、いくら昔から知り合いで一緒に遊んだり、多くの時間を共有してきた経験があっても、そこにはかならず対抗心が存在し、雄だからよけいに両者のあいだには上下関係づけの目に見えないせめぎ合いというものは避けられない。仲のよしあしの問題というよりも、そこはどちらのテリトリーでどちらが上なのかということが何よりも優先されるだろう。それを兄犬が的確に認識できていれば、今回のようなケースは起こらなかった。しかし、先程述べたように兄犬はここを自分の家と勘違いしてしまったため、鼻先が少し前に出ただけでアンディを襲ってしまったのだ。

では、なぜそうなったのだろうか、考えられる理由はいくつもある。まず、兄犬にとって自分の家に次いで我が家がなじみ深く、そして楽しい体験もたくさんしていて、さらに我々二人のことが大好きだということ、また、事件が起きたのが預けられた初日ではなく、3日目だということ、そのあいだ私たちも寂しいだろうからと兄犬をいつも以上にかわいがってしまったということ。そりゃ、ここは自分の城と勘違いしても仕方がないかなと反省しているほどである。

また、パピーの頃、うちのアンディは兄弟のたちのなかでもほかの犬にいじめられる弱い立場で、その頃の記憶はおそらく兄犬の方にもあるから、そういう上下関係の認識が深層の部分で残っていたということもあるだろう。

さらにアンディには最初から先代のセナが我が家にはいて、2頭飼いの環境で育ってきているので、犬としての社会性は自ずと高いのだが、兄犬の方は、5人家族の家庭のなかで最初から1匹だけで育ってきているので、やはり甘えん坊でちょっとわがままで、精神的な幼さもまだ見受けられる犬だ。そのあたりも関係していると思われる。

そして、預かった頃は、兄犬が大好きな夏も終わり、家で留守番をする時間も多くなっていたみたいで、彼がはじける機会も少なく、ちょっとストレスがたまっていたかもしれない。そんな状態だったら、我が家が楽しくて、勘違いしても不思議ではないだろう。

冷静に振り返り、情報を総合的に分析してみれば、このようにさまざまな要因が思いつくのだが、兄犬を預かることも私たちにとっては日常に近いことなので、そのときは正直そこまで考えが回っていなかった。だから事件には驚いたし、兄犬の家も、周囲の犬仲間もみんな驚愕したのである。いくら慣れていても犬は犬であり、慣れている行動とはいえ、やっぱり犬は動物。油断は禁物ということを深く痛感させられたできごとだった。

そして何よりも、咬まれてしまった愛犬のアンディには本当に申し訳ないことをしたと、二人で今でも心から詫びている次第である。

ごめんね、アンディ

※ところで、この年末年始に我が家にもう1匹家族が増えました。次回からはこのニューフェイスが頻繁に登場しますのでお楽しみに

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治療のときにモデル犬だから丁寧にお願いしますと、獣医さんに強く言ったことが効を奏したのか、マズルの左側の咬まれた傷口はすっかり癒え、痕もわからないほどに回復。

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事件の後に兄犬と初めて再会したときは、こちらも少し緊張したが、取り越し苦労におわり、散歩で会うと相変わらずお互い張り合いながらも一緒に遊んでいる


前回原稿をアップしたその直後に、カミツキ事件勃発!

2011年11月27日


ここ2回ほど、カミツキ犬にかかわることについて書いたのだが、前回のブログをアップしたその翌日に、なんとカミツキ事件が勃発! しかもやられたのは皮肉なことに私の愛犬アンディだった。6針を縫うかなり大きな怪我になった。何かの呪いか、はたまた逆に天からの何かのお告げなのか。縫合はしたが、幸い大事には至らず、現在は無事にきれいに完治した。

今回アンディは咬まれましたが、これはかなり特別なケースで、散歩中にいきなり知らない犬に咬まれたということではない。場所は私たちの家のなかで、噛みついたのはお互いによ〜く知っている一緒に生まれたの兄弟犬(20分ぐらいお兄さん)で、アンディと同じ9歳のオス。今まで一緒に多くの時間を過ごし、会っている回数も3桁を超え、近所に住んでいるから、お互いの家にも頻繁に行き来している。今回、そのお宅の方が旅行に出かけるということで、私の方で預かった。お互いに兄弟犬ということは明確に認識していて、特別に仲がよいというわけではないが、悪いということもなく、もちろん成犬になってからケンカをしたこともない。また、以前にも預かったことがあり、その時はまったく問題がなかった。

だから、今回の出来事は本当に衝撃的だった。
「ま、ま、まさか…ナゼなんだ!」
急いで治療を済ませた後、私も相棒の女性も、原因について深く、深く考えさせられた。

ことのキッカケにはやはり「たべもの」が絡んでいた。彼らの夕飯を相棒の女性がキッチンで用意しているときに、2匹ともキッチンの入口で首を長くして待っていた。ただ、きれいに並んでオスワリして待っていたのではなく、アンディが少し後ろの位置で2匹は斜に並び、アンディがほんの少しアタマを兄犬に並ぶように前に動かした瞬間にいきなり顔を噛みつかれてしまったのだ。

2人で同時に大声を張り上げたからか、噛みつき合いにはならなかったが、少し離れて座っていた私はダッシュでその場に向かい、腕をアンディの胴に回して一気に後ろに引き寄せ、相棒の女性は噛みついた兄犬のマズルを勇敢にもつかみ上げ、そのまま自分の身体を預けるようにして真っ暗な脱衣所にぶちこんだ。

そして私たちはポジションを変え、私が兄犬がいる真っ暗な脱衣所に入り、彼女はショックを受け、興奮しているアンディを母屋の方に連れて行き、落ち着かせるように、そちらでしばらく彼に寄り添いケアをした。真っ暗な部屋にしばらく一緒に入っていた私の方は、兄犬がことの重大さを何となくわかっているなと感じたので、リビングに彼を連れて行き、その距離15cmという至近距離からの眼力ビームと腹の底からの低い声で、そこから20分以上にわたる強烈なお仕置きを兄犬に行った。

流血はほとんどしなかったのでこちらもパニックにならずに済んだが、アンディも落ち着き、兄犬もお仕置きされてとても小さくなったところで、やはり念のため病院に連れて行くことにし、相棒の女性がアンディを連れて行った。兄犬と私は、そのままお仕置きしていたリビングの床にぽつんと2人残された。兄犬は相変わらずとても小さくなっている。そして、私からまだ恐いオーラが出ていたからか、けっして私とは目を合わさない。重い空気が漂っていた。
そんなところにちょうど飼い主のお宅から連絡が入る。
「もうすぐ引き取りにうかがいます」
簡単に電話口で説明した。もちろん先方は驚愕し、恐縮している。しばらくして先に都合がついたそのお宅の娘さんが兄犬を迎えにきた。やはりあらましを説明したら、腰を抜かしそうなほど驚き、そして本体のご夫妻が到着するまで、しばらく玄関で待った。
兄犬は娘さんに対してうれしそうにシッポを振るが、娘さんと会話していて私の声のトーンが低くなると、彼のシッポの振りが止まる。
「キッチリお仕置きしておきましたよ。今はまだ私と目を合わさないと思いますよ」と説明して、彼の視界に私の顔を入れると、サッと顔を背けてやはり目を合わさない。
「ほら、だいぶ効いていて彼も理解していますから、何もしなくても大丈夫だと思いますよ」
と私は述べ、そろそろいいかなと思って兄犬を私のそばに呼び寄せ、明るい声でヨーシ、ヨーシといいながら、私は優しく彼のアタマや身体を撫でた。最初は戸惑っていたが、少しずつゆっくりと彼はシッポを振りはじめ、そして「もうするなよ」と優しい声で言いながら激しくなで回すと、最後はブンブンと切れんばかりにシッポを振った。
とりあえず終わったかなと私はホッとした。あの状態のまままでは兄犬を返すわけにはいかなかったので、ご夫妻が到着するまでには普通の状態にできるだけ戻したのである。

ご夫妻が到着。病院からも連絡が入り、これから縫合手術をするという報告を伝えた。ご夫妻は兄犬を一度家に連れて帰り、そして戻ってきてみんなでアンディの帰りを待った。アンディはそれから1時間ほどして戻ってきた。ご夫妻も一緒になってアンディに詫びを入れながらたっぷりねぎらい、しばらく話をしてから、その晩は解散となった。なお、今回の出来事の原因や考察などは次回に書きたいと思う。

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夕陽を浴びて匂いチェックにご執心の兄弟2匹。彼ら同士で今まで何の問題も起こっていない。まさか我が家でカミツキ事件が起きるとは……

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まるでブラックジャックのようになってしまった治療直後のアンディ。見た目にはほとんどわからなかったが、剃毛してみると意外と傷口は広範囲だった。


カミツキ犬にはエゴ的「人ごころ」が反映している

2011年11月4日

カミツキ犬にはエゴ的「人ごころ」が反映している


前回、ニューカマーの登場によってかいま見えた邪な「人ごころ」について述べ、そのなかに登場した方の犬がカミツキ犬であることにも触れたが、全国的に犬を飼う意識がかなり高い湘南地域でも、残念ながらカミツキ犬はそれなりの頭数存在しているというのが現実で、当然さまざまなトラブルも起こっている。一番多いトラブルが散歩中に他の犬を咬むということで、その場合、少なからず流血の事態になる。噛まれた犬が最も流血するが、咬んだ方の犬が返り討ちにあうこともあり、場合によっては静止に入った人間が被害に遭うことも発生している。

カミツキ事件は普通、犬がリード(引き綱)からリリースされているケースだけに起こると思いがちだが、私の体験からくる実感としては、もちろんそういうケースもあるが、リードにつながっていてもその発生確率はあまり変わらないと思う。逆にリリースすることはいけないことであるから、そういうケース自体が少なく、リードにつながっているときの方が、人間側に油断もあり、かえって発生件数は高いかもしれない。だから私がここで伝えたいことは、「つながっている・いない」ということがテーマではなく、カミツキ事件は100%人間側に責任があるということ(つまり犬には責任がない)ということと、そうさせてしまった「人ごころ」について述べたいのである。

私が見てきたり、体験してきたカミツキ事件、流血事件をふりかえると、自分の愛犬が残念ながらカミツキ犬となってしまった飼い主さんからは、やはりエゴを感じる「人ごころ」が透けて見えてしまうことが多い。一番わかりやすくそれが現れるのは、事件が起きた直後だ。つまりカミツキ犬が相手の犬を傷つけてしまったときに、自分の方には(人も犬も)非がない、責任はないという種類の主張や態度を、大なり小なり示すかことがほとんどだったのだ。犬のこの種の事件は自動車同士の交差点事故と同じで、過失比率が100対0というケースはまずなくて、主張し出せばキリがなくなる類いの話であり、また軽微なケースがほとんどで、さらに普通は飼い主同士が知り合いでないケースが多いので、常識人ならばその場でお互いに穏やかに話をするのが常道だ。

ただ、いくら100対0のケースがないとはいっても、明らかに過失や落ち度がどちらにあるかがハッキリしているケースがほとんどで、非がある側は誠実にお詫びをし、一見して流血していることがわかるなら当然のこと、わからないケースもあるので治療費の件も含めて話をし、お互いの連絡先の交換などをその場で済ませてその場を収めるのだが、この誰が考えても当たり前のようなプロセスを踏まない飼い主さんがいるということも覚えておきたい。非を認めなかったり、逆にこちらが悪いような言動を、分別がある年齢の方が発したり、男性のみならず、女性もそういう態度を見せるのである。

私が知っているいくつかの事件では、残念ながらそのような非常識なケースが多い。なので被害を受けた側は、今でも許せない気持ちを抱いている方もいる。また、そのときでことが終わらずに、いまだに現在進行形の場合も少なくない。つまり、同じようなことが繰り返されるということである。被害を受ける犬がどんどん増えていく場合もあれば、二度も三度も同じ犬に噛みついていく場合もあるから驚きだ。この手の犬の飼い主は非を認めない自己中心的なエゴイストであるから、自らを省みてきちんと反省をするはずもなく、被害を受けた側の人や犬のこころに思いを馳せるようなことをする可能性は低い。だからそういう人は行動や散歩のスタイルを真剣に見直さないし、自分の犬をしつけ直すことも行わないから、ふたたび事件が起きるのである。

自分の犬が人や犬を咬んでしまうならば、リードのリリースはしないだろう。また、あえて他の犬に近づこうともしないだろうし、近づくにしても細心の注意を払い、しかるべきステップを踏みながら行うだろう。このような散歩のスタイルや行動を変えていくことは、犬飼いではない人が考えても容易に理解できることにもかかわらず、私が知っているカミツキ犬の飼い主はほとんど修正しないか、修正したとしてもそのペースはとてもゆっくりだったり、一時的に直すに過ぎなかったりする。

また、厄介なことにその手の方は犬そのものが大好きなことも多いので他の犬にも近寄りたいし、自分の愛犬を楽しく遊ばせてあげたいという気持ちが強すぎるので、リードをリリースすることをやめないし、また自分の犬がカミツキ犬にもかかわらず、自信とプライドを持っていたりするから「犬通」ぶったりして間違った知識などをばらまいたりしてしまうのだ。

前に犬は飼い主に似てくるというようなことを書いたが、その延長で述べるとすると、他の犬を攻撃するようになってしまったカミツキ犬は、やはりその飼い主さんの「人ごころ」のなかの一部分、たとえばエゴ的なよからぬところを映し出してしまったと言えるのではないだろうか。少なくても私はそう確信しているし、子どもや犬のような保護される弱い存在は、大なり小なり親や飼い主の「人ごころ」を映し出す鏡なのだ。だから、犬を飼うならたんなるペットではなく、そのぐらいの矜持を持って暮らしていきたいと私は心がけている。

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先代犬のセナがアンディをパクリ!アンディもおとなしくしている。これは甘噛みの一種でお互いの深い親愛の情の現れ。流血事態は必至のカミツキ犬の場合とはまったく異なる

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大きく口を開けてジャレあうシンゴくんとナッちゃん。これは遊びだったので問題はないが、ジャレ合いも油断すると突然ケンカになったたり、上下決めや縄張りを巡る戦いに発展するから要注意。ある犬はその辺の注意が足りずに、本当にカミツキ犬になってしまった


ニューカマー増加によって現れた邪な「人ごころ」

2011年10月14日

しばらく写真の撮り方が続いていましたが、この辺でふたたび本来の路線に少し戻りたいと思う。

最近、私の周辺には「○○ドゥードル」という種類の犬が急激に増えてきた。

もともとは、約30年前に動物アレルギーを持つ人の介助犬になることを目的として、いずれも賢さ・明るさ・優しさをあわせ持つラブラドール・レトリーバーとスタンダード・プードルの交配によってオーストラリアでつくられた「オーストラリアン・ラブラドゥードル」で、DOODLEの”D”はプードルのPをさかさまにしたといわれている。

そのドゥードルにはラブラドールではなく、ゴールデン・レトリーバーとのハイブリッドである「ゴールデン・ドゥードル」も存在し、このゴールデン・ドゥードルの方が、私の周辺に急激に増殖中なのである。

気がついてみると、そのゴールデン・トゥードルは6頭を数え、ラブラドゥードルを含めるとドゥードル種は合計8頭で、大型犬の最大派閥となってしまった。

ドゥードルは成犬になるとだいたい体高70〜80cm、体長も70〜80cm、体重30kg程度と、純粋なゴールデンやラブよりもやや大型になるといわれ、毛色もホワイト・クリーム・ブラック・チョコ・レッド・ゴールドなど豊富で、なかにはチョコ/ホワイトなどのコンビカラーになる個体もある。特徴はプードルの特徴である毛の抜けにくさ(レトリーバー種はよく抜ける)や、長い足(レトリーバー種は短足が基本)を受け継いでおり、性格は穏やかでヤンチャすぎず、人なつっこく、そして賢い。また、毛はぬいぐるみのようにモコモコ、フワフワなのも特徴だ。

そんなドゥードルが急激に増えた一番の理由は、近所のペットショップが重点的にこの種の子犬を販売しはじめたからで、一度そのパピーを見て、そして触れてしまうと、虜にならない人はまずいないと思われるほど圧倒的にかわいい。当然口コミでも広がり、そして結果として、周囲にドゥードルが増えてしまったわけである。

もちろん私も噂を聞きつけ、すぐにそのペットショップに見に行った。そしてパピーに触ってかわいがらせてもらった。子犬にも慣れている私だが、あまりにもかわいすぎ、その場で連れて帰りたいと大きく心を動かされたほどだった。きっと多くの人が同じような気持ちになり、飼う家庭が増えたのだろう。

詳細


犬の写真を上手に撮りたいー3

2011年9月2日

今回も犬の写真の撮り方シリーズの続きを書いていこうと思う。
前から書いているが、犬の写真撮影の難しい面の特徴はとにかく、動きが速いということ、その動きが予測しにくいということ、そしてこちらの意図や指示に従ってくれないということに尽きるだろう。また、前回説明したように犬は体高が低いのでローアングルが基本となる。これも撮影を難しくする点となる。
だから、これらの撮影困難な点をカバーするように、カメラの設定、レンズの選択、撮影場所やアングルを工夫するいくことを基本とする。

動きが速いものを撮影するには、まずシャッタースピードを速くすることが重要だ。カシャッとシャッターが切れるスピードが、1/1000秒と1/10秒ならば、1/1000秒の場合は、犬の動きがいくら速いとはいえ、その短い一瞬のあいだの移動はほとんどないわけで、つまり動きが止まった映像を記録することが可能になり、逆にそんなに短くない1/10秒の場合は、どうしてもそのあいだに動いてしまうので、大なり小なり流れたような映像が記録されてしまうわけだ。全体が流れてしまった映像は、仮に機械的にピントがあっていても、顔や身体がはっきりしないピンぼけ写真のようになってしまう。また、このような状況は、被写体が動いていなくても、撮影者側が手ブレを起こすと同じような状況に陥ってしまうので注意しよう。

コンパクトデジカメには、通常さまざまなシーン設定やモード設定が用意されていて、最近は本当に驚くほどその機能は充実している。そのなかでこのシャッタースピードが早めになるようにプログラムされているのは、ペットモードやスポーツモードが代表的なのだが、コンデジユーザーの場合、それらの設定の特徴を熟知し、そのときの状況に合わせてマメに設定を変えて使用している人は意外と少ない。たいていはオールマイティに撮影できるオートに固定したままでどんなときも撮っている人がほとんどだろう。女性はほぼ100%オート一辺倒だと予想される。撮影するときはそれらを選択することはもちろんのこと、機種ごとに特徴やプログラムが違うので、やはり説明書をよく読んで、その機種のクセも含めて覚えておきたい。

さて、速いシャッタースピードと関連することに「ISO感度」がある。この数値が高いと感度がよいということで、感度がよければ光量が少なくても映るのである。先ほどのシャッタースピード1/1000秒と1/10秒を例にして説明してみよう。1/1000秒の方は1/10秒に比べると単純にシャッターが開いている時間が100倍短いわけだから、確実に光量は少なくなる。そしてそのとき設定されているISO感度がもし低ければ、当然光量が少ないので映りが悪かったり、1/1000という速いシャッタースピードで切れなかったりしてしまうのだ。逆にISO感度が高ければ、スムーズにシャッターも切れ、普通に撮影できる。このように速いシャッタースピードと高いISO感度はとても緊密に連携してくるものなのだ。だから動きの速い被写体を撮るためのモード設定では、この両者を連携させてプログラムされているといっていいだろう。

このように、犬の撮影では、速めのシャッタースピードが重要なのはもちろんのこと、ISO感度も高めにすることがポイントとなる。ただ、ISO感度をマニュアルで設定するというユーザーは多くないだろう。プログラムやオート、あるいはシーン設定で撮る場合は、それの設定も含まれているから、それにゆだねてしまっても問題はほとんどない。ただ、感度とシャッタースピードが緊密に連携しているというカメラの仕組みは覚えておきたい。

しかし、ISO感度をただ高めにすればいいのかというと、そうもいかないのが現実で、感度を高くすることのデメリットもしっかり存在するので、覚えておいてほしい。まず、感度を高くすると、画像は滑らかではなくザラザラした粒子感が際立ってくることも多い。発色やコントラストなども不自然になったりするケースも出てくる。なので目安としては、3年前ぐらいの機種ならばMAXのISO感度は400程度と覚えておくといいだろう。もっと古い機種ならば400でも粒子感が際立ってつらい機種もある。逆に最新機種はISO感度1200でも3200でも滑らかに映るものもあるから、それこそ自分のカメラでテストして、ISO感度による違いを把握しておきたいものだ。

ところで話は変わりますが、9/14に発売される雑誌「RETIEVER(レトリーバー) vol.65/エイ出版社刊」に、私はアンディとともに出演しています。よろしかったらご覧下さい。

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もう暗くなってしまった夕方に、走って接近してきた瞬間を逆光ぎみで撮影。ISOは400、シャッタースピードは1/500秒。1/500秒ぐらいでないと止まった写真は撮れない。

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さらに暗くなってから休憩中のアンディを撮影。ISOは1250、シャッタースピード1/200秒でシャープに撮影できた。ただ、実際の写真は全体にもっと暗い仕上がりで、少しレタッチして明るくしている

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[我が家での”モデル犬”アンディの撮影風景と、表情とポーズをキメル愛犬アンディ


犬の写真を上手に撮りたいー2

2011年8月6日


前回から犬の写真の撮り方についてのシリーズをはじめた。まず、総論的だがほかではあまり言われていない、私なりに大切だと思っている話をいくつか述べ、そのあとにいくつかの基本的な撮影における注意ポイントを説明した。

今回は、その続きを述べたいと思う。

「犬を撮るときは犬の目線と同じぐらい低い位置までカメラを下げて撮ることがひとつのコツです」という解説が、よく犬の撮影指南書などに書かれている。これも犬撮影の大切なポイントとなる。犬目線と同じローアングルにすれば、カメラは犬を正対してとらえることになり、顔・表情や身体つき、しぐさなど、自然に近い状態で収めることが可能になるからだ。

しかし、ローアングルでの撮影には、普通に立った状態で犬を撮ることに比べて、けっして簡単なことではなく、逆に難しい部類に属する撮影だと覚えておいたほうがよい。はるかにたくさんの注意するポイントや撮影技術が必要で、初心者がすぐにコンスタントに撮れるものではない。

まず、犬目線までローアングルになると、撮影者はしゃがんだ状態はもちろんのこと、小型犬なら完全に地面に寝転んだ状態にならなければならない。ということは、その体勢でファインダーをのぞいたり、液晶モニターを見ることもかなり困難な作業で、また、撮影者自身が被写体の状態に合わせて瞬時に移動したり、アングルやフレーミングなどの微妙な調整をすることも、極めてやりにくくなる。ローアングルではこちらの動きがキツく制限されるのだ。

幸いにも犬がジッとしてくれているならばいいのだが、現実はなかなかそうはいかず、ちょこちょこ歩いたり、居場所は動かなくても、頭や身体を振ったり、顔の角度が変化したりする。また、ローアングルのときも前回ポイントとして説明した当たる光の角度や背景に気をつけることは怠らず、それを考慮して撮影位置やフレーミングを決めるわけだが、犬がちょっと動いてしまうことによって、徒労に終わることなどは頻繁に起こり、おまけにこちらの動きが制限されているので、そのときに少しのアジャストでクリアしようとしてもなかなか成功しないのだ。だから、はじめからどうせ上手くいかないぐらいの気楽さで、数打てば当たると思ってめげずに何度もトライして見てほしい。そうすれば少しずつローアングルの感覚がつかめてくる。残念ながらこれに関しての撮影上達の近道はありません。

そのほかにも、ローアングルでの撮影では、選ぶレンズや各種の設定も十分考えて行う必要がある。まずはレンズ。ローアングルの撮影のときは、たいがい犬とは至近距離の場合が多くなり、だから望遠系レンズのときはもちろん、35mm版換算で標準サイズの50mmでも、フレームに入り切らないということが起こってしまう。苦労して撮影したのに、仕上がりを見たら肝心のワンコの顔が切れていたり、身体の意図しない一部しか写っていないということになるわけだ。なので、基本は持っているなかで最高の広角(ワイド)レンズを採用してチャレンジするのが無難だ。ズーム付のコンデジだったら、一番ワイド側に設定する。

また、至近距離なのでピントも大きな課題だ。レンズにはそれぞれピントが合う最小距離というものがあり、望遠系のレンズはその距離が長く、広角系の方が近づいてもピントが合う。さらに、マクロ機能があれば、さらに接写も可能だ。ローアングル撮影でワイド系のレンズを選ぶのは、このような利点があるからなのだ。

なおピントは、デジカメ時代の今はオートフォーカスが常識となっている。特に犬のローアングル撮影では、ファイダーをのぞいてマニュアルでピントを合わせることはほぼ不可能だから、オートフォーカスをフルに活用しなくてはならない。しかし、オートフォーカスといっても機種ごとに設定がかなりカスタマイズできたり、その機種なりのフォーカスの仕組みや特徴がある。また、いろんなシーン設定の違いによっても(スポーツ、ペット、風景など)によってもフォーカスの具合が違うこともあるので、気をつけてほしい。

このように、オートフォーカスにしろ、レンズにしろ、ピントが合う最小距離にしろ、とにかくお使いのカメラの機能は、面倒がらずに、とにかくよく説明書を読んで把握し、いろいろテストして各機能の違いを実感を持って理解しておかなければ、よい犬の写真は撮れない。また、そのテストを通じて自分の写真をチェックするということは、前回書いた大切なことのひとつ「写真を選ぶという行為が上達していく上でボディーブローのように効いてくる」ということの実践にもなるわけである。

そして使用しているカメラが把握でき、自分の手足のように使えるようになってきたら、やっと究極のローアングル撮影であり、犬の撮影では特に威力を発揮する「ノーファインダー撮影」の扉が開かれるのである。

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フルート吹きアンディ:これは地面に這いつくばり、きちんとファインダーをのぞいて表情から背景まで気を使い一眼レフで撮影したもの

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普通に撮ると:小型犬の場合、撮影者が立ったまま撮影するとどうしてもこのようになってしまう。これはこれで味わいはあるが、いつもこれだと物足りなくなるので、やはりローアングル撮影は必須。コンデジで撮影

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走りローアングル:同じ犬が走っている姿をローアングルで撮ったもの。名前は「ちゃま」写真の雰囲気がガラっと変わる

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とっさのノーファインダー:散歩途中ではじめて出会った犬がわたしに寄ってきたので、とっさにコンデジでノーファインダー撮影したもの。よい表情がうまくフレームに収まった。ただ瞬時のことなので、何が写り込むのか、背景には気が回らなかったが。


犬の写真を上手に撮りたいー1

2011年7月24日

このブログをはじめてから、早いものでもう7か月が経過した。そのためなのか、最近、犬の飼い主さんからよく聞かれることがある。

それは「愛犬の写真が上手に撮れないんだけど、どうすればいいの」という質問だ。

私はもともと写真を選ぶ側の人間でだった。それが犬を飼うようになって撮る側に立ち位置を変えた。詳しくはこのブログの第1回目に書いているので参照していただくとして、どの飼い主さんも、愛犬がかわいくて仕方がないはずで、私と同じように愛犬の写真を撮りたくなるのは極めて自然な欲求だから、私がこのような質問を受けるのも当然だろう。

でも、「こうすれば上手く撮れますよ」と簡単に説明できるぐらいなら、逆に誰だって簡単に撮れてしまうはず。簡単に説明できず、さまざまな知識から技術的なことまで、覚えたり、マスターしたりするその内容も多岐にわたるから、なかなか上手く撮れないわけで、実際、いろんな分野で活動しているプロと呼ばれるカメラマンでさえ、話をするとほぼ口をそろえて「犬の撮影は難しい」とつぶやくほど。だから、写真に素人であり、撮影にも素人の人が、愛犬の写真を上手く撮れないのは当たり前のことだから、別に恥じる必要もなく「仕方がないな」ぐらいに思っていた方がいいし、私も多くのカメラマンと同じで、犬の撮影はとても難しいと断言する。

そうは言っても、やっぱり飼い主さんは愛犬の写真を上手に撮りたいわけだから、前置きはそのぐらいにして、その方法を少し書いてみることにする。

まず、誰もが気になる器材だが、よくいるパターンなのが、愛犬の写真を撮るために、今まで一眼レフも、写真撮影そのものもほとんど経験がないのに、いきなり上級器材(デジタル一眼レフ/通称デジイチ)をゲットすれば、いい写真が撮れると思っているケースで、「よいカメラを持っている=上手に写真が撮れる」というわけではないことは説明しなくてもわかると思う。大切なことはその器材を使いこなすことで、ある程度使いこなすことができれば、今のカメラは性能が高いので、たしかにそれなりの確率で上手く撮れるようになるから、使いこなすということは怠らないようにしよう。

また、説明書をよく読んで理解することも大切なのだが、写真やカメラの知識がない人にとっては、用語の意味がわからないから、理解するのもかなり大変かもしれない。しかし、これをキッカケにして、そのあたりの基本的な写真用語や基礎知識を調べてみよう。写真を上手に撮るには避けては通れないことなので、面倒臭がらずに。

さて、多くの場合はコンパクトデジカメ(コンデジ)での撮影になると思う。このコンデジで上手に撮るにも、やはり使いこなすことが必須で、結局説明書をよく読んで、そのカメラの性能をよく把握することは避けられない。ただ、最近は「ペットモード」のような機能がよく備わっていたりするので、そういう機能は積極的に利用し、また「おまかせフルオート」の類いもかならずあるので、悩んだらこれを利用すればとりあえずは無難に撮れる。

なおこの種の話は、機種によって千差万別なので、ここではここまでにする。それよりも、写真を撮る上でたいへん重要なことであり、ほかではあまり言われていないことを少し書いてみようと思う。

それは、私の経歴と密接に関係していることなのだが、写真の腕前を高めたいならば、まずはよい写真をたくさん見ることと、その上、写真をセレクトするという行為をたくさん行うことがたいへん重要だと私は思う。もちろん見るならばほかのジャンルではなく、犬がベスト。よい犬の写真をたくさん見よう。(私も電子書籍の写真集を出しているので、よろしかったら見てください)。

たいていの人は、上手に写真を撮るというと撮影技術や使用機材など直裁的な項目に注目しがちなものだが、その前にもっと根本的、かつ深層的に重要なことは「よい写真とは何か」という、とても抽象的で、これという具体的な解答が存在しないことを、感覚として自分のなかにしみこませていく必要があるからだ。特に撮影する対象が犬の場合は、残念ながらけっして避けられないと私は感じている。

そして、見ること以上にその「よい写真とは何か」をしみこませていくことに、とても効果的なトレーニングが、写真をセレクトするという行為なのだ。仕事柄、私は見て選ぶという行為を、それこそ気が遠くなるほどたくさん行ってきたわけで、結局そのことが「よい写真とは何か」ということを、細胞のなかまで刷りこんでしまったわけである。

写真を選ぶという行為は、たとえば100点の写真のなかから10点を選ぶ場合、その10点が残りの90点よりも優れていると思われる部分を頭のなかで整理し、ひとつずつ比較しながら、優劣をつけていかなければならない。それは色味やピント、露出に始まり、写っているや瞬間だったり、犬の表情だったり、背景の具合だったり、全体的な構図や全体の印象だったりと、比較しなければいけないポイントは、じつに数多く存在する。もし、選んだものを自分以外の人(たとえば伴侶)に納得してもらう必要があるならば、その違いを言葉に翻訳して説明することも必要となるわけで、こうなると写真を「見て選ぶという行為は、一気にエネルギーと集中力を必要とする大仕事となる。しかし逆に、ここまでくると、いやがおうでも「よい写真とは何か」ということが自分のなかには確実に刷りこまれていくのである。

繰り返すが、写真を見て選ぶという行為は、すぐに写真の腕前に直結するわけではなく、ボディーブローのようにジワジワと確実に効いてくるもので、犬の撮影には絶対に必要ということは覚えておいてほしい。

さて、犬の撮影はプロも認めるほど難しいということは前記したが、もう少しそのことについても説明することにする。犬の写真撮影が難しい最大の理由は、相手には人間の言葉が基本的に通じず、こちらの意図も理解できず、動きが速くて、先もほとんど読めないということに尽きるだろう。だからまず、上手く撮影したいならば、犬の動きを止めた状態にして、撮影することになる。オスワリさせたり、マテをさせたり、寝ているときときに撮影することは、多くの方がすでに実践しているし、一般的な撮影パターンになっているのは当然だ。だからまずはこのようなときに撮影にチャレンジするところからはじめよう。

ただ、撮影するとき、多くの人が見落としている基本的なポイントがある。ひとつが光の向きや角度で、通常は犬の顔が陰にならないように、ちゃんと光を当てるようにすることが大切で、もうひとつのポイントが背景のチェックだ。オスワリした犬を撮るときときにファインダーや液晶を覗いてみて、後ろに何が写るかを必ずチェックしすること。ごちゃごちゃと余計なものがたくさん写っていたら、せっかくのよい表情も台無しになってしまう。だから、光の向きと背景を十分考慮してから、自分の愛犬をオスワリさせる場所をきめるようにしよう。これに注意するだけでちょっと写真はよくなる。

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動きが速く、予測不能な犬を撮影するなら、まずは動きが止まっているときからチャレンジしよう

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静止時撮影で忘れてはいけないポイントが背景。背景をこのようにシンプルにするだけで、写真のグレードがグッと上がる

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静止時撮影でのもうひとつのポイントが光の向き。基本的に顔には光が当たるようにしたい。この写真は注意すべき2つのポイントがクリアできていないあまりよくない例。背景が少々うるさく、顔が陰になってしまっている。光が当たり、背景がシンプルになる場所に、改めてオスワリさせて再撮影できればいいのだが


あなたはイヌだから-2

2011年7月3日

前回、私はなぜか犬に好かれるということをいくつかの例を出して書いた。今回もそのことについて、もう少し補足したい。それは前回の例で登場した犬はすべてメスであるということだ。

100%とは言わないが、メスの犬には本当に好かれる。すぐに顔を舐めてきたり、甘えて私の横や前に鎮座したりとなついてくる。そこまであからさまな行動でなくても、初対面で近づいたときにアイコンタクトができてしまうのだ。そして飼い主に尋ねると、その犬がメスである確率が高いのだ。また、メスの飼い主さんによく言われるフレーズが「この娘は男の人が好きなのよ」である。

さらに、続けて次のようなフレーズが飛び出してくるケースも多い。
「家でも私より主人になついて、面白くないの」である。
私は「そ、そ、そうですか」としか言えないが、たんに人間性とか性格とかだけでなく、人のジェンダーと犬のジェンダーはそれぞれ目に見えない何かが、種を超えて微妙に絡まり合っていることは確実だろう。そして私が特にメスに好かれるのも、彼女たちが私のことを人としてなのか、犬としてなのか不明だが「コイツ、けっこうイイじゃん」とオスとして判断されているからだろう(私には愛犬アンディのオスのにおいがたっぷりと染みついているし、相棒の女性があなたは犬だからと言うから、実は犬のオスと見なされているのではないかと、かなり不安なのだが、私は人としてだと断固思いたい)。

もちろん、私はオスにもなつかれる。そしてオスに関してはちょっとした感動小話があるが、それはまたの機会に。ジェンダーの話もこのぐらいにして、ジェンダーフリーの方に話を進めることにしよう。

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あなたはイヌだから-1

2011年6月11日

最近、手応えを感じているというか、否定しようがないたしかな実感と自信さえ持ちはじめていることがある。それは「オレはかなり早く、犬ごころのなかに入れるな」ということである。初対面の犬でも、比較的簡単になついてくれたり、積極的な犬の場合、会ってから10秒たらずで、私の顔や手をいきなりペロペロと舐めたり、軽くなでただけなのに、お腹を思いっきり出してしまう犬にもかなり出くわす。

先日もこんなことがあった。動物病院の待合室で真っ黒のメスのトイプードルと目が合った。その犬とはその後何度も目が合い、移動すると目で私を追っていたので、近寄って彼女をなでた。予想通りにすぐになついてくれたが、飼い主さんの膝の上にいる彼女の顔は、立っている私のちょうどおしりから大腿部の側面に位置していた。そのまましばらくなでていると、彼女は頭部から顔を、ビターッと押しつけるようにくっつけてきた。そのまま佇み頭をなでる私、かなりの圧力で押しつけてくる彼女。膝の上に乗せている飼い主さんも思わず苦笑いをしていた。キリがないので、私は「じゃあね、バイバイ」と声をかけてその場を離れた。

別の席で待っていたホワイト×ブラウンのボーダーコリーに、今度は私が興味を持った。ボーダーといえば黒×白がポピュラーだが、最近このツートンのボーダーをいつもの散歩場所でも見かけるようになっていた。そしてその子もどういうわけかすぐに私になついてくれて、この前、飼い主の男性に、
アンディパパの姿を見つけてしまうと、もう行きたがって大変なんですよ」
と言われてしまった。そんなにその犬と濃密で長い時間を過ごしたわけでも、もちろんオモチャやオヤツをその犬に使ったこともないのだが、たしかに遠くから見ている視線を感じ、そちらを向くとその犬の姿があったことが2回はあった。そしてこちらに来ると喜びを全身で表現し、すぐにそのボーダーはお腹を出した。

最近そんなこともあったので、待合室にいるボーダーに私は興味を持ち、その犬の前でしゃがんでその犬にそっと触れた。「オスですか?メスですか?お名前は?」など犬飼い的世間話をしながら、私は彼女を(そのボーダーもメスでした)をなでていた。すると、フセをしていた彼女は身体を起こし、そして私の顔をいきなり舐め出した。それもベロベロではなく、少しはにかみながらといった趣きで、おしとやかにペロッ、ペロッといった感じで、正直、私は「この娘カワイイ!」と思ってしまった。

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シッポミュニケーション-2

2011年6月2日

犬と人間がコミュニケーションをはかっていく上で、特徴的なサインの1つが犬のシッポの動きであるということもあって、私は前回「シッポミュニケーション」という造語を使わせてもらった。

さて「シッポミュニケーション」について、具体例も交えて、もう少し書いてみたい。
「シッポミュニケーション」の典型的な流れを、愛犬のアンディを例に説明しよう。
(ヒト)静穏にくつろいでいるアンディの名前を軽く呼ぶ。
(イヌ)顔を上げ、こちらを見て、目が合うと少しシッポを振る
(ヒト)そのままじっとこちらが見つめていたり、私が一歩近づいたり、また「ゴハン」「サンポ」のように理解している言葉を続けて掛ける。
(イヌ)一瞬にして軽やかに立ち上がり、期待にあふれた笑顔でちぎれんばかりにシッポを強烈に振る。

これがアンディの日常である。

しかし、くつろいでいるのだが、様子や表情がなんとなくいつもと違っていたり、こちらを見ている視線を感じたりする場合は、当然私からかける声も言葉も変わってくる。

「何か持ってきてほしいの?」「水が飲みたいの?」「外が気になるの?」「オシッコしたいの?」「居心地が悪いの?」「顔を拭いてほしいの?」などなど、やさしい声で穏やかに彼にたくさん話しかける。かけた言葉やちょっとしたこちらのしぐさが、彼がそのとき求めているものにマッチすると、たいがい彼はシッポを動かして「そうそう、それそれ」と伝えてくる。

外が気になってしかたがないときに、私が玄関のベンチに登り、高窓から外を見わたして「誰もいないよとか、配達の兄さんだよ」などと報告してあげると、彼は納得してまた玄関でくつろぎ始める。寝そべっていたクッションの上のタオルがクシャクシャでしっくりきていないと感じているときに、それを直してあげると、ほんとうに「よくわかったね」と言っているような視線を返してくる。濡れた後の拭きとりが足りないと彼が感じているときに、新しいタオルで特に顔周辺をもう一度拭いてあげると、本当に満足そうにクッションなどの上で本格的に弛緩し始めたりする。

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シッポミュニケーション-1

2011年5月14日



ごくごく平凡な日常。机に座る私のかたわらで愛犬の「アンディ」や「セナ」は床の上で横になり、半分寝ているようにトローンとしている。ちょっと筆に、ときにはアイデアに行き詰まる私は、その愛犬たちに「どうするかな〜、アンディ」とか「なんかないかな〜、セナ」といった、彼らにはまったく意味のないひとり言を投げかける。すると彼らはパサッ、パサッとシッポを柔らかく振る。もしそのときにこちらを見て、おたがいの目が合ったときは、パシパシとシッポの振りはやや激しくなって床を叩く。人が言葉を投げかけ、犬がシッポで答え、そこに必ずアイコンタクトも加わる。犬と人はもう何万年もの長きにわたり、このなんでもないやりとりをあらゆるところで繰り返し、繰り返し、続けてきた。

「シッポミュニケーション」私はあえてこう呼ぶが、アイコンタクト・人の言葉・シッポの動きというこの3つがワンセットとなることが、犬と人との典型的なコミュニケーションの一形態だ。犬と暮らした経験のない方はピンと来ないかもしれないが、この「シッポミュニケーション」のなかには、意外と多くの情報が行き交い、両者の意思の疎通が頻繁に行われる。「シッポミュニケーション」を行っているときは、シッポを振っている犬の方はだいたいにおいて喜んでいることが多いが、飼い主の側も犬とのつながりをリアルに感じ、犬を飼っている喜びを最大に感じている瞬間でもあるのだ。

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愛犬は自分の内面までを映す鏡?

2011年4月28日

犬についての会話をしていると、会話相手が犬飼いの場合はもちろん、関係ない人のときでも私はよくこういうことを言う。それは「飼っている犬は、飼い主に似てくる」ということだ。このことは都市伝説的にも言われているようで、私も最初はその程度のマユツバもののことだと思っていたのだが、犬との生活が10年を軽く越え、多くの犬や飼い主たちと交流を重ねるにしたがって、個人的には深い確信を持つようになってしまった。

私は学者でも研究者でもないから、学術的な根拠に基づいて言っているのではないが、「○○くんはそのご家庭の旦那さんのマイペースなところが似ているし、最近は風貌さえもだんだん似てきた」、「△△ちゃんはスラッとした美人の飼い主に容姿がそっくりで、たぶんちょっと気が強いところも、甘え上手なところも似ているのではと感じている」、「□□ちゃんの鳴き声の甲高さは奥様のハイトーンボイスと同類だし、××ちゃんの女王さま的でちょっと意地悪な点は、うちの娘にそっくりだと、お父さんがひっそりと私に耳打ちしてくれた」などなど、「うんうん」とうなずいてしまう内容が多い。

さて、この話題の反応はというと、犬を飼っている人の場合はたいがい「そうそう」と飼い主に似てくるということに賛意を示してくれる。逆に犬のことをあまり知らなかったり、飼った経験がない人は「へえっ〜」と驚かれるケースが多い。

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