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僕の原点

2013年10月15日

今回は、このブログの最終回となります。以下、《一人企業ブログ》というタイトルに対して、一つの結論が導きだせたのではないかなと思う。

sg1一年ぶりにStartup Grind Silicon Valleyに参加した。Startup Grindとは、シリコンバレーを含む世界の各都市で定期的に開催されているトークイベントで、著名なアントレプレナーや投資家等が登壇して、100人に満たない小規模の会場で文字通りFireside Chat(キャンプファイヤーの横で膝を突き合わせて話を聞くような形式のトークイベント)が行われている。

ここは、僕がSteve Blankに初めてお会いできた場所であり、僕の旅の原点でもあった。今回、Startup Grindの創業者であるDerekが迎えるのは、TwitterやDiggへのエンジェル投資家として有名なMike Maple氏。今夜のセッションは、Mikeのこんな話で幕を上げた。

シリコンバレーは、ゴールドラッシュの頃から素晴らしいカルチャーが醸成されてきている街で、リスクを取ることや、新しいことに挑戦することに前向きだ。だから、ここでは、アントレプレナーはヒーローみたいに扱われるんだよ。

シリコンバレーに来て、半年が経とうとしている。がむしゃらに走ってきて、失敗も沢山してきたけれど、すべてが今につながっていると思えて、ポジティブに、前進できているのではないかと思う。旅の経緯としては、このブログのタイトルにもなっている一人企業の経営に終止符を打って、今年の2月に新たに米国デラウェア州にAppSocially Inc.というスタートアップを設立した。

AppSocially Inc.では、企業名と同じ製品AppSociallyという製品を提供している。これは簡単に言うと、モバイルのアプリを口コミで拡げていくためのプラットフォームだ。例えば、Instagramのような共有機能とか、Pathのような招待機能をちゃんと作り込むのには労力もノウハウも必要だ。けれど、それをあなたのアプリのソースに、たった1行追加するだけで、InstagramやPathのように世界的によく機能している口コミの機能(共有と招待のための画面やその背後の仕組み)を追加することができる。そして、それだけではなく、Facebook(Instagramを買収した親会社)やPathといった会社は、数十人規模のグロースチーム(成長=ユーザ獲得に特化した部署でエンジニアやデザイナー、データサイエンティスト、マーケター等からなるスキル横断チーム)を抱えていて、マーケティングやPRの視点からだけではなく、製品開発の視点から、ユーザ数を増やしたり、売上を増やしたりするために特化した施策をクリエイティブに実行している。AppSociallyを導入すると、世界的に機能しているのと同等の口コミ機能を簡単に導入できるのみならず、このグロースチームが行っているような、顧客データの分析から製品の最適化戦略の策定と実施までを、主に口コミに関連してユーザ数を増やすことに関連して、ワンストップで行うことができる。

話が少しそれてしまったけれど、こういう、世界にまだあまり類を見ない種類の製品に取り組んでいる理由は、この街のカルチャーが僕を育ててくれたことにある。一つ一つの出会いを大切にして、新しいアイディアやそれに挑戦する姿勢を互いに応援し合う風土がここにはある。そして、僕は折に触れて、この世界的にも希有なカルチャーが根付いた街で、自身の原点についても考えるようになった。

僕は、家族を含む、多くの人に支えられてきた。そして、どのように「支えられてきたか」といえば、まさに、このシリコンバレーに根付くカルチャーのように、僕の無謀にも思える挑戦を、温かく、厳しく見守りながら、ぽんっと背中を押してくれるようなしかたで応援してきてくれていたのだ。

僕の原点。それは、僕の両親にあるのではないかと思う。

フォックスとドイツコーチング風景ベッケンバワーによる講演風景(1980年、ドイツ)社会や周囲の状況に左右されることなく、正しいと思う道を信じて、挑戦を続ける血筋。それが、僕が父親から受け継いだものだ。父は、中学生時代に、日本ではほとんど知られていなかったサッカーを知り、高校に進学する際にサッカー部を創部し、全国大会にも出て、大学リーグでも活躍したらしい。卒業後は、サッカーを専門に学ぶために、当時未開の地である日本にとどまらずに、その先進国であるオランダ、ドイツに渡る。そこで、ヨハン=クライフやフランツ=ベッケンバウワーらと交流し、本場のサッカーを吸収して帰国する。帰国当時、FIFA認定のコーチは、日本国内には父を含む2人しかなかったらしい。その後監督を務めたチームのほとんどが大会で優勝した。

理由は、《走って蹴ることが基本》とされていた旧体育会系的な指導方針が一般的だった当時にあって、父は、欧州の指導方針や戦術を取り入れ、(今では普通になっているけれど)センターバックが得点王争いに名乗りを上げたり、サイドバックが攻撃参加をして攻撃の起点になったりしたために、対戦相手が全く対応できなかったらしい。僕の父親が、オランダのアヤックスが発明したトータルフットボールを日本に輸入したのだ。正しいと信じるものを追い求めて、欧州に渡った父は、本当に素晴らしいものを日本にもたらしたのだと思う。

上田栄治氏と草津女子国際サッカー大会青山学院大学でコーチをしていたときの教え子の一人が、父の元でトータルフットボールを学び、現在のなでしこジャパンの基礎を築いた上田栄治前日本女子代表監督である。また、父は、草津サッカー・フェスティバルという国際サッカー大会を主催し、米国のカリフォルニア州選抜を招聘し(米国の女子代表が世界のトップに君臨してきたことは周知の事実であり、カリフォルニア州は日本の静岡県のようなもので、ここから多くの代表選手が巣立っている)、日本のトップリーグや大学、高校の女子チームを集めて、将来の(つまり、現在の)なでしこが日本国内にありながら世界レベルでの国際経験を積むことができたのは、この大会が一役買っている。

これは僕の考えだけれど(また、父の教え子達も口を揃えててそう言っているのだが)、なでしこジャパンがワールドカップで優勝できた一因として、父の貢献があるのだと誇らしく思っている。その後、観光産業のみで苦しんでいた草津温泉が、サッカーの街としてもリブランディングし、Jリーグのチームを保有するまでになったのも、当時の父の努力と苦労を思い出すと、感慨深い。僕以上に、父自身がひそかにそう思っているのではないかと思う。

父は、その挑戦する姿勢を妬む人にも苦労をしたようだ。けれど、素晴らしい人たちが父の周りで”巻き込まれて”いくのも、僕は何度も目にしてきた。そして、そうして周りで人がついてきてくれるのには訳があって、お会いしたすべての人に対して、懇切丁寧にお手紙を出したり、一緒に撮った写真を送ったりしていたのだ。こうした、”マメ”に他人を大事にする姿勢が伝わったからこそ、多くの人が支えてくれたのだと思う。仕事としての大学では定年退職をしたけれど、まだまだ現役で挑戦を続けていって欲しいと思う。彼にしか見えないビジョンや、彼にしかできないことがまだまだたくさんあって、それを必要としている人が、世の中にはまだまだいると思う。

そんな父をずっと陰で支え続けてきたのが母であり、周囲を思いやりながら、人を尊敬して、感謝して、謙虚に、努力する生き方は、母親から教えてもらった。そして、同じように、今僕を一番支えてくれているが、僕の妻なのは言うまでもない。

この2人には、生命を頂いたこと以上に、感謝しても感謝しきれない。僕自身が父親になった今、このことを強く思う。

今回でこのブログは最終回となる。このブログは、僕の大事な友人である礒貝日月からの誘いで始めたのだけれど、そのきっかけを思い起こしてみると、日月の父親にお会いしたときに言われたことが思い出される。「おぃ、お前達若い奴らと、俺たち大人とで、それぞれできることが違う。何かデカいことを一緒にやりたいな!ワハハハハハッ!」 僕はいつだって、あなたと、そしてあなたの息子であり僕の親友でもある日月と一緒に、デカいことに挑戦し続けていますよ。

仏典にこんな話があると聞いたことがある。天国と地獄の違いを尋ねられた仏陀が、弟子に対して、その違いを教えるために、天国と地獄の“食堂”を見せたのだという。地獄の食堂には驚くことに豪華なご馳走が長いテーブルの上に並べられていた。食事の時間になってやって来た人たちは、我先にと料理を食べようとするが、箸で口に料理を運ぼうとすると箸が長く伸びてしまい、自分の口に入らない。何度も何度も自分の口に運ぼうとするが、結局誰一人として一口も食べることができず、不満と空腹を抱えて食堂を後にしていくことになる。次に天国の食堂に連れて行かれると、同じように豪華な食事が長いテーブルに用意されていた。けれど、一つだけ地獄の食堂と違っていたのは、箸が最初から長く伸びていたことだった。その弟子は、また食事ができないのかと思って眺めていると、全ての人が、向かいに座っている人に対して、その人が食べたいものを、食べたいと思うタイミングで、それを察しながら、長い箸を使って運んであげていた。そして、誰もが満足して食堂を後にしていったという。仏陀は、これを通して、天国と地獄には、そもそも大きな違いはなくて、あなたがいる場所を天国にするのも地獄にするのもあなた次第だ、ということを諭したという。

冒頭で、シリコンバレーにはリスクを奨励し、挑戦を応援し、他人を救ける風土があると書いたけれど、訂正しようと思う。世界中のどこにいても、同じようなカルチャーを作ることはできる。自分次第で。そして、僕は、シリコンバレーに来るずっと前から、僕の両親や日月の父親のみならず、家族や友人、会社をいっしょにやっているメンバーに、こうして支えられてきて今がある。日月と出会った慶應SFCというキャンパスも、まさにそんなカルチャーを持った場所だったと思う。僕が生かされてきた場所は、幸運にも出逢ってきたすべての人たちのお陰で、ずっと、シリコンバレーみたいな場所だったのだと、改めて思った。

Derekは、Startup Grindのセッションをこんな話で締めくくった。

sg2

今日もシリコンバレーの素晴らしいカルチャーについて話を聞けたね。今日ここに集まっているみんなは、是非、今この場所から、周りにいる誰かのために、どんなことをしてあげられるかということを考えて、実際に実行していって欲しい。そうやって、この街が成り立っているんだ。

米国カリフォルニア州マウンテンビューにて

高橋雄介
Founder and CEO, AppSocially