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127

2010年7月10日

127という数字がなにを表しているかご存知でしょうか?

これは、もともと、262と呼ばれていたものが、変化した状態を表したものです。

経営学博士の危機感

一般に、262の法則というのは、おもに人材について、上位の20%の人が能力や生産性の面で秀でており、中間の60%は平均的な能力の人材、下位の20%は能力や生産性が低いとされる経験則によるものです。

そして、この262が、今日127になりつつあるというのです。優秀で生産性の高い人材はわずかに10%ほどしかおらず、彼らに追従するような従来平均的と思われていた層もわずかに20%。そしてその他大勢が生産性の低い層であり、この最下層の人たちが日本国内における人材の平均的な大多数を占めるという割合です。経営学博士である高崎経済大学の茂木一之教授はこの状況の変化を危惧し、警笛を鳴らしています。

127, instead of 262

図1. 優秀で生産性の高い人材、平均的な人材、優秀とはいえず生産性の低い人材の割合が、20-60-20%から、10-20-70%に変化しつつある。

筆者自身、まわりの人材、こと若者について、優秀であるとか、そうでないとか、また、全体的な割合がこの数字にあてはまるのかどうか、経験的にはよくわかりません。しかし、正規の新卒採用のプロセスを経て、大量の新卒学生を評価した結果、最終的に「ひとりも採用できなかった」という企業がある昨今、この数字は、現実的なものなのかもしれません。

筆者のまわりの一人企業家たち

一方で、筆者の知るかぎりでは、多くの人(とくに同世代の仲間たち)は、みずからの意思で、事業を興しながら、多種多様な価値観で、さまざまな仕事をして活躍しています。彼らは、学歴の関係ない世界で、蓄えてきた実力と磨いてきたセンス、そして、多くの人たちとの関わりのなかで育まれてきた人格を武器に、厳しいなかにも、楽しそうに毎日を過ごしています。

この社会全体に漂う閉塞感にも関わっていそうな127という数字と、一方で、筆者が日常的に関わってきた多くの若者に見る生き方としての非凡さのあいだにある認識のギャップは、いったいどこからきているのでしょうか。筆者の知り合いが全員優秀で、彼らがみな上位の10%に入っているということは、かならずしもいえないように思います(筆者自身はそう信じていますが……)。
また、筆者の尊敬する一人企業家的な仲間たちと、生産性が低く能力が低いといわれる127の7の人たちとの違いは、いったいなんなのでしょうか。

この認識のずれや生き方の違いについては、今度、前述の茂木博士とともに、調査研究を行うことになりました。この研究成果については、おってみなさんとも共有できるようにしていきます。

一人企業が目指すもの

このギャップや違いについて、現時点での筆者の仮説としては、大きな違いはないと考えています。上位10%に入っていなくても、可能性として、事業を興したり、社会で活躍していくための重要な要素を、誰でも持っているのではないかと考えています。そして、それは、なにかのきっかけで簡単に開花することのできるようなものであって、潜在する個人の能力や意識に強く関係しているように思うのです。

みんなと違う言葉を話せる。みんなが作れないものを作れる。みんなよりも背が高い。みんなよりも多くの人の気持ちに気づける。

「個性」――それは、知識であり、技術であり、能力であり、経験であり、センスでもある一方で、人格であり、性格であり、 優しさであり、思いやりでもあります。身近にいなくても、世界中のどこかに、それを必要とする人や企業がかならずいると、筆者は確信しています。

世界中のどこかにかならず私を必要とする人がいる。これをサポートするのが一人企業です。

高橋雄介