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第33回 クリスマス・プレゼント

2013年1月19日

クリスマス・プレゼントの列に並ぶ住民たち。ドミニカ共和国、バニのテハダ邸にて
写真: クリスマス・プレゼントの列に並ぶ住民たち。ドミニカ共和国、バニのテハダ邸にて

冬の風物詩

常夏の島にも冬はやってくる。11月末、これまでの体にまとわりつくような蒸し暑さが消え、朝晩はシャツのうえにもう一枚はおるものが必要になる。このころを境に、別れ際に一言「よいクリスマスを!」と添えられ、人びとの挨拶がクリスマス仕様になる。日本の「よいお年を!」のようなもので、特にいつからという決まりはないが、寒くなるのにあわせて耳にする機会が増える。季節の変化を感じることの少ないドミニカにあって、風物詩とも呼べる貴重なことばとなっている。

普段は、その日暮らしに近い生活を送るバリオの人たちにとっても、クリスマスは特別のようだ。11月はあまり出歩かずに節約し、新しい服やプレゼントを買いそろえて来たる日に備える。このあたりも日本の正月に近い。クリスマス当日は、鶏を丸焼きにし、パンと一緒に夕食を家族でかこむ。晩酌の習慣はないが、この日ばかりはワインを空ける。ささやかだが、ひとつの区切りを迎えた厳粛な気持ちになる。

バリオではじめてのクリスマスを迎えた日の朝、私はもうひとつの風物詩を眼にすることになった。近所の人たちを荷台に積んだトラックが家のまえを通り過ぎていったのである。レイナにたずねると、バリオ出身の大リーガーであるミゲル・テハダが隣町の豪邸でクリスマス・プレゼントを配るというではないか。私はジョニーを誘って、バイクで追いかけることにした。テハダの豪邸にはすでに100人近いバリオの住民が集まっていて、プレゼントが配られるのを待っているところだった。

やがて使用人が現れると、住民を整列させ、正門からひとりずつ順番に招きいれた。出てきた人びとの手には大きなビニール袋が握られている。なかには鶏肉、パスタ、缶詰、カップラーメン、シリアル、小麦粉、砂糖、コーヒーなどの食料品が、溢れんばかりに詰めこまれていた。聞けば、毎年クリスマスの日に、こうして食料品を配っているとのこと。これを大リーガーになってからの10年間、欠かさずにつづけているというのだから、頭がさがる。テハダ邸を後にする住民たちの足取りは、心なしか軽く見えた。私もちゃっかり袋をせしめたから、その気持ちがよくわかる。

フィールド・オブ・ドリームス

「それをつくれば、彼が来る」という声を聞いた男が、トウモロコシ畑を切り拓いて野球場をつくるのは、ケビン・コスナー主演の映画だ。スタジアムには、野球選手の夢を諦めた男たちが集まり、夢と現実がまじりあう幻想的な雰囲気につつまれる。映画の終盤、「ここは天国か?」と聞かれた主人公が「夢のかなう場所さ」と答える場面が印象に残る。

ドミニカ版フィールド・オブ・ドリームスは、また違う趣を放つ。テハダは故郷のバリオの子どもたちのために、本当に野球場をつくった。2004年のクリスマスのことだった。球場の落成式には、スポーツ大臣や現役の大リーガー、バニ市長などが来賓として招かれ、バリオの子どもたちがグランドを埋めつくすなか、テハダは挨拶にたった。
「大リーガーになったその日から、いつか生まれ故郷のバリオに恩返しをしたいと思いつづけていた。ありがとう。どうぞ受け取ってください……」
声をつまらせ、最後はことばにならなかった。11人兄弟の貧しい家で育った幼少時代。食を乞うために、鍋をかかえて近所の家を訪ね歩いた。小学校をやめ、靴磨きで家計を助ける日々。テハダにとって、野球選手になる夢だけが、ややもすると折れてしまいそうになる心を支えたのだった。

こうした試練を乗りこえた彼に、神は野球選手という天職を与え、貧しいバリオを救済する使者としての役割を担わせたのではないかとさえ私は思う。そのように考えないと、バリオへの恩返しに、毎年クリスマス・プレゼントを配り、野球場までつくろうとする気持ちを理解できないのである。

彼もまた、天からの声を聞いたのではなかったか。テハダのつくった野球場はもちろん天国なんかではないけれど、プロ野球選手をめざすバリオの子どもたちにとって、間違いなく「夢のかなう場所」となった。

〈付記〉

2005年以降、この球場から3人の少年がアカデミーのトライアウトに合格し、高額の契約金を手にしている。