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第29回 ソーナ・フランカ

2011年4月27日


写真:ソーナ・フランカの作業風景。ドミニカ共和国バニにて

ドミニカ経済の救世主

天井の低い体育館のような建物に作業机が何百台と並んでいる。その頭上には、手もとを照らすための蛍光灯がぶらさがっている。ミシンで袖を縫いつけるもの、アイロンで皺をのばすもの、ボタンを手作業でとりつけるもの。私が訪ねた建物だけでも500人ちかい労働者がいた。大半は女性であるが、男性の姿もちらほら見かける。彼らがタンクトップやTシャツという普段着のまま仕事をしているのが、私には新鮮だった。

「こんなところで何してるの?」と声をかけられた。見れば私の調査地に住む女性である。このとき、ひとつの風景にすぎなかった空間に生の営みが満ちてきて、俄然、いきいきと輝きはじめた。ひとりひとりの顔に表情がうかびあがり、はっきりと自己主張をはじめた。ソーナ・フランカ、おもしろそうじゃないか……。

ドミニカ経済の低迷で失業者が増加した1980年代後半。救世主との期待をうけて現れたのがソーナ・フランカ(フリーゾーン)―海外から衣類などの未完成品を持ちこんで、工場で製品に仕立て、第三国(おもにアメリカ)に輸出するもの―である。ドミニカ政府は原材料の輸入に対して関税を課さない。ほとんどの工場は、地方都市の郊外に建てられていることから、その目的は地域の雇用対策である。実際に、ドミニカの地方都市では安定収入を得られる企業の数は少なく、日雇いの建築作業員かコンチェロ(バイクタクシーの運転手)、チリペロ(行商人)などのインフォーマル・セクターに従事する労働人口の割合が高い。ソーナ・フランカが導入されたとたんに失業率が一気に改善したことを考えると、救世主という表現もあながちおおげさではないだろう。

冒頭の工場は、バニ市街から塩田で有名なサリーナスへと向かう道路沿いにある。韓国人が経営するこの工場には、GAPのポロシャツなどの衣類が、お隣の国ハイチから袖と胴の部分が別々に梱包されて送られてくる。それをこの工場で縫いあわせて製品化するのだ。人口10万人のバニ市にあるこのソーナ・フランカで、2,000人ほどの従業員が働いているのだから、かなりの世帯がこの工場によって安定収入を得ていることになる。

ソーナ・フランカの効用

バニ市はドミニカ国内でも有数の移民送出地域である。年間を通じて温暖な気候にめぐまれているため、かつては農業が盛んであった。コメにユカ、プラタノにマンゴー、サトウキビにコーヒーといったドミニカの食卓には欠かせない主要農産品の生産地として知られていたし、ほとんどの住民が農業に従事していた。ところが、農作物の国際価格が低下するのに呼応して、農業離脱者が増加する。農業を放棄した人びとは雇用をもとめて首都サント・ドミンゴへと向かった。そこにアメリカへの移民ブームが拍車をかけ、いまでは農業に従事するものを私の調査地ではほとんど見かけなくなった。

この移民ブーム、じつはソーナ・フランカがうみだしたともいえる。ソーナ・フランカで働いた経験は、インフォーマル・セクターでの労働に従事していた地方都市の人びとに、安定収入への渇望を植えつけた。

「夫はコンチェロ(バイクタクシーの運転手)だけど、一日に稼いでくるお金なんて知れてるわ」こう語るのは、さきほど声をかけてくれた女性。彼女は28歳ながら、すでに3人の子どもの母親である。末の子が3歳になり、おばあちゃんに預けられるようになったのを機にここで働くようになった。家に着くころにはぐったりと疲れきって、ベッドに横たわる毎日という彼女だが、「15日おきに確実に決まった額をもらえる魅力にはかえがたいわ」とのこと。とはいえ、月額にして5,000ペソ(約1万2,500円)ではとてもじゃないけど贅沢はできない。このところずっと考えているのは、「やっぱり、ヌエバジョルク(ニューヨーク)だわ」。

彼女の移民願望を熟成したのは、安定した雇用制度を提供するソーナ・フランカだった。また、彼女のようにドミニカでアメリカ的なるものに触れた人たちが、近い将来、アメリカに渡って行くケースが少なくない。ソーナ・フランカで「潜在移民」が養成されているのだ。

アカデミーとソーナ・フランカ

第20回にベースボール・アカデミーをとりあげたが、そのアカデミーとソーナ・フランカには驚くほどの共通点がある。現地で安価な原材料(野球少年)を調達し、工場(アカデミー)で会社(球団)が製品を選別して加工をほどこし(トレーニング)、アメリカの基準にあった製品(選手)だけをおくりだす形態である。それだけではない。夢かなわず、アカデミーを去った選手の多くが「潜在移民」となり、のちにアメリカに渡っていくことまで同じなのだ。

作業や練習を眺めているうちは、工場労働者や野球選手というイメージにすぎなかった人びとが、彼らがなにを経験し、なにを感じているのかを知ることで、無機質な風景に血が通いだす。肉声にふれなければなにもわからない。そんなあたりまえのことをソーナ・フランカが教えてくれた。

(隔週日曜更新)