野球+越境する漂流者たち


第19回 野球狂出国記

2010年10月31日

ラジオの野球中継を聴くロヘリオ。ドミニカ共和国、バニにて
写真: ラジオの野球中継を聴くロヘリオ。ドミニカ共和国、バニにて

コン・マチェーテの旅

携帯電話に見覚えのない番号から着信があった。ドミニカでは人の電話を借りてかけることが多いから、特に気にもせずリダイヤルのボタンを押す。何度目かの呼び出し音の後で、耳に飛びこんできたのは、2か月前にプエルト・リコに旅立ったはずのロヘリオの声だった。

独特の早口でまくしたてるスペイン語で、なんとか聞き取れたのが、昨日プエルト・リコから強制送還されて、首都に着いたところだという言葉だけだった。再会の約束をして電話を切った私は、無事でよかったと安堵する一方で、「またダメだったのか」と、ロヘリオの悲運になんともやるせない思いが残った。

ひと昔前、ビザ(査証)を持たないドミニカ人がアメリカに渡るには、隣島のプエルト・リコを経由するのが一般的だった。まだ海上保安船による監視が強化される以前の話である。夜の浜辺に集まった40人ほどの集団が、声をひそめ、闇夜にまぎれ、ジョラ(Yola)とよばれる小型船で漕ぎだしていく。彼らを待ち受けるのは、2日間におよぶ空腹との闘い、遭難への恐怖、獰猛なサメ、たどり着いた先での警察の追っ手……それでも、危険を犯してまでも、わずかな可能性に賭けるのだ。そんな冒険譚をなんど耳にしただろうか。

最近、相次ぐ難破で命を落とす事件が頻発するようになると、空路でメキシコに入国し、そこから陸路アメリカを目指す方法が主流となった。ドミニカの人びとはこうしたアメリカへの密入国行を、畏敬の念をこめてコン・マチェーテ(山刀持参)の旅と言い習わしてきたのだ。

熱狂的なファンとして

二度目のプエルト・リコ行きが失敗に終わり、強制送還されたロヘリオは、以前の生活に戻っていった。椅子を家の前に持ちだして、ラジオの野球中継に耳をかたむける彼の姿を見かけると、なぜかほっとするのだった。ある日、ふらっと立ち寄ったバンカ(野球賭博場)にロヘリオがいた。私に気づいた彼は、興奮気味にメキシコのビザを申請したことを教えてくれた。まだ、諦めていなかったのだ。しかし、大丈夫だろうか。というのも、メキシコ経由でアメリカへ渡るドミニカ人が増えるようになってからは、メキシコ領時館がドミニカ人に対するビザ発給要件を厳しくするようになったと聞いていたからだ。ロヘリオに勝算はあるのだろうか?

在ドミニカアメリカ領事館のビザ発給ポリシーは明快だ。極力発給しない、である。表面的には、何種類かの書類を用意して申請すれば審査後に発給されることになっているが、そこに立ち塞がるのが、内偵調査である。面接までに申請者の近辺を調査し、提出された書類と実際の生活の整合性をチェックするのだ。メキシコ領事館も、ここ数年でアメリカほどではないが、申請書のチェックを厳しくするようになってきた。

ロヘリオがメキシコへのビザを申請した時期は、ウィンターリーグ(国内のプロ野球リーグ)の優勝争いが佳境に入った時期と重なっていた。上位2チームによるプレーオフには、リセイとアギラスという人気チームが駒を進めていた。つまりいずれかのチームが、その年はメキシコで開催されることになっていたカリビアンシリーズに出場するのである。この両者、日本の阪神と巨人の関係に似ているといえばわかりやすいだろうか。両チームのファンはそれぞれ、リセイスタとアギルーチョと呼ばれ熱狂的なファンとして有名である。

骨の髄までリセイスタのロヘリオは、ビザの申請にこの情況を利用した。渡航目的の欄に「メキシコで開催されるカリビアンシリーズで、リセイの試合を観戦するため」と記入したのである。申請から数日後に、面接の日はやってきた。首都にある領事館に向かうロヘリオの頭には、もちろんリセイの帽子があった。

リセイスタの誤算

ロヘリオに面接でのやりとりを聞いてみた。「メキシコへの渡航目的を聞かれたので、申請書に書いたとおりに、俺はリセイスタだから、メキシコに行ってカリビアンシリーズで応援したいと言った。すると係官が、もしアギラスが優勝したらどうするのか、と聞くので少し迷ったけど、ドミニカの代表だからアギラスが勝っても応援に行きたいと答えたんだ」とのこと。話の最後に、可能性は50%かなと漏らしたのが私には引っかかった。

その2日後。リセイがプレーオフを制して、チャンピオンに輝いた。ここまでは、ロヘリオの目論見があたった恰好だ。贔屓のチームも優勝して上機嫌で、ビザも手に入ったかのような気分で皮算用をはじめる始末。ボストンにいる姉に電話をして、「そっちはまだ寒いだろうから上着が必要だな」などとやっている。

一週間後。いつものように雑音まじりでほとんど聴こえないラジオに耳を押しあてているロヘリオを見かけた。ラジオは、メキシコで開幕したカリビアンシリーズの中継を流していた。あの時、「リセイが負けたらメキシコには行かない」と答えていればどうなっていただろうか。コン・マチェーテの旅とは、幸運をひとつずつ積み重ねて行く旅なのかもしれない。またひとつ悲運を重ねたロヘリオ。いつになればアメリカまでたどり着けるのだろう。当の本人は、こちらの思いなどおかまいなしに、「ドミニカが3対0でベネズエラに勝ってるよ」と教えてくれた。



著者紹介

窪田 暁 (くぼた・さとる)

窪田 暁 (くぼた・さとる)

1976年奈良県生まれ。総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)、奈良県立大学専任講師。専門はスポーツ人類学、国際移民研究。ドミニカ共和国をはじめとする世界各地で、国境を越えて展開するスポーツと人びとの関わりを研究している。

おもな著書に、「グローバリゼーションとスポーツ移民-ドミニカ共和国の「野球移民」」(早稲田大学スポーツナレッジ研究会編『グローバル・スポーツの展望と課題』、創文企画、2014年)、「「野球移民」の誕生-ドミニカ共和国における移民像の送出過程」(『総研大文化科学研究』第10号、2014年)、『世界地名大辞典第9巻<中南アメリカ>』(共著、朝倉書店、2014年)、『世界民族百科事典』(共著、丸善出版、2014年)などがある。

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