野球+越境する漂流者たち


第3回 約束――その不確かなもの

2009年9月4日

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写真:ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスの青年。神妙な顔つきは何を思う

「今日」と「明日」

約束は破られるためにあるといったのは誰であっただろうか。ドミニカに暮らしているとこの言葉の意味を考えない日はない。調査滞在中の身ゆえ、週に何度かはインタビューに出向くことになる。事前にアポイントはとっていくのだが、不在で会えないことが多い。あとで電話をすると、急用ができたとか家族が急病になったとかさまざまな答えが返ってくる。そのときには次に会う約束だけをしておとなしくひきさがることにしている。しかし、こんなことが二度、三度と続くとこちらの気持ちもなえてくる。もう調査なんかどうでもいいかと投げやりになる。そんな日には、近所の公園で日陰のベンチに座り、何をするのでもなくぼーっと過ごすことに決めている。絞りたてのオレンジジュースを飲んで気持ちが静まるのをゆっくりと待つのだ。

日本では、約束を破るのはあまりいいこととはされていない。「仏の顔も三度まで」ということわざがあるように、一度、二度なら大目にみてもらえるが、度重なれば信用を失ってしまうであろう。しかしこれは、約束をまもることを前提としている社会に限った話である。そうではない社会では、約束がもつ意味とはなんであろうか。

二杯目のオレンジジュースを飲みながらこれまでの約束を振りかえってみた。不思議なことに、果たされなかった約束のほとんどは「明日」以降のものであった。反対に、「今日」の約束はたいていの場合が実行されてきた。このことには、こちらの人びとの「今」という一瞬を大切にする生き方が大きくかかわっているのではないだろうか。約束はその性質上、「未来」と切り離しては存在しえないが、彼らにとって不確かな「未来」のことは大きな意味をもたないのである。それは、私たちが不確かな「未来」を確実なものにするために「今」を生きようとすることと正反対に位置する考え方ともいえよう。明日のことは明日にならなければわからないではないか。そうであるとしたら「明日」以降の約束をすることにあまり意味がないのは当然である。

メンティーラ・ブランカ(白い嘘)

約束が果たされなかった理由はもうひとつある。単純に会いたくなかったのである。どういうことかというと、こちらでは頼みごとをされた際にはっきりと断ることはあまりない。とにかくなにかと言葉を並べ立てて遠まわしに伝えるのである。会いたくない人に「明日いくよ」といえば、それはすなわち「会いたくない」というメッセージを相手に送っているのだ。こちらではこのことをメンティーラ・ブランカと呼び、ついてもよい嘘とされている。私がアポイントをとった相手と会えなかったのも行間を読みきれなかったということになる。「今」という一瞬を大切にするということは、「今」目のまえで話している相手を喜ばすことでもある。メンティーラ・ブランカははっきりと断って相手を落胆させないための礼儀作法とも理解することができる。

どのくらいベンチに腰掛けていただろう。紙コップの底では氷が溶けはじめている。約束が果たされなかった理由もすっきりとしてきたように思えてきた。そろそろ家に帰ろうと腰をあげたとき、モトコンチョに支払う小銭が足りないことに気がついた。紙幣をだすとお釣りがないといってぼられてしまうから、あるだけの小銭を払って、「大きい紙幣しか持っていない」といって我慢してもらおう。きっと運転手も「メンティーラ・ブランカだな」と行間を読んで許してくれるにちがいない。

(つづく)



著者紹介

窪田 暁 (くぼた・さとる)

窪田 暁 (くぼた・さとる)

1976年奈良県生まれ。総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)、奈良県立大学専任講師。専門はスポーツ人類学、国際移民研究。ドミニカ共和国をはじめとする世界各地で、国境を越えて展開するスポーツと人びとの関わりを研究している。

おもな著書に、「グローバリゼーションとスポーツ移民-ドミニカ共和国の「野球移民」」(早稲田大学スポーツナレッジ研究会編『グローバル・スポーツの展望と課題』、創文企画、2014年)、「「野球移民」の誕生-ドミニカ共和国における移民像の送出過程」(『総研大文化科学研究』第10号、2014年)、『世界地名大辞典第9巻<中南アメリカ>』(共著、朝倉書店、2014年)、『世界民族百科事典』(共著、丸善出版、2014年)などがある。

(株)清水弘文堂書房

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