いつか、どこかへ ドォッカーデー


第三国定住制度 ―カレン難民と日本の難民制度の未来―

2010年9月30日

出国直前のカレン難民と日本ビルマ救援センターの面会。メーラ難民キャンプにて(提供:日本ビルマ救援センター)
写真: 出国直前のカレン難民と日本ビルマ救援センターの面会。メーラ難民キャンプにて(提供:日本ビルマ救援センター)

カレン難民来日

2010年9月28日、第三国定住制度により、カレン難民3家族18人が来日した。
今年度日本政府が受け入れるのは、5世帯27人である。5家族のうち2家族に体調不良者がでたため、残り9人は後日来日する。この5世帯は、日本行きを希望してやってきた人たちである。

これに先だつ9月23日、市民団体の日本ビルマ救援センターが開催した「国境訪問報告会」で、来日予定のカレン難民と面会したときの報告があった。報告によれば、来日する家族は、先進国での農業や機械などのものづくりの技術を学ぶこと、子どもの教育、そして、人間らしい生活に期待を寄せて来日した。

彼らはこれから半年間、首都圏で日本語や生活習慣などに関する研修を受けて、日本社会での生活をはじめる。第三国定住制度の導入は、アジア初の試みで「難民鎖国」の汚名返上が期待されるが、この「報告会」のなかで気になったことがふたつある。

ひとつ目は、研修を受けた半年後の生活について。ふたつ目は、すでに条約難民として定住している人からの指摘である。

「難民まかせ」の定住策?

彼らの今後の計画はどのようになっているのだろうか。
限られた情報から推察するに、政府の方針は、研修後の生活は「難民の要望にまかせる」というものである。よくいえば、難民の思うとおりに定住生活を送れるということになるが、これは、「自立」と「自己責任」の名のもと、難民を放置することにもなりかねない。政府は、3年間にわたる「試行プロジェクト」の具体的なゴールすら、明示していない。

日本ビルマ救援センターや、難民支援協会などの支援機関が指摘しているように、研修を受けた半年後の具体的な定住案は、じっさいのところ「白紙」である。要請があれば支援提供を打ち出す方針の団体もあるが、政府の方針が明らかではないので、動きようがない(注1)。

これまで日本政府は、1万人のインドシナ難民を受け入れた「実績」がある。しかし、いまだに生活保護をうける在日ベトナム人や、十分に日本語を操ることのできない在日ラオス人がいる現実は、いかに総括されているのだろうか。定住のための道筋が確立していないなかでの手探りの生活が続くことは、想像に難くない。

難民の地域社会への統合が、理想的なゴールとなるだろう。将来的には、政府に頼らない市民レベルの息の長い支えが必須だろう。しかし、理想を現実のものとするには、日本政府の条約難民への処遇も含めた難民政策に関する思想が必要ではないだろうか。どのような展望のもと難民を受け入れるのか、条約難民とのかねあいはどうするのかといった方針と思想は、まったく見えてこない。

27人のカレン難民は、日本での農業、ものづくりや教育といった具体的な希望をもって来日する。
政府は、選考段階で当事者たちの要望を把握しているはずである。ならばなおさら、難民の希望が絶望にならないよう、それに沿った具体的な受け入れ方針を明確化するべきである。

日本政府が受け入れる難民は、3年間で90人である。世界からはたった90人と冷ややかに眺められているが、この数字の意味は重い。というのは、かならず成功させなければならないからである。万が一、90人すら定住できないことがあれば、それこそ国際社会に恥をさらすことになる。

少ない受け入れ人数には、かえって手厚い保護を与えられるという利点もある。しかし、それにも「功罪」がある。それが、報告会で気になった2点目である。

「お客さま」としての難民?

この報告会に聴衆として参加していた条約難民(政府から難民と認定された人)のHさんは、第三国定住制度で来日する難民について、以下のような主旨の懸念を表明した。

「私たちが難民認定を受けるまでには、何年もかかったし、そのための通訳や翻訳のための手続きや費用は、ぜんぶ自腹でした。ほんとうに大変だったけど、私たちは闘うつもりだったので、それに耐えることができました……日本で暮らしていくには漢字を読めないと大変だし、いろいろな苦労がある。そんな苦労に、手厚い保護をう受けてやってくる難民が耐えられるのでしょうか。逃げてしまうのではないでしょうか。それが心配です」

Hさんは、自身の経験から、手厚い保護のもとやってきた難民が、その後の日本社会での荒波に、果たして耐えられるのだろうか、という率直な懸念を表明しているのである。また、何年もの月日を費やし、裁判に耐えてきた条約難民や、係争中の難民の目線から見ると、第三国定住制度を利用してやってくる難民は、日本政府が出迎える「お客さま」に映る。歓迎される難民と、招かれざる難民、両者を区別するのはいったい何なのだろうか?

この点は早くから指摘されてきたことだが、第三国定住を利用する難民に手厚い保護を与えるならば、現行の閉鎖的な難民認定制度を抜本的に見直す必要があるだろう。2009年に難民認定されたのは、わずか30人にすぎず、不認定者数は1703人である(注2)。

もちろん条約難民と、第三国定住制度を利用する難民、どちらが大変だとか、どちらが恵まれているかは一概にはいえない。前回の原稿で少し触れたように、第三国定住の申請は、キャンプ生活から抜け出すための安易な選択ではなく、その後の人生を賭けた選択である。一生を賭して来日するという意味では、両者に大差はないだろう。

今後の受け入れと定住にむけて、さまざまな問題点が出てくるのは、想像に難くない。このさい、問題点をすべて洗いざらい出してしまうのがいいと思う。「問題」としてとりあげられないかぎり、忘却されるのが、「難民問題」の常であるからだ。


注1:例えば、これまでに、滝澤三郎氏(元UNHCR駐日事務所代表、第三国定住制度の推進者のひとり)が率先し、松本市が「信州発国際貢献の会」を発足させている。

注2:「難民認定申請数・認定数の推移」、全国難民弁護団連絡会議



著者紹介

久保忠行

久保忠行 (くぼ・ただゆき)

1980年、兵庫県に生まれる。2003年、大阪府立大学総合科学部人間科学科を卒業。同年から神戸大学大学院総合人間科学研究科へ進学。2006年に修士課程を修了し、2011年に同大学院の博士課程を修了(博士・学術)。同年4月から日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア研究所に在籍。現在、タイ・ビルマ国境地域と日本の難民に関する人類学的な研究に取り組んでいる。

おもな業績に、「ビルマの『国民和解』に関する予備的考察―カレンニー社会から」、(『神戸文化人類学研究』、第2号、2008年)、「タイの難民政策――ビルマ(ミャンマー)難民への対応から」(『タイ研究』、第9号、2009年)、「難民の人類学的研究にむけて――難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』第75号第1巻、2010年)、「難民キャンプにおける伝統の復興―難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』第37輯、2011年)、『ミャンマー概説』(共著・めこん・近刊)などがある。

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