清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO

1. イヌイットとは?

イヌイットとはカナダ、北極圏におもに住む先住民族のことをいう。日本では”エスキモー”という言葉がよく使われているが、カナダにおいては蔑称とされており、今ではイヌイットという言葉が主に使われている(アラスカ、東シベリアなどは別)。イヌイットはイヌクティトゥト語(イヌイットの言語)で「人間」という意味である。

2. ヌナブト準州とは?

1999年4月1日、カナダにヌナブト準州が誕生した。ヌナブトとは、イヌクティトゥト語(イヌイットの言語)で「私たちの土地」を意味する。準州の面積は広大で、カナダの国土の五分の一を占める。ヌナブト準州の土地は、旧ノースウェスト準州のおもに東側部分により構成されている。ヌナブト準州の人口約30,000人の85パーセント以上がイヌイットであるとされている。イヌイットの人々にとって、昔からこの土地は、彼らの土地であった。新準州誕生は彼らの長年の夢であり、それがようやくかなったといえる。

3. 本「ヌナブト」について

ヌナブト準州、そしてイヌイットの人たちをテーマに20歳の現役大学生が本を出版した。なぜ20歳の大学生がヌナブト準州、イヌイットに興味を持ち、本を出版するに至ったのか? それまでの過程にはいろいろな物語りがあった。10年前父親と初めて行った北極圏の無人島、そこで見たシャーマンの白骨死体、北極圏に詳しい作家 C. W. ニコル氏との出会い、慶應義塾大学のAO入試、マイナス40度の現地での生活、国立民族博物館での梅棹忠夫先生との出会い、などなど。カナダ、ヌナブト準州厳冬期での生活と現在極北の民イヌイットがどんな生活をしているのか、そして、本出版までの数々のエピソードを満載。2月の厳冬期にカナダ、ヌナブト準州を中心とした北極圏を訪れ、その日、その日を克明に綴った北極圏彷徨記。「手で考え、足で書く」をモットーにカナダ、ヌナブト準州を彷徨した若者の記録をお楽しみください。(本書帯より)

「ホワイト・ホエールことベルーガ漁を行った。朝の10時から夜の9時まで5艘のボートで11時間かけて体長3メートルほどのベル-ガをつかまえることができた。モリを打ちこむ役を徹底的に若者にやらせ、伝統的なクジラ漁の方法を若者たちに伝承しようとしている(イヌイットのベテラン漁師の)姿に心底心打たれた。何度も何度も若者にモリ打ちをチャレンジさせる。そんな彼らのひたむきな姿が、私の脳裏に焼きついている。(本書『EPILOGUE』より)」

極北彷徨

極北彷徨⑤ ふたたび、ヌナブトへ

2010年2月26日


ランキン・インレットの飛行場。2010年2月撮影

3年と半年ぶりの現地訪問である。厳冬期となるとおそらく9年ぶりである。デルタ航空便でアメリカ合衆国ミネアポリスを経由して、カナダ国マニトバ州ウィニペグへ。ウィニペグで1泊し、ファースト・エアー便でヌナブト準州ランキン・インレット着。

2時間30分のフライト。定員24名のなか乗客は3人。それに対し、フライト・アテンダントは2人。パイロットもあわせたら、従業員のほうが多いじゃん、と思わずつっこみたくなる。あいもかわらずの極北の航空便は不採算路線である。政府の援助なしではやっていけないはずだ。飛行機内に響くエンジンの轟音と窓から見える真っ白な平原風景。平原という言葉は正しくないか。ただただ平坦な雪氷景色。

飛行機が空港に着くと、イヌイットの空港職員が2人飛行機に寄ってくる。独特の微笑を浮かべ、猫背である。猫背というのはモンゴロイド人種の特徴なのであろうか。猫背の人間は世界中どこでもいるだろうが、アジア人種に多いと感じるのは気のせいだろうか。閑話休題。2人とも飛行機の停止位置にポールを置くと、仕事そっちのけでふざけあっている。なんだかイヌイットらしい光景だ。

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極北彷徨④ 生命、それはきれいな水に宿る

2009年12月15日

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アザラシ猟をするボート。2005年8月撮影

「きれいな水に生命は宿る。私たちはそのことに感謝しなければならない」
河口に北極イワナを捕まえるための定置網を仕かけおえ、川の水を手に取り飲んだ後、30代のイヌイットの男性は上記の言葉をつぶやいた。

カナダ・ヌナブト準州のほとんどのコミュニティは湾沿いにあり、海にかこまれるようにある。夏の極北の海は穏やか。日本海のような荒々しい顔はなく、波ひとつない海面は鏡のよう。鏡のなかで気持ちよさそうに泳いでいる茶色い藻。ときおりこちらを伺うように顔をだすアザラシ。イッカククジラの長い牙が水面に波紋をつくり、ベルーガは優雅に水中で踊る。極寒の地ながら、極北の海の生態系は豊かだ。

だが、近年、海洋汚染を示すような事例がいくつか挙がっている。たとえば、イヌイットの女性の母乳からカナダ南部の女性のそれと比較し、濃度が何倍もある水銀が検出された例がある。狩猟採集のみの生活形態ではなくなったものの、海洋生物を補食しながらの生活は今なお続いている。汚染物質が大気に流れ、それが雨となって、極北地帯に舞い降りる。そして、食物連鎖で人間の体にいきつく。元々は人間による汚染が人間にいきつくのだから、皮肉な話だ。

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極北彷徨③ カナダ極北地帯で先進7か国財務省・中央銀行総裁会議(G7)を開催できるか

2009年11月20日

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ヌナブト準州州都イカルイトの空港。2005年8月撮影

2001年2月28日のことである。北極点を目指す最前線基地が置かれるレゾリュート・ベイからオーロラの町イエローナイフに行き、それから、ヌナブト準州中部の町ランキン・インレットに向かった。日本ですべての飛行機便を予約しており、その日のうちに、州都のイカルイトに移動する予定だった。ランキン・インレットの天気は快晴。しかし、イカルイトは悪天候。予定していたファースト・エアーの便は飛ばず、数時間遅れで、カナディアン・ノースの便に乗って、イカルイトに向かうことになった。

飛び立ったはいいが、現地周辺に行くまで飛行機が無事到着できるかわからない。窓の外を見ると、飛行機はぶ厚い雲に覆われ、氷雪が激しく降っている。心弱き私は不安な気持ちに包まれていたのを覚えている。アナウンスによると、着陸を試みるとのこと。激しく揺れる飛行機。機内の人からはジェットコースターに乗っているかのような声が。飛行機は無事着陸した。あれから、極北地帯の飛行機に何度も乗っているが、あれほどの揺れと恐怖を感じたのはあのときが最後だ。着いたら着いたで、タクシーはストライキ―中。気温マイナス22度のなか、飛行場から町の中心部まで重い荷物を背負いながら、冬の行進。あの日のことはいまでも鮮明に思い出すことができる。

ことの顛末は拙著『ヌナブト イヌイットの国その日、その日 テーマ探しの旅』に詳しく書いてあるが、このことを思い出したのは、昨日読売新聞である記事を読んだからである。

2月のカナダG7、-23・8度のイカルイトで」という記事によると、来年2月5~6日に先進7か国財務省・中央銀行総裁会議(G7)がカナダ・ヌナブト準州州都のイカルイトで開催されるようだ。開催理由としては、「環境保護と北極圏開発の両立を目指すカナダの姿勢をアピールする狙い」があるらしい。記事には、「極寒の地で重要な国際会合が開かれるのは異例。カナダのメディアも開催地決定について『参加者は無事に集まれるのか』『毛皮商人や冒険家の追体験を堪能できるだろう』と驚きと皮肉交じりに報じている。」とある。

現地を知っているだけに、来年どのようになるか、不安でもあり、楽しみでもある。


極北彷徨② ベルーガが集う夏の日

2009年8月18日

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ホエール・コーブ村のベルーガ漁のようす。2006年9月撮影

2000~2006年までほぼ毎年、カナダ・ヌナブト準州を訪れていました。一番訪れたことがある季節が7~9月のこの季節、夏であります。夏といっても、気温は10度前後。暑い日といっても、15度ぐらい。9月にもなると、0度近くになり、雪が降ることもたびたびあります。

ハドソン湾に面したホエール・コーブ村。人口約300人のうち9割はイヌイットです。1日のほとんど太陽が隠れている冬から太陽が顔をだす夏の日。それを待っていたかのように、村の周辺にはベルーガ(シロイルカ)が集います。ベルーガ周遊を海に面した家の人が発見すると、村中の電話が鳴り響きます。また、無線機で発信。
「ベルーガがいた」

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極北彷徨① カナダ・ヌナブト準州誕生10周年

2009年4月3日

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ヌナブト準州議会内の準州旗。
2005年9月撮影

初めてカナダ極北地方を訪問したのはいまから約19年まえの1990年7月、10歳のころでした。バフィン島にあるフロビッシャー・ベイ(現ヌナブト準州州都イカルイト)から飛行機に乗り、パングニルトゥングへ。そこから船外機付きボートでと一緒に無人島へ。無人島で作家のC・W・ニコルさんと3人で1週間ほど過ごしました。そのころの原体験から、極北および先住民イヌイットに魅せられ、イヌイット研究を志したのが1999年、18歳のときです。

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