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第2回 拡大家族

2009年7月28日


写真:ドミニカ共和国バニ市近郊の海岸にて。拡大家族の休日

2008年9月29日――旅立ちの日

首都サントドミンゴからバスで1時間半ほど西へ向かうとバニ市に到着する。そこからモトコンチョ(バイクタクシー)で10分ほどのところに私の調査地、ロス・バランコネスがある。大きなボストンバッグを片手で支える運転手。ホンダ製のスーパーカブはヨタヨタと走っていく。ふり落とされぬように運転手の背中にしがみつきながら懐かしい風景をながめていた。エンパナーダ(小麦粉を練った皮に肉などを詰めて揚げたもの)を揚げるかおりにドブに溜まった汚水の悪臭がまじる。ゆきかう車が猛烈なクラクションをかき鳴らし、頭上からは熱帯の太陽が照りつける。日本でなまけていた私の身体中の感覚が一気に覚醒した。

変わるもの、変わらぬもの

3年ぶりの長期滞在である。前回の滞在は、2004年12月から2005年9月までの10か月間。やはり、バニ市の同じバリオ(日本の町、村の意)に滞在した。それからも何度か訪れてはいたが、いつも短期滞在で限られた人にしか会えなかったために、懐かしい再会の挨拶が続いた。友人たちの笑顔は変わらない。3年の月日で変わるものと、変わらぬもの。道端でゴム跳びをして遊んでいた少女(当時9歳)はビールを飲むようになり、野球選手を目指していた少年(当時16歳)はバスの車掌になっていたり……。そしてなによりも滞在先の母親が、肺の腫瘍と闘っていること。体調が悪いので、料理などの家事は近所に住む母親の妹がかわりにやってくれる。母親のつくる料理がおいしくて、そのおかげで前回の滞在をのりきれたと思っているから、調子のよい日につくってくれるときはそれだけで幸せになる。

今、この家には父親と母親、長男のジョニー、長女の息子のジョナタン(6歳)、それに私をくわえた5人が暮らしている。長女と次男はアメリカのペンシルバニアに行ったきりで帰ってこない。もう一人の家族が、近所に住む12歳のラモン。この家族の親類ではないのだが、毎日この家に顔をだしては子どもの遊び相手や、大人の使い走りをするのが彼の仕事。カリブ海地域特有の拡大家族のなかに身をおいている。

ドミニカの大家族制度

これまで人類学のフィールドワークといえば、調査地の各世帯を一軒ずつ訪ね歩きながら家族構成や自身の研究テーマにかかわる事項について質問するのが一般的であった。最近では、調査もいろいろなやり方でなされるようになっているが、基礎データを集めるためには、今日でも旧来からの手法は有効である。そのように信じて調査地のバリオを一軒ずつ訪ね歩きはじめたまではよかったのだが……。

一軒目に訪ねた世帯で私を迎えてくれたのは子ども3人をもつ母親である。あたりまえのように「ご主人は今、お仕事ですか?」と問いかけると、「主人って子どもたちの父親のこと?」と聞き返された。このときのショックは忘れることができない。頭を抱えてしまった。よくよく話を聞くと、次のようなことである。

3人の子どもの父親はそれぞれ別の男性で、一番目の夫は子どもが生まれるとすぐに、生活費を稼ぐためにアメリカに渡り、今はニューヨークで暮らしている。二番目の子どもの父親は、彼女が妊娠中にふらっとでて行ったきり帰って来なくなった。現在は、その後に知りあった男性と一緒に暮らしており、末の子どもは彼とのあいだにできた。ドミニカでは特定の相手と正式な婚姻関係をむすんで一生を添いとげることよりも、複数の相手と事実婚や同棲をすることが多く、兄弟で父母が異なるケースも珍しいことではない。

もう少しこの家族の話を続けよう。この母親はいわゆる「専業主婦」である。現在の夫はバニ市の公設市場にある肉屋で働いている。日々の生活は彼の稼ぎでやりくりをしているが、それ以外にも一番上の子どもの父親(母親からすれば一番目の夫)からは毎月、養育費の名目でドルが送られてくる。また、夫婦双方の実家が近所にあることから、親・兄弟・姉妹が頻繁にそれぞれの家を行き来して、困ったことがあれば相互にたすけあっている。子どもたちは、かなりの数のオジ、オバ、イトコを持っておりその庇護のもとで育っていることになる。これまでにカリブ海地域を訪れた人類学者たちは、このような家族構造のことを拡大家族と呼んだのであった。

「あたりまえ」とはなにか

翌朝、ラモンにこのことを話してみた。すると、「日本はそうじゃないの?」と不思議そうな顔である。ラモンは母親と4歳になる姪(姉の娘)と暮らしている。この家にいるときには、こちらの母親のことも「マイ(お母さんの意)」と呼ぶ。彼の意識には、こちらの家までが家族として刻印されているのである。

その夜、近所のコルマド(食料品や生活雑貨をあつかう小商店)でビールを飲みながら考えた。日本社会では、夫婦とその子どもで構成される核家族があたりまえとされているから、あのような質問をしてしまったのだろう。家族の形態でさえ、人間社会に共通の事象ではないのだ。まだ、しつこく日本をひきずっている自分がちょっとおかしかった。そんなことを考えていると、店の主人が「今度、首都に行くときがあったら、あっちに住んでる子どもに服を届けてよ」と頼んできた。「かまへんよ」と答えながら、拡大家族のなかを生きているその少年に思いをはせた。

(つづく)