いつか、どこかへ ドォッカーデー


グローバリゼーションの末端(2) ゴミ捨て場で暮らす人びと

2012年1月30日

写真1:ゴミ集めをする少女。カメラに気がつくとそそくさと逃げてしまった。後に彼女の父親から話を聞くことができた。

国境の町
国境の町メーソットは、タイの首都バンコクから北西に約500キロの場所にある。メーソットの西端を流れるモエイ川がビルマとの国境線だ。横幅わずか数メートルのモエイ川の向こう側は、ビルマのカレン州である。

訪問当時、国境は閉鎖されていたが、地元の人は、小舟をつかって行き来している。国境が閉鎖されてから、橋渡しの金額(いわゆる密入国にかかる交通料)は、これまでの15バーツから20バーツ(60円)に値上げされたそうだ。これからビルマ側へ向かう人に、「ずっと国境はしまっているけど経済はどう?」と尋ねてみると、「これまでどおりだよ」と即答。その後、船にのってビルマ側に向かう人に手を振ってみると、ニコリとして手を振り返してくれた。

こんな一場面だけを切り取ってみると、「国家」や「国境」にとらわれない人の活動のダイナミズムが見えてきそうだが、こんな風に「自由」な人ばかりではない。

ゴミ捨て場
この町の中心から6キロほど離れたところにゴミ捨て場があり、収集車によってゴミが集積されている。「ゴミの山」とはまさにこのことで、周囲に近寄った途端、生臭いにおいが鼻をついてきた(写真2参照)。この劣悪な環境で、およそ6世帯が生活をしていた。

写真2:ゴミ捨て場の一望。180度裏手にもゴミ山が広がっている。

ここで暮らす人は、大人も子どももゴミに埋もれたプラスティック、特にビニール袋を中心に集めている。集めたものを売却し、その量に応じて現金を得ているのだ。買い取り値段は、季節によって異なる。雨季には1キロあたり、0.5~0.6バーツ(約2円)にしかならない。濡れたプラスティックを乾かす分の手間がかかるからだそうだ。集めたプラスティックは、ゴミ捨て場の近くのリサイクル工場に運ばれる。

彼らの生活を脅かしているのは……
このゴミ捨て場で暮らしているAさん(44)――写真1の子どもの父親――は、2009年にビルマからタイ側へやってきた。いったいなぜここにいるのか、なぜタイに来たのかを尋ねると、とにかく仕事がなく、ビルマでは働き口がみつけられなかったからだという。

何度か同じ主旨の質問をしてみたが、「とにかく仕事がない」の一点張りだった。印象的なのは、すぐに政府批判へと結びつけて饒舌に語る活動家とは対照的に、「仕事をすること=生きること」に切実なところだった。この差し迫った感じは、自己防衛的に「政治には口を出さない」姿勢が身にしみているからだろうか。

彼によると、友人の紹介でこの仕事をすることになったが、まさかこんな仕事につくことになるとは思ってもみなかったそうだ。3年前とは違って、いまは幾分か仕事があるかもしれないが、当面はここを離れるつもりはないという。かつてここで暮らしていたなかにはすでにビルマに帰ってしまった人もいる。選択の余地があるにはあるようだ。

大人は、一日あたり、20キロほどのプラスティックを集められるという。0.6バーツで売れるとしても、大人1日あたり、12バーツ(約30円)の収入しかないことになる。妻(35)と二人の娘(10歳と4歳)も一緒に集めているが、子どもは20キロも集めることもできないそうだ。単純に子どもたちが大人の半分を収集できるとしても、家族全体で36バーツ程度(約110円)にしかならない。

彼には1歳になる男の子もいる。集めたプラスティックのそばには、ゴミのなかから拾ったタマネギをはじめとした野菜を干していた。もちろん食べるためである。ゴミ捨て場から少し離れた場所付近には2つの井戸があり、汚い方の井戸は食器を洗う水に使い、もうひとつの綺麗な井戸は飲み水や調理に使う。

「ゴミ山」の端に家が並んでおり、この一家の住居は、わずか2~3畳ほどで、そこで親子5人が寝ている。衣服、食器類、布団などの家財道具のすべてが、ここに収納されている。このような生活環境で、いま彼らが頭を抱えていることは何だろうか。

彼によると、夜になると野良犬がやってきて、食器類や家具を持って行ったり、油が入った容器をかみ切ったりしてしまうことだという。ただでさえ劣悪な環境で、彼らの日々の生存をもっとも身近に脅かしているライバルは、ビルマ軍でもタイの警察でもなく、犬、なのである。

グローバリゼーションの「末端」
さて、彼らが集めリサイクル工場を経て「商品」になったプラスティックの行き先は、タイの首都バンコク、そして中国である。タイも中国も大量にプラスティックを消費する。特にタイは、何でもかんでもプラスティックバック(ナイロン袋)に入れてしまう。

ここで押さえておきたいのは、大都市や海外へと売り渡されるモノの末端、あるいは国境を超えて売買されるモノの末端には、こうしてゴミ捨て場で生計を立てて暮らす人びとの生活があることだ。

セイフハウスにいる「使い捨てられ、行き場をなくし、無国籍となった」人びとや、「プラスティックの再利用と輸出を根底で支えるゴミ捨て場で暮らす」人びとは、まさにグローバリゼーションの末端にいる人の姿を投影している。部外者の人間が、ほんのわずかな短期間の訪問をもって、彼らの生活を肯定したり否定したりすることはできない。

ただ、グローバル社会の中心にいるであろう私たちは、こうした「末端」にいる人びとの存在を心にとめておく必要があるだろう。このような「末端」の人びとは、「普通」の人の目には触れないような場所に隔離され不可視化されつつ、「普通」の人の暮らしに包摂されているからである。



著者紹介

久保忠行

久保忠行 (くぼ・ただゆき)

1980年、兵庫県に生まれる。2003年、大阪府立大学総合科学部人間科学科を卒業。同年から神戸大学大学院総合人間科学研究科へ進学。2006年に修士課程を修了し、2011年に同大学院の博士課程を修了(博士・学術)。同年4月から日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア研究所に在籍。現在、タイ・ビルマ国境地域と日本の難民に関する人類学的な研究に取り組んでいる。

おもな業績に、「ビルマの『国民和解』に関する予備的考察―カレンニー社会から」、(『神戸文化人類学研究』、第2号、2008年)、「タイの難民政策――ビルマ(ミャンマー)難民への対応から」(『タイ研究』、第9号、2009年)、「難民の人類学的研究にむけて――難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』第75号第1巻、2010年)、「難民キャンプにおける伝統の復興―難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』第37輯、2011年)、『ミャンマー概説』(共著・めこん・近刊)などがある。

(株)清水弘文堂書房

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