いつか、どこかへ ドォッカーデー


グローバリゼーションの末端(1) セイフ・ハウス

2011年10月7日

施設での学校が休みの日、みんなで床掃除。手伝いをする子どもたちは、しっかりしていて行儀がよい。一見すると普通の民家だが、こうした態度からも、ここが施設であることが伺える。
写真:施設での学校が休みの日、みんなで床掃除。手伝いをする子どもたちは、しっかりしていて行儀がよい。一見すると普通の民家だが、こうした態度からも、ここが施設であることが伺える。

8月上旬から9月中旬まで、タイで調査していたため、ブログの更新が滞ってしまった。これからは現地での最新の事情も含めつつ更新していきたい。
これから2回にわたって、行き場のなくなった人の保護シェルターと、ゴミ捨て場で暮らす人を事例に、グローバリゼーションの末端について考えてみたい。セイフ・ハウス(safe house)とは、さまざまな事情で自分の力では生活できなくなった人を保護するシェルターのことをさす。孤児院なども含めて、タイ・ビルマ国境には身寄りのない人びとの保護施設がある。ここでは、タイ西部のカンチャナブリ県サンクラブリー郡にあるセイフ・ハウスを紹介したい。

国境の町

カンチャナブリ県サンクラブリー郡は、タイの首都バンコクの北西約370キロ、車で約7時間の場所にある。カンチャナブリ県は、「戦場に架かる橋」で有名な観光地だ。この県は、ビルマのカレン州およびモン州と国境を接しており、特に国境ポイントがあるサンクラブリーにはビルマからの住民も多い。街の中心地を流れる川の向こう側には、「モンの集落がある」といわれるように、モンの人びとが多く暮らしており、「モン式」のお寺もある。

町の中心地から22キロ離れたビルマとの国境ポイントのひとつである「スリーパゴダパス(三仏峠)」は、カレン州と接している。この国境ポイントは、アユタヤ時代(1351~1767年)から人が往来してきた場所である。訪問時には、週一回の市場がひらかれ、ビルマ側から買いものに来ている人であふれていた。この国境ポイントは公式には閉鎖され、イミグレーションはしまっているはずなのだが、地元の人たちは何の緊張感もなく、ゲート横を通って行き来している。

セイフ・ハウス

さて、サンクラブリーにあるセイフ・ハウスは、もらったパンフレットによると、1992年にはじまり、それ以降のべ1500人以上の人びとを保護してきたそうだ。保護対象となるのは、家庭内暴力をうけた女性、HIV患者とその子ども、精神疾患をもつ人に加えて、労働現場で負傷したが雇用主から捨てられてしまった人など、中長期的な支援を必要とする人たちである。このセイフ・ハウスは、オーストラリアの支援機関の援助をうけているが、そのすべてをまかなえるわけではないそうだ。よって、織物や洗剤を作製するための職業訓練を提供し、彼らの現金収入としている。
この施設は、ビルマ出身者や、サンクラブリー地域に住む人がおもな被保護者となるが、驚くべきことに、はるばるバンコクのイミグレーションから連れてこられる人もいる。なぜ、バンコクからわざわざサンクラブリーへ連れてこられるのだろうか?

実質的な無国籍者

このセイフ・ハウスで保護されているのは主として、学童期の子どもか要介護の老人である。基本的に、若く働き盛りの人は、ここでの職業訓練をうけて就労したり、ビルマへ帰ったりする。けれど、就労することも、どこにも帰還できない人たちは、そのまま施設に残ることになる。そうした人たちは、何らかの精神疾患や言語障害を抱えている。

バンコクから連れてこられるのは、仕事中の事故が原因の障害で、「自分が誰なのか」がわからない、あるいは言葉で意志を伝達できない人たちだ。このセイフ・ハウスには、ビルマ出身者に加えて、インド人、カンボジア人、中国人、マレーシア人も保護されており、マレーシア人にあたっては設立当初から、18年間もここで暮らしているものもいる。ここに連れてこられる人のなかには、警察が逮捕したものの、本人とコミュニケーションがとれないので、「どうにもらない」から、連れてくることもあるという。

これらの「外国人」は、それぞれの国の言葉しか話せないので、セイフ・ハウスのスタッフも言葉で彼らとコミュニケーションをとることはできない。ただ身振り手振りや表情で好き・嫌い、快・不快を伝えることはできるようだ。写真撮影は基本的に嫌いとのことだが、私たちには快く応じてくれた。中国人(中国出身者というほうが正しいか?)は、確かに中国語らしいイントネーションの「ことば」を話しつつ、ニコニコしながら私たちに「ワイ」(タイで挨拶をするさいに手を合わせる動作)をしてくる。

彼らに、パスポートや何らかの身分証明があれば、出身国の庇護が受けられるはずなので、この場にはいないだろう。けれど、彼らから説明が得られない以上、詳細はわからない。ただ確かなのは、言葉は悪いが、使い捨てられ、実質的な無国籍者となった労働者の行く末が、このセイフ・ハウスなのである。

次回へ続く
※本文は日本ビルマ救援センター国境訪問報告会の内容を改変したものです。



著者紹介

久保忠行

久保忠行 (くぼ・ただゆき)

1980年、兵庫県に生まれる。2003年、大阪府立大学総合科学部人間科学科を卒業。同年から神戸大学大学院総合人間科学研究科へ進学。2006年に修士課程を修了し、2011年に同大学院の博士課程を修了(博士・学術)。同年4月から日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア研究所に在籍。現在、タイ・ビルマ国境地域と日本の難民に関する人類学的な研究に取り組んでいる。

おもな業績に、「ビルマの『国民和解』に関する予備的考察―カレンニー社会から」、(『神戸文化人類学研究』、第2号、2008年)、「タイの難民政策――ビルマ(ミャンマー)難民への対応から」(『タイ研究』、第9号、2009年)、「難民の人類学的研究にむけて――難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』第75号第1巻、2010年)、「難民キャンプにおける伝統の復興―難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』第37輯、2011年)、『ミャンマー概説』(共著・めこん・近刊)などがある。

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