清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO


プロローグ

2010年1月16日

2003年7月、わたしは初めてナイジェリアの地をふんだ。当時大学でアフリカ美術史を勉強していたわたしは、ナイジェリア南西部の小規模都市イフェに10週間滞在し、卒論のためのフィールドワークをおこなった。

同年9月、空港からその地を発つとき、もう2度とここへは来ないと誓った。

「みんな強引すぎる。ずるすぎる。マナーが悪すぎる」

わたしの心に響く声。みんながわたしの物を勝手に使ったり、食べたり、持って行ったりした。トイレを8時間がまんしたこともある。当時22歳だったわたしは、自分の生まれ育った環境と180度ことなるナイジェリアを嫌いになった。

それから2年経つころ、わたしはふたたびナイジェリアへ向かっていた。にがかったナイジェリア初体験を、大学の先生が笑い飛ばしてくれた。先生が導いてくれた論文の執筆と、気づかせてくれたそのおもしろさ。けっして悪いことばかりではなかった、ナイジェリアの友人たちとの日々。わたしは背なかをぽんと押され、2005年6月、ラゴスの空港へ着陸した。駐機場へ向かうまでのあいだ、目に涙が浮かぶ。

「ここにわたし、また来たんだ」

同年8月、その地を発つころ、ぼんやりと遠くを眺めていた。この地のみんなのこと、まだ知り足りないし、触れ足りない。これからわたし、どうしようか……。

その3年後、博士課程に進学したわたしはイフェに戻り、ふたたびフィールドワークをはじめた。学部時代からつづけていた、ナイジェリア同時代美術の探索。作品だけではなく、そのつくり手や享受者たち、そして彼らの環境に興味をもつわたしは、まず、イフェのアーティストたちを訪ね歩くことにした。

けれどもそれは論文のためのフィールドワークだけではなかった。自分自身の衣・食・住、そして友人たちと過ごした時間。そのすべてがフィールドワークとも言えるが、論文やデータ収集とはかけはなれたところでわたしは学び、体感した。

ナイジェリアで暮らしたわたし。そこで生きる人びとに見たうつくしさを、ここで紹介したい。

(毎週土曜日更新)