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「緒方しらべ」のタグが付いている記事

Thank God for Journey Mercy

2011年7月23日

2011年7月10日 ラゴス オショディ・アパパ・エキスプレスウェイにて

「忘れ物はない?」
出発の朝、空港へ向かうまえに、母親のようにまじめな顔をしてシェグンが言った。
「ないない。もういいけん早く行こうよ」
外は大雨による洪水。わたしは焦っていた。
「…………」
コンクリートの部屋の扉に手をあてて、目をつぶったまま彼は祈っている。

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その日暮らし

2011年7月16日

2011年7月7日 イフェ イライェ地区のママケイの仕立屋の表にて

9jaには、ひととおりの生活用品を備えた店が道路沿いや住宅地のいたるところにある。ほったて小屋か4畳半ほどのコンテナの店がほとんどで、お日さまとともに開閉店する「コンビニ」のような存在。そこでかならず売られているのが、サチェット(少量入りの袋)だ。約10袋ずつつながっており、すだれのように店の表につるされている。客が注文すれば、サチェットは点線にそってひとつずつ切り離して売られる。

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トゥンデの道

2011年7月12日

びちゃびちゃの足もと、胸まで生い茂る草木、そして、鼻につく豚小屋の臭い。掘りつづけている排水溝は大雨が降るたびに土砂で埋もれる。育てているキャッサバ(芋)は巨大ネズミに、淡水魚は深夜に泥棒に盗まれる。それでもトゥンデはここへ毎日やってきて、日が暮れるまでたったひとりで仕事をする。やっても、やっても、進まない。けれど、あきらめない。

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メリーはどこへ?

2011年7月2日

下宿と隣の家との境に、おとなの胸ほどの高さの塀がある。塀のこちら側の井戸で水を汲んでいると、塀の向こうから視線を感じた。隣の家の階段から若い女の子がわたしをじっと見ている。おはよう、と言っても返事がなく、彼女は少しだけほほえんで階段を駆け上がり家のなかに入っていった。翌日、彼女が隣の家にあたらしくやって来た家政婦であることを知った。

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ゴッド・ブレス・ナイジェリア

2011年6月25日

2011年5月28日 ラゴス、オショディ・アパパ・エキスプレスウェイにて

2011年、9jaで再会した人たちの多くは、「震災で大変だったんだってね」と声をかけてくれた。新聞、テレビ、インターネットを通じて、「3.11」のニュースにこの国でもたくさんの人びとが胸を痛めた。

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「命をいただく」ということ

2011年6月19日

2011年6月7日 イフェ、モーレのパパケイの自宅の外にて

「一緒に食べようと思ってまだ殺さないでいたんだ」
パパケイはそう言うと、育てて6か月になる雄鶏をケージから放した。二男はまきで火をおこし、鍋いっぱいの熱湯を準備する。パパケイはナイフを研ぐ。雄鶏と妹たちは、一緒に走りまわって遊んでいる。嫌がったり、手を洗ったり、エプロンをつけたりする様子はまったくない。小さな娘たちはパンツ一枚に砂だらけの手足でたのしそうだ。

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征服者・シェグン

2011年6月11日

2011年5月28日 ラゴス アジェグンレの「Brain Computer institute」にて

イフェのとある写真家にインタビューに行くと、その家の子どもたちに勉強を教えていたのがシェグンだった。2度、会話をしただけ。彼はナイジェリアで大学に進学することの困難さを語った。2005年のことだ。

3年まえ、道でばったり再会したシェグンは道沿いにキオスクをかまえていた。わたしはそこで買いものをするようになった。たくさん話をするようになったわたしに、彼はビジネスの展望を語ってくれた。

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帰郷と旅立ち

2011年6月4日

2010年5月7日 カタール、ドーハ国際空港にて

関西国際空港を発って11時間のフライトを終えると、カタールの首都ドーハに着く。乗り継ぎ客用の荷物検査場を抜ければ、前後にいた日本人たちはたちまちどこかへ散っていく。両肩にくいこむ機材の入ったリュックサックの重みも忘れながら急ぎ足で着いたラゴス行きの搭乗口には、懐かしい人たちが集まっていた。

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名前のない創作者

2011年5月28日

19世紀末から20世紀半ばにかけて、アフリカの木彫は欧米をはじめとする美術家や美術愛好家たちを魅了した。関心の中心は、珍奇で魅惑的、そして、エキゾチックな美。ピカソやマチスといったヨーロッパの画家たちも、その美に影響を受けて作品をつくった。彫刻のつくり手や享受する人、そしてそれが現地でどのように使われるのかということは、美術家たちにとっては二の次だった。

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おのれを知る

2011年5月21日

モノレール、リムジンバス、飛行機、車、乗合バスを乗り継いで46時間。見るもの、匂うもの、聞くもの、触るもの、話す言葉……すべてがいつもと違う。いま、わたしは異国にいる。

水を汲んで、ほうきで掃いて、水を浴びて、マッチを擦って、明かりを灯す毎日。ばかみたいに時間ばかりかかる不便さに途方に暮れて、ふと気づく。場所を異にしても、変わらない自分を知る。

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妻の資格

2011年5月14日

奮発してたっぷりのシチューをつくり終えたあとに「やっぱり行けない」と電話がくると、がっかりする以上に腹が立つ。炎天下のなか市場へ出かけて食材をもとめて2時間。電気がなければ冷蔵庫もない台所で3時間。手間暇かけてつくったオクラと鶏肉のシチューだった。やっとひとりでつくれるようになった、9ja料理。口にする友人たちは、「もうナイジェリア人と結婚できるよ」といつも褒めてくれる。お客さんが手土産を持って行くよりも、むしろお客さんに食べものを出すこと、最低でも飲みもの(コーラやファンタなど瓶や缶に入った清涼飲料)を出すこと。それは9jaで大切にされているマナーであり、ホスピタリティである。

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とくべつな恩寵

2011年5月7日

2009年12月10日 イフェ、エヌワのジョナサンの工房にて

「あぁ、いたの? ごめん、気づかなかった。神と話をしてたもんでね」
ジョナサンは頭をあげてこちらを見ると、照れ笑いを浮かべて言った。格子窓から差しこむ天日で、彼の鼻とくちびるのあいだに散りばめられた汗のつぶが、またたいている。

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