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この暮らし、あの感覚
2010年8月7日
先日、彫刻家のアフォラヨンさんが畑に連れて行ってくれた。トウモロコシ、キャッサバ、ヤム芋、菜っぱなど、ここでは多くの人びとが、自分たちでできるかぎりの農作物を育て、家族で食べる。アフォラヨンさんのうしろではしゃぎながら畑をまわり、あのころと同じ、土と緑のにおいをかぐ。
一緒にこたつで暖をとっていたはずの祖母の姿がない。ひとりで目が覚めた、冬休みの午後。急いで玄関へ行くと、手押し車がなくなっている。あわてて坂を下って畑へ向かう。大根畑のなかで、しゃがむ祖母の姿を見つけた。
30
2010年7月31日
2010年6月25日。朝一番、オメナに電話した。
機嫌よく話す彼女。
「今日は仕事がオフになったから歯科クリニックへ行ってくるわ。ねぇ、信じられる? 誕生日に歯を抜かれるなんて」
「え~、それじゃケーキ食べれんちゃない?」
第12回 気まぐれな同居人
2010年7月25日
写真: 各家に向かって延びる電線。ドミニカ共和国バニ市にて。
すっといなくなる同居人
「セ・フエ・ラ・ルー(電気がいっちゃった)!!」この声を聞くと、私は使っていたパソコンの電源を落として、パティオ(裏庭)に出る。一日に3回はやってくる停電の瞬間。ドミニカにも停電を表すスペイン語の単語はあるのに、電気に人格を持たせて「いっちゃった」と表現する言い方を私は気に入っている。
夜遅くには帰ってきて、明け方に出ていくことが多いから同居人のようなものだ。しかし、この同居人は気まぐれだ。昼の3時ごろにやってきて、夕方6時を回ったころにはふたたび出かけていく。そうかと思うと、別の日には昼前に1時間ほど顔を見せて、すっといなくなる。ドミニカ人男性の生活スタイルに似ているから、いっそのこと電気というスペイン語を女性名詞から男性名詞に変えればいいのにと思ってしまうほどだ[1]。
- [1]スペイン語の名詞には、男性と女性の性別がある。↩
息子との約束
2010年7月24日
「司法学校から帰ってきたら、もう離れないからね」そう言った母の言葉を、息子は忘れなかった。
3歳のロティミを10か月のあいだ実家に残し、トインは司法学校に通った。司法試験を終えるとすぐ、彼女は山で夜どおし合格祈願をしようとした。わたしがあずかるつもりだったロティミは、「約束どおり」母について行くと言ってきかなかった。その晩、冷えこむ山のなか、祈る母の足もとで息子はぐっすり眠った。
第11回 カクーの生涯
2010年7月11日
写真: ここがカクーの定位置だった。ドミニカ共和国バニにて
アポード(あだ名)
ドミニカで知り合いと出会った際にかわす挨拶は少し変わっている。日本だと「こんにちは」あるいは、「ご無沙汰しています」といったところだろうが、ドミニカではまず相手の名前を呼ぶのである。例えば、「ベヘ!」「マランガ!」といったような挨拶がかわされる。ベヘは「年寄り」という意味のドミニカン・スパニッシュ。マランガは「太っちょ」くらいの意味のあだ名である。ではどのようにあだ名をつけるのかというと、やはり身体的特徴から名づけられることが多い。聞くところによると、子どものころに名づけられたのが、そのまま現在にまで至っているというのがほとんどだ。
「カクー」というのは、ヘルメットを表す「カコ」というスペイン語からきている。ようするに「ヘルメットみたいに大きな頭をしているやつ」という意味である。日本で言うところの「福助」だ。こんなあだ名をつけられると、気持ちのいいはずはないと思ってしまうのは、繊細すぎる日本人の感覚で、ドミニカではむしろあだ名をつけられないことのほうが悲しい。
ドミニカには、日本のタロウやヒロシのように無数のホセやペドロが存在する。そのため、噂話をするときに「ホセがねぇ」といっても、まず「どのホセが」というところから説明しないといけないほどだ。ところが、ひとたびあだ名で呼ぶことで、そのほかのホセとは区別され特別な存在になる。また、あだ名をつけられる人は、良くも悪くも人びとのあいだで話題にのぼる頻度が高い。カクーもそのような人たちのひとりであった。
父を手伝う
2010年7月10日
「ぼくはやりません。木彫でやっていくのはきびしいから」
彫刻家のアヨデレさんの次男ダミロラは、大学の受験勉強をしながら携帯電話の修理店で働いている。修理の技術はこの2年で覚えた。今年からは毎週1、2回、ラジオ番組に出演して番組のつくりかたも学んでいる。
くらべることはない
2010年7月3日
会うたびに少し痩せた姿のマイケル。彼はあいかわらず忙しくビジネスをしている。
はじめて会ったとき、彼はわたしが帰り道によく寄っていた下宿に住む大学生だった。建築学を専攻するかたわら、近隣都市で養鶏場を経営。両親からの仕送りは受けていない。身のまわりにあるものからスタートし、それを増やしていく。夢は大きく持つ。ビジネスのこつを教えてくれた。
あれから5年、マイケルは修士課程に進学した。ビジネスも忙しく、大学院のあるイフェと近隣都市を走りまわっている。わたしに会う時間も、ほとんどない。
第10回 イミグレーションと「運び屋」
2010年6月27日
写真:アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。
憂鬱な入国審査
「ドミニカへはなにをしにいくのか?」これまでに何度同じ質問をされただろう。
ドミニカへの行き帰りに米国移民管理局による入国審査を受けるのだが、この時間が憂鬱でならない。イミグレーションの係官は私のパスポートに目を通すなり、一応に警戒の表情を浮かべる。
ドミニカへの出入国を示すスタンプが多いことがその理由らしいが、こちらとしてはなぜアメリカの入国管理官にドミニカ行きの理由を忖度されなければならないのか納得がいかない。コンピューターには私の個人情報が入力されているのだから、過去の質疑応答も記録しておけばいいではないかと毒づきたくなる。
「アメリカに滞在中は誰を訪ねるのか?」などと執拗に尋ねてくる係官にうんざりしながら、以前にアメリカで暮らすドミニカ移民の女性が語ってくれたエピソードを思い出していた。
パンツを脱がせればいい
現在、市民権を取得してアメリカのパスポートを持つマルレニィは、年に何度か残してきた子どもたちに会いに、ドミニカへと出かけていく。そんな彼女も空港の税関では毎回喧嘩になるという。なんでもアメリカの空港では、中南米からの女性ひとり旅は、麻薬の運び屋として疑われるのだそうだ。コカインやヘロインを詰めたビニール袋を飲みこんで、空港で待つマフィアに届けるコロンビア人の運び屋女性をテーマにした映画が、何年か前に日本でも公開されたが、マルレニィからすればその手の疑惑はいい迷惑でしかない[1]。
「どこのホテルに泊まるのか?」「誰が迎えにきているの?」挙句の果てには、「あなたのようなタイプの女性には、お腹にドラッグを入れてきて、ホテルに着いてから取り出す運び屋が多いからね」とはっきり言われたらしい。さすがに頭にきた彼女は、「そんなに疑うなら、ここでパンツを脱がせて覗いてみたらいいじゃない!」と英語で啖呵を切ったというからカッコいい。それにしても、あからさまな侮蔑を隠しもせずに先入観と偏見をもとにこんな質問を平気でする税関職員がいるということに驚いてしまう。
ゲットー発
2010年6月26日
口をあけて、舌をだして、くしゃくしゃの顔をしてみせる。両手で胸板をたたくしぐさをくり返し、足はがにまたに。この街で生まれた音楽にのって、こうして踊るダンス「アランタ」を目のまえに、自然と顔がゆるみ、手がふるえる。アレックスと一緒に床屋へ入ると、この地域ではまず見かけないガイジンをめずらしがり、店内や近所の人たちが、おもむろに音楽をかけて踊りだした。
ママ・ブリジッタ
2010年6月19日
彼女はわたしの住む下宿の1階に、娘とふたりで住んでいる。夫はフランスへ働きに出て4年。ふるさとのガーナへは、もう10年帰っていない。
あたりまえのことを、あたりまえに教えてくれたのは、この女性、ママ・ブリジッタだった。
疲れていて料理ができず、ピーナッツや焼きトウモロコシ、バナナやパパイヤで夕食をすませていたわたしに、ぽつりとつぶやく。「日本の母親に言いつけるわ、悲しむわね」
第9回 文化の違い? ―マキシモ・ネルソン投手の逮捕がなげかけた問い―
2010年6月13日
写真: 浅瀬で舟を操る漁師。ドミニカ共和国、サリーナスにて。
平均的なアメリカ人がアメリカのドミニカ人について知っているのは、サミー・ソーサのような大リーガーのことか、ドラッグの売人のことである。……ステレオタイプ化されない時のドミニカ人は、大きく括られての『ドミニカ人』である。
―― P・ペッサール『a visa for a dream』
くりかえされる成功物語
中日ドラゴンズのドミニカ出身選手、マキシモ・ネルソン投手が銃刀法違反(銃弾所持)容疑の現行犯で逮捕された。初犯だったため送検後すぐに釈放・不起訴となったものの、球団は3か月間の試合出場停止処分を決めた。
このニュースを耳にして、これまで彼について書かれた記事に目を通してみた。2年前、ドラゴンズへの入団が決まった翌日の紙面では、この契約がサクセスストーリーであるかのように紹介されている [1] 。その記事によると、ドミニカにあるヤンキースのアカデミーから、アメリカのマイナーリーグに昇格。しかし、2004年のシーズンオフに、30人のマイナー選手が関与する「偽装結婚事件」が発覚。以後、アメリカ滞在ビザが発給されないために、アメリカでプレーすることができなくなり、大リーガーへの道は絶たれてしまった。イスラエルリーグでプレーした後は、故郷の妻の実家に居候し、畑で野菜をつくったり、海で魚を釣ったりと野球浪人の生活を送っていたという。記事は、「お金をドミニカの家族に送金したい」という彼のコメントを載せて、今後のサクセスストーリーに注目しよう、と結んでいる。
ステレオタイプの誘惑
10年前にならすっと読むことができたこの種のエピソードが、ドミニカに毎年のように通うようになった今では、どうしても引っかかる。異文化を語るとき、自分たちの基準にあてはめたひとつの「物語」がつくられ、そのなかに散りばめられた巧妙なレトリックは、読者に偏見を植えつけ、やがてステレオタイプとして定着していく。では、これに代わる自由な「物語」はいかに紡ぎだせばいいのか。
その問いに対する答えのひとつは、その出来事がおきている社会の文脈のなかで理解することであろう。そこで私は、調査地で出会ったサクセスストーリーではない無数の「物語」に想像をめぐらせてみようと思う。