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「フィールドワーク」のタグが付いている記事

だから女は……

2011年8月13日

2011年5月29日 ラゴス アジェグンレのショディペ家にて

「カネのある男のところをハシゴする。いまの時代、ナイジェリアの女のほとんどは不誠実なんだ」「男みたいに遊びまわるうえ、男を傷つけて去る。綺麗な格好して中身はひどい女ばっかり」「いまからシュガー・ダディ(援助交際相手)に会いに行くの。顔なんてどうでもいいわ。帰りにちゃんとお小遣いくれるんなら」「あの店番の女、ぼくに家族がいるって知ってて誘ってくるんだよ。ぼくは断ってる」「だから女はごめんだ。ぼくたち兄弟はみんな結婚しないんだ、ちゃんとしたひとが見つかるまで」

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ウーマナイザー

2011年8月6日

2009年7月2日 アブジャ ウセのアミナの家にて

「いまわたしに言い寄ってくるのはみんな既婚者よ」「一夫多妻制が認められるなんておかしな話だわ。妻たちを平等に愛せるわけがないじゃない」「一夫多妻主義じゃない男性のほうが、もっとたくさん『妻』を持っている場合さえあるのさ」「父親がよそで子どもをつくって、子どももその母親も家に連れてきて一緒に暮らすってのはよくあることよ」「わたしはすでに65歳のとき、精子の活動を止めたんです。ナイジェリアの男性としてはめずらしいことなんですけどね」

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31

2011年7月29日

2011年6月25日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

真っ暗な夜、2本のロウソクがケーキを照らし、“Happy Birthday”の文字がくっきりと浮かぶ。2011年6月25日、オメナは31歳になった。

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Thank God for Journey Mercy

2011年7月23日

2011年7月10日 ラゴス オショディ・アパパ・エキスプレスウェイにて

「忘れ物はない?」
出発の朝、空港へ向かうまえに、母親のようにまじめな顔をしてシェグンが言った。
「ないない。もういいけん早く行こうよ」
外は大雨による洪水。わたしは焦っていた。
「…………」
コンクリートの部屋の扉に手をあてて、目をつぶったまま彼は祈っている。

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その日暮らし

2011年7月16日

2011年7月7日 イフェ イライェ地区のママケイの仕立屋の表にて

9jaには、ひととおりの生活用品を備えた店が道路沿いや住宅地のいたるところにある。ほったて小屋か4畳半ほどのコンテナの店がほとんどで、お日さまとともに開閉店する「コンビニ」のような存在。そこでかならず売られているのが、サチェット(少量入りの袋)だ。約10袋ずつつながっており、すだれのように店の表につるされている。客が注文すれば、サチェットは点線にそってひとつずつ切り離して売られる。

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第31回 野球狂顛末記②-塀のなかの生活-

2011年7月13日

自由の身だったときのロヘリオ。ドミニカ共和国、バニの浜辺にて
写真:自由の身だったときのロヘリオ。ドミニカ共和国、バニの浜辺にて

刑務所へ

この日も太陽は容赦なく照りつけていた。
べへのバイクに揺られながら、塀のなかのロヘリオを思いうかべる。はやくも氷水の入ったペットボトルからは水滴が漏れはじめ、ベヘがギアを変えるたびにズボンの膝に染みをつくった。ベヘの背中が緊張している。私は昼食の入った網カゴを傾けないことに意識を集中し、それ以外はなにも考えないようにした。

刑務所は、街の入口を流れる川のふもとにある。受付にはすでに大勢の面会人の列ができており、私と同じく手に網カゴをぶらさげていた。パスポートと引き換えに入場札を受けとると、身体検査の列に並ぶ。さきに済ませたベヘが、すれ違いざまに意味ありげな笑みを投げかけてきた。パンツのなかまでチェックされるのだ。映画でしか目にしたことのない光景に、どうふるまっていいかわからない。さきほどから、地に足がつかないような感覚がつづいており、それは差し入れの昼食をチェックされているあいだもやむことはなかった。

塀の内側に入ると、バスケットコートほどの大きさの中庭に出る。その中庭を取りかこむ形で、4つの棟が建っている。中庭にいた男たちの視線が、いっせいに私に向けられ、値踏みをするかのようにずっとまとわりついて離れない。ベヘが知りあいを見つけて声をかけるまでは生きた心地がしなかった。これが塀のなかというものなのか。

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トゥンデの道

2011年7月12日

びちゃびちゃの足もと、胸まで生い茂る草木、そして、鼻につく豚小屋の臭い。掘りつづけている排水溝は大雨が降るたびに土砂で埋もれる。育てているキャッサバ(芋)は巨大ネズミに、淡水魚は深夜に泥棒に盗まれる。それでもトゥンデはここへ毎日やってきて、日が暮れるまでたったひとりで仕事をする。やっても、やっても、進まない。けれど、あきらめない。

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言い逃れ

2011年7月2日

宮本常一・安渓遊地著 『調査されるという迷惑』(みずのわ出版、2008年)にあるように、調査者は、調査対象者に、さまざまな迷惑をかけている可能性がある。迷惑をかけていないつもりでも、迷惑をかけていることがあるから調査は難しい。難民を調査対象とする場合には、独特の難しさがある。

難民たちは、さまざまなインタビューを体験した後に調査者に出会う。もしかすると、調査者は、最後のインタビューアーなのかもしれない。ビルマ難民の場合、彼らは、タイ国境に着いた時点で、国境警備隊との問答を繰り返し、キャンプ生活の開始時には、個人情報を登録するための質問に答え、その後は提供される支援について、国際支援機関のインタビューを受ける。

こうしたプロセスを経た後に対面するのが調査者である。よって、自分のことを「流ちょうに」語る人もいれば、不利益を被ることを恐れてか、口が重い人もいる。誰しもよく知らない人に自分の話を好んではしない。そんなときに、相手の気分を害さずに、うまく切り抜ける方法を彼らは知っている。その切り抜け方を2つ紹介しようとおもう。

その1.状況次第

調査をはじめた頃からの私の友人・米国人のマイケルとよくネタにする言い回しが、“depends on the situation(状況次第)”である。英語でこれからの身の振り方や、意見を尋ねられると、彼らはよくこの言い回しを使う。

こちらとしては、煙に巻かれたような気がするのだが、当然、彼らはさして気にとめていない。
というのも、この回答が、次の二点で当を得ているからである。ひとつはとにかく質問には答えていること、もうひとつは、あながちウソを言っているわけではないという感覚が本人にはあるからである。

よく「10年も20年も難民生活が続いている」と言われる。これはあたかも同じ状態が、これまでもこれからもずっと続いていると思わせてしまう。しかし、変わらないようにみえる生活にも変化がある。この点について詳しくは別稿に譲るが、収容者ではなく生活者の視点からみると、決して難民生活は、不変ではない。

その2.何も起こらない

もうひとつは、「バー・マ・ピッ・ブー(何も起こらない)」という言い方である。転じて、「どうっちゅーことない」とも「どうにもならない」とも意訳することもできるだろうか。

これから起こりうることや、将来像なんかを尋ねると、こう切りかえされることがある。先が読めない事態をあれこれ考えるのではなく、思考停止し、会話を絶つさいによく用いられる表現だ。これはビルマ語だが、ビルマ人も同じように使うのかはわからない。

これらの「言い逃れ」は、調査者が放つ面倒な問いかけに答えつつ、回答を回避する言い回しである。同時に、一寸先の不確かな未来への向き合いかたをも示唆している。どうってことない、状況次第で身を処するところに、彼らの生活戦略の本質があるのかもしれない。


メリーはどこへ?

2011年7月2日

下宿と隣の家との境に、おとなの胸ほどの高さの塀がある。塀のこちら側の井戸で水を汲んでいると、塀の向こうから視線を感じた。隣の家の階段から若い女の子がわたしをじっと見ている。おはよう、と言っても返事がなく、彼女は少しだけほほえんで階段を駆け上がり家のなかに入っていった。翌日、彼女が隣の家にあたらしくやって来た家政婦であることを知った。

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ゴッド・ブレス・ナイジェリア

2011年6月25日

2011年5月28日 ラゴス、オショディ・アパパ・エキスプレスウェイにて

2011年、9jaで再会した人たちの多くは、「震災で大変だったんだってね」と声をかけてくれた。新聞、テレビ、インターネットを通じて、「3.11」のニュースにこの国でもたくさんの人びとが胸を痛めた。

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「命をいただく」ということ

2011年6月19日

2011年6月7日 イフェ、モーレのパパケイの自宅の外にて

「一緒に食べようと思ってまだ殺さないでいたんだ」
パパケイはそう言うと、育てて6か月になる雄鶏をケージから放した。二男はまきで火をおこし、鍋いっぱいの熱湯を準備する。パパケイはナイフを研ぐ。雄鶏と妹たちは、一緒に走りまわって遊んでいる。嫌がったり、手を洗ったり、エプロンをつけたりする様子はまったくない。小さな娘たちはパンツ一枚に砂だらけの手足でたのしそうだ。

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第30回 野球狂顛末記①-渡航費用の代償―

2011年6月12日

母親が準備をしたロヘリオの昼食。ドミニカ共和国、バニにて
写真:母親が準備をしたロヘリオの昼食。ドミニカ共和国、バニにて

壁の落書き

毎朝、近所のコルマドへパンを買いに行くのが私の日課である。ある日、ロヘリオの家のまえを通りかかったときにいつもと違うことに気がついた。「Rogelio no tiene la casa(ロヘリオには家がない)」と入口近くに落書きされていたのである。

平屋だろうが、高層マンションだろうが、ブロックを積みあげていくのがドミニカ流の建築スタイルである。外壁は、ブロックの表面にセメントを塗って下地にする。下地ができると、あとは施主の好きな色でペンキを塗れば完成である。どの町に行っても、素材がブロックから板にかわることはあっても、色とりどりに塗られた外壁はかわらない。強い日ざしが反射する、壁が立ち並ぶ通りを歩いていると虹のなかにいる感覚になる。なので、壁に文字が書かれてあると目をひく。たいていの場合は、「Se Vende(売り家)」「Se Alquila(入居者募集)」というものだから、内容が内容だけに、ロヘリオの家の落書きは異様にうつった。そういえばここ数日、彼の姿を見かけない。ロヘリオになにかあったのだろうか。胸騒ぎがした。

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