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アフリカ美術の人類学 ナイジェリアで生きるアーティストとアートのありかた

2017年2月1日

緒方しらべ 著

第30回日本アフリカ学会研究奨励賞(2018年度)受賞!

ナイジェリア南西部、ヨルバ神話の舞台となる古都イレ・イフェで、たくさんのアーティストがアートなるものを制作して暮らしている。美術館や博物館、書籍や論文で取りあげられることはほとんどない。経済的に成功している者も、していない者もいる。それでも彼らは「アーティスト」と称している。イレ・イフェにおいてアーティストであるとはどういうことなのか。彼らの活動や生活は、地域とどう結びついているのか――。

ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)、国立民族学博物館出身の若手研究者が10年にわたるフィールドワークを集成。

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煩悩即菩提

2011年12月31日

2003年8月、イフェ モダケケ地区のトインの下宿のまえにて

d beauty of9ja――誰かに経験と思いを伝える文章を手紙以外で書いたのは、これがはじめてだった。本をろくに読まず、ボキャブラリーが貧困なわたしが、文章をとおして、人になにかを伝えようとしている。そうして過ごしてきたこの2年間が、信じ難くもある。

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アートに生きる

2011年12月24日


父よ、母よ

2011年12月17日

2011年6月14日、イフェ アフォラヨンの自宅裏庭にて

木彫家アフォラヨンの自宅を訪ねた。15年の歳月をかけて建てたばかりの平屋の扉は重く頑丈だが、窓枠には白色の厚手のビニルシートがさげてあるだけで、網戸も窓ガラスもはめられていない。壁は内側も外側もコンクリートのままで、屋根には数十枚のトタンがのっかっているだけ。光の入らない居間に並べられた椅子とテーブル、ドアのないふたつの部屋の入り口にかけられた布の隙間から見える寝具、ガス台のない台所の床に重ねられた食器は、アフォラヨンがここに家族と住んでいることを静かに告げる。

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祈れ

2011年12月10日

2010年6月27日 イフェ イロデ地区のプロテスタント教会にて

どうしようもない状況で9jaの人びとは祈る。でもそれは、困ったときの神頼みではない。

彼らはいつも、毎朝目ざめてすぐ、仕事をはじめるまえや旅立つまえ、食事のまえや集会の終了後、そして1日の終わりに、祈っている。貧富の差、権力ある者から弱き者への搾取、何十年待っても整わぬインフラなど、多くの人びとにとって、3度の食事やきょうの仕事、通学や進学もままならない。

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時代が変わっても

2011年12月3日

かつてこの土地では、ヨルバの神々をあがめる信仰のために盛んに木が彫られていた。儀礼のための道具や太鼓、神像や祠の柱にも、人物や動物の具象的な像をあしらった装飾がほどこされていた。19世紀にイスラム教とキリスト教が布教するまえのことだ。

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I miss you

2011年11月26日

2009年7月22日 イフェ モダケケ地区の下宿にて

「I miss you――会いたいわ」
電話の向こう、大陸を越えた外国にいる夫にそう言っていたママ・ブリジッタ。話のほとんどはエヴェ語(ガーナ南西部を中心に話されている言語)でわからなかったけれど、この英語はいつも下宿の居間から、庭から、ベランダから聞こえてきていた。

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あおぞらエンターテイメント

2011年11月19日

2008年8月9日 イフェ北部 イペトゥモドゥの王宮敷地内にて

雨期もたけなわ、ヨルバの地ではエグングンと呼ばれる祖先崇拝の祭がおこなわれる。キリスト教とイスラム教が主流となったこの国では、土着信仰である祖先崇拝はわずかな信者たちによってひっそりとしかおこなわれなくなった。それでも祭囃子と熱気に誘われれば「信仰」はにのつぎ。映画館や水族館、サッカー場もテーマパークもないこの地で年に1度の「あおぞらエンターテイメント」は、人びとを集わせ、魅了する。

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はじまり

2011年11月12日

2009年6月20日 イフェ モーレ地区のパパケイの自宅兼アトリエにて

「アートをやるようになったきっかけってなんですか?」
街のアーティストたちにたずねてみる。

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姉妹

2011年11月5日

2009年12月4日 イフェ モダケケ地区の下宿にて

11月とは思えないほどに汗ばむ陽気の午後、自動販売機のまえで立ちどまって選んだのはパイナップルジュースだった。甘くて濃い果汁をストローで吸い込みながら思い出したのは、いまにも消えそうな声で妹が口にした「パイナップル……」のひと言。

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イヤ・アラロ

2011年10月29日

2011年7月4日 オショボ オケ・ポポのイヤ・アラロの自宅まえにて

隣街のオショボに、藍染め工房がある。と言っても、土壁とさびついたトタン屋根の古い家屋に囲まれた空き地に、土器製の坪や道具がいくつか、細い木と竹で支えられたツギハギだらけの屋根の下で寄せてあるだけの場所。ワンピース用のいくつもの布を藍色に染めたいわたしは、専門は絵画だが伝統的な藍染めにも興味を持っているアーティストのパパケイを誘って、この工房をこれまで何度も一緒に訪れている。

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最後の敬意

2011年10月22日

2009年3月12日 イフェ モダケケ地区の友人の実家敷地内にて

9jaの葬式は明るい。生演奏が聞こえてきて、スピーカーからも大音量で声がしている。道沿いにはテントが張られ、伝統衣装で着飾った人たちがたくさん集まって何やら騒いでいると思えば葬式だった、なんてことはよくある。一見、結婚式とまったく区別がつかない。

ミュージシャンを雇って、料理をふるまい、贈り物をして、大金を使う。そう、ただ、祝うためだけに。踊っていたら、悲しみなんてどっかにいってしまう。

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