清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO

「アフリカ」のタグが付いている記事

父はいつもいる

2011年2月12日

兄に手を引かれて幼稚園から帰ると、いつも父が玄関の扉を開けてくれる。それでわたしは決まって言う、お腹がすいたと。父はアトリエの机の引き出しから10ナイラ札(約6円)を取りだして、姉に渡す。姉はわたしの手を引いて、隣の店で棒つきキャンディーや炒りピーナッツを買ってくれる。

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弟子はいない

2011年2月5日

パパケイはいつも「ひとり」で仕事をしている。大作に取りくむときも、こまごまとした作品をつくるときも。どうしても手が足りないときは長男や次男に手伝わせる。ふたりの息子はそれぞれ、物理学者と医者を目指している。

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師匠を訪ねて

2011年1月29日

18歳のとき弟子入りして木彫を学びはじめたオバダレさんは、その後、大学でも木彫を専攻した。大学付属の自然史博物館の館長に依頼されて木彫作品をつくったことから、手先の器用さが認められ、その博物館で剥製師として雇われることになった。

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2011年1月22日

ケージの扉に鼻先と前足をはげしくあてながら、胸をおどらせて吠える。大好きなトペが近づいてくる。開かれた扉から飛びだして、トペのまわりをくるくるまわって離れない。笑って、跳ねて、あお向けに寝そべってみせる、ペドロ。

この町の大きな家のほとんどに犬がいる。武装強盗や空き巣を恐れ、みな番犬を飼うのだ。広い敷地内で放し飼いをする、あるいは、日中はケージのなかに入れて、暗くなるころ敷地内で放す。ペットというより門衛。散歩に連れられている犬はほとんど見かけない。道で見かける動物といえば、ヤギとニワトリとヒヨコ。

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オロカダ!

2011年1月17日

以前ここでオロカダをしていたアーティストのパパケイに紹介してもらい、オロカダたちが客待ちをしている場所で撮影させてもらった。

バイクタクシーの運転手のことを、ヨルバ語で「オロカダ」という。文字通りの訳は、「バイクを持つ人」。

飛行機、バス、自家用車、バイクといった交通手段のなかで、もっとも多くの人びとがナイジェリア国内で利用しているのは、おそらくバイクだろう。100~125ccのバイクは、タクシーや自家用の乗り物として一番身近に存在している。

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謹賀新年

2011年1月8日

「花火の音、聞こえる? いま、街中のひとたちがしあわせそうに騒いでるんだ。明けましておめでとう!」年を越してすぐの深夜0時過ぎ、大混乱する電話回線を押しのけてかかってきた着信。電話の向こうで、ラゴスのゲットーを歩くアレックスのはしゃいだ声と眠らない街の音。

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友を招き、友を訪ねる

2010年12月25日

2008年12月25日 イフェ、モダケケ地区のアヨデジさん自宅玄関まえにて

この年(2008)のクリスマスは日曜日だった。街の様子は普段と変わらない。乾季の灼熱と砂埃で霞んでいるせいだろうか――赤、白、緑、金、銀の「クリスマス色」はどこにも見あたらない。イスラム教徒の人たちにとってはいつもの日曜日だし、クリスマスをとくに祝わないキリスト教宗派に属す人びとも多い。ショッピングにケーキの予約、サンタクロースと靴下のなかのプレゼントは、世界のごく一部の話なのかもしれない。

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悪魔を追い払えば

2010年12月20日

ヨルバの神像を彫るアヨデレさん。2009年10月31日 イフェ、アジバンデレのアヨデレさんの工房にて

約束の時間ぴったりの朝10時。木彫家のアヨデレさんの姿はまだない。工房の壁にもたれかかっていると、近所の少年が小さな木の椅子を持ってきてくれた。腰かけて5分少々、いつものスズキのバイクがこちらへ向かってくるのが見えた。

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血は水よりも濃い

2010年12月11日

2009年12月4日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

9jaで誰かと友だちになること、それはその兄弟姉妹ともつながるということ。電話でもメールでも、結びはいつも家族の名前をあげ、「○○によろしくね」としめくくる。両親や祖父母、叔父叔母ならとくに固有名詞は必要ないけれど、兄弟姉妹はそれぞれの名前を言わないといけないからたいへん。たとえばアミナは7人兄妹だが、みんなよくアミナを訪ねて来ていたし、話や写真でも彼らのことを聞きなれていたので、いつのまにか名前も順番も覚えていった。9jaは大家族が多いにもかかわらず、不思議とみんな記憶しているものだ。

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サッカーが好き

2010年12月4日

2010年5月21日 イフェ、イレモ地区のアフォラヨンの工房まえにて

「すんませーん」
学ランを着た中学生たちは、そう言って道を開けてくれた。ざっと数えて6、7人。ふたたび道をふさいでサッカーをはじめた彼らをよそに、急いでいたわたしはまた自転車をこぎはじめた。ひさしぶりの故郷のかおり。博多湾へつづく道すがら、なま暖かい12月の風を胸に受けて思い出す……そういえば、こんなことまえにもあった。

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帰り道

2010年11月20日

2009年1月29日 イフェ、オバルフォン通りにて

疲れているのに、お腹がすいているのに、トイレをがまんしているのに、家路は遠かった。バスに乗りこめば、隣前後の人たちとの「ふれあい」がまたはじまる。その日の汗と砂ぼこりが染みついた体を、たがいにくっつけて座る。いつもの渋滞や運転手の荒い運転に、みんなが野次やジョークを飛ばす。

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つくる

2010年11月13日

わたしの作品を手にとったンゴズィ。2008年12月12日 プラトー州パンクシン、「アフターシェイブ・ワークショップ」の会場にて

ナイジェリア中部で開かれた、アーティストの国際ワークショップに参加したときのこと。

砂の地面に画用紙を敷き、そこに座ってただみんなを見つめていた。ひとり静かに黙々と手を動かす彼、鼻歌を歌う彼女、皮肉まじりに政治の話をしながら笑いあっている彼ら、昼寝に行ったまま帰ってこない彼女たち――それぞれのスタイルで、アーティストたちが作品をつくっている。手もち無沙汰でずっと砂をいじっていたら、指先と画用紙がところどころ赤茶色になった。この季節にサハラ砂漠から吹く風「ハマターン」が強くて、折れ曲がる画用紙を時どき手で押さえていたからだろうか。

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