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野球+越境する漂流者たち


第27回 親の故郷は外国だった

2011年3月20日


写真:ボランティア団体が主催するイベントに出展する各国の屋台。神奈川県愛川町にて

日系人コミュニティ

小田急電鉄の本厚木駅から車で北に30分。混雑する国道を避け、中津川に並行して走る県道を行く。のどかな田園風景がしばらく続き、やがて遠くに見えていた八菅山が徐々にせまってくる。ところが中津川を渡り、坂道を登りきると、住宅街へと景色が一変する。県道54号線を境にその先には、厚木市にかけて内陸工業団地がひろがっている。豊かな自然のなかにつくられた工業団地と古くからある市街地。それが、神奈川県愛川町をはじめて訪れたときの印象であった。

県道沿いのコンビニに飲み物を買うために立ち寄る。レジで私の前に並んでいたのは、ニット帽を深くかぶったラテン系の女性。私の視線を感じたのか、支払いを終えた彼女は警戒するようなまなざしでこちらを一瞥すると、足早に店を後にした。道路をはさんだ向かいにはブラジル食材店。その二階にはタイ料理店の看板がかかっている。目の前を通り過ぎる車の何台かは、外国人がハンドルを握っている。そのすべてが、もうなん年も前からこの町で暮らしてきたといった風情を醸しだしていた。

これはのちに知ったことだが、愛川町の人口4万3,000人のうち、2,600人が外国人であり、そのほとんどが自動車メーカーの下請工場を中心に、製造関連の企業が集まる内陸工業団地で働いているということ。また、その出身地域も中南米からの日系人以外にタイやフィリピンなど多岐に渡っている。

1990年に出入国管理法が改正され、日系人に対する就労制限が緩和されるとブラジルやペルーから大量の日系人が来日した。群馬県大泉町にブラジル人が集住していることは有名だが、愛知県豊橋市や静岡県浜松市といった東海地方にも南米出身の日系人がたくさん暮らしている[1]。そして、実はここ愛川町こそが国内最大の日系ドミニカ人集住地区なのである。

イメージとのギャップ

「日本人の友だちはほとんどいないよ」居酒屋で刺身をつまみながら、日系ドミニカ人のタケシさん(仮名・38才)が日本での生活についてゆっくりと語りはじめた。月曜日から土曜日まで毎日、トラックの内装を組み立てる工場で働き、繁忙期には日曜日も仕事に出る。そのためにドミニカ系の友人と過ごす時間すらあまりない。日本人の友だちをつくる時間がないと言うのもうなずける。しかし、妻と娘2人をドミニカに帰国させたと聞くと、日本人の友だちがいない理由はほかにもあるのではないかと私は思った。

「娘が学校でイジメられたんだよ」日本語で話すときには時折、単語を探しながらになる。こみいった話や感情が高ぶった際にはスペイン語に切り替える。そのほうが彼も話しやすそうだ。娘は顔つき、話しかたをからかわれ、学校に行くのが嫌になった。中学校にあがり、授業の日本語についていけなくなったこともあって、もともと日本になじめなかった妻の強い希望で、家族離ればなれで暮らすことを決意したのだ。私はジョッキを握りしめたまま言葉をつげなかった。

両親は、日本政府の斡旋で1956年にドミニカに渡った。渡航後すぐに、与えられた土地が農業に適さない荒地であることがわかり、1959年までに入植した249家族1,319人のうちの半数は南米へ再移住するか日本に帰国した。ドミニカに残った500人ほどの日本人はドミニカ国内を転々とし、その子どもたちがいま、日本へと働きにきているのである。

タケシさんはドミニカで生まれた。当然ながらドミニカ文化のなかで育ったのだが、戦前生まれの両親からはことあるごとに日本人の礼儀正しさや勤勉さについて教えられ、また、そのようにしつけられてきた。だから、バブル景気のまっただなかに来日したときは日本人の言動が理解できなかった。

職場での嫌がらせは後を絶たない。日本人の班長が外国人にだけラインの作業から外れて、別の作業をするように指示することは日常茶飯事だ。同僚の若い日本人はあからさまに侮蔑のまなざしを投げかける。最近では黙って引きさがっているばかりではない。自分のほうが、ここでは熟練工であるという意識が強いし、日本の若者のだらしなさが我慢できないからだ。

制度にとまどうことがある。国民健康保険。来日当初はいまのように行政の窓口で多言語サービスがなかったこともあり、加入しなかった。のちに知り合いの日系人から加入したほうがいいとすすめられ役場に行くと、未納期間の保険料を納めないと加入できないと言われた。なぜ一度も病院に行かなかったのに、お金を払わないといけないのかが理解できなかったので加入しなかった。ところが、先日、職場で重い部品を持ちあげた際にぎっくり腰になり、救急車で病院に運ばれた。そのときの隊員の第一声が忘れられない。
「健康保険にはいってますか」と聞かれたのだ。「ドミニカなら、まず大丈夫ですかって聞くんだよ。なんで保険のことを聞くの? お金ちゃんと持ってるからって言うと、何も言わなくなった」日本で育った私には、保険証の有無によって搬送先を考えようという隊員の気遣いだとわかる。しかし、タケシさんにはそれが冷たく感じられたのだ。職場での嫌がらせ、娘が学校でイジメられたこと、両親の話していた日本との違い……。そういったもののすべてが、タケシさんの心を固く閉ざさせてしまったのだと私は思った。「人間はみんな死ぬんだよ。みんな一緒なんだよ」力強くはっきりとした日本語だった。テーブルの上にはほとんど手がつけられていない料理がそのまま残っていた。

店を出て明日も仕事だからと言う彼と別れてからも、後味の悪さは残ったままだった。大声で騒ぎながら歩く大学生らしき集団とすれ違った。そのとき、最後にタケシさんが漏らした言葉が頭をよぎった。「親のパイス(故郷)は外国だったよ」ドミニカで生まれ育ち、両親の生まれた国を知った男の重すぎる一言だった。

  1. [1]法務省ホームページ 「国籍(出身地)別市・区別外国人登録者」参照
    http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001065021

(次回3月27日更新)



著者紹介

窪田 暁 (くぼた・さとる)

窪田 暁 (くぼた・さとる)

1976年奈良県生まれ。総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)、奈良県立大学専任講師。専門はスポーツ人類学、国際移民研究。ドミニカ共和国をはじめとする世界各地で、国境を越えて展開するスポーツと人びとの関わりを研究している。

おもな著書に、「グローバリゼーションとスポーツ移民-ドミニカ共和国の「野球移民」」(早稲田大学スポーツナレッジ研究会編『グローバル・スポーツの展望と課題』、創文企画、2014年)、「「野球移民」の誕生-ドミニカ共和国における移民像の送出過程」(『総研大文化科学研究』第10号、2014年)、『世界地名大辞典第9巻<中南アメリカ>』(共著、朝倉書店、2014年)、『世界民族百科事典』(共著、丸善出版、2014年)などがある。

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