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第7回 大地が震動するとき ―ハイチとドミニカの関係―

2010年3月13日

路上でマニ(ピーナッツ)を売るハイチ系の男性、サント・ドミンゴにて
写真:路上でマニ(ピーナッツ)を売るハイチ系の男性、サント・ドミンゴにて

ハイチ地震

2010年1月12日、現地時間午後4時53分、大地が揺れ動き、ハイチという国が一躍有名になった。そして同じ島をわけあっているドミニカもしかり。ハイチの首都ポルトー・プランスを襲ったマグニチュード7.0の大地震で、23万人が死亡、150万を超える人びとが住居を失った。地震発生から2週間後の1月24日、私は多くの被災者救援ボランティアにまじってドミニカのラス・アメリカス国際空港に降り立った。彼らはハイチの空港が閉鎖されているので、ドミニカから陸路、国境を越えてハイチへと向かうため、こちらはドミニカで継続中のフィールドワークをおこなうためである。

最初の情報提供者は、空港で拾ったタクシーの運転手。
「あの時は運転中だったけど、しばらくは何が起こったかわからなかった。車を停めて、揺れがおさまるのを待ったよ」
その後も数度の余震を感じたというが、幸いにもドミニカ国内に被害はなかったとのこと。タクシーが首都サント・ドミンゴ中心部にさしかかる。なるほど、半年前ととくに変わった形跡もなく、穏やかないつもの光景だ。ただし、その光景には欠かせない重要なピースが抜け落ちている――ハイチ系移民労働者の姿である。普段なら通りごとに、必ず三輪自転車を停めてジュースを売るハイチ系の人たちを目にするのだが、やはり祖国に帰ったのだろうか。めっきりその数が減ったように思う。

今回の地震については、ドミニカに滞在中、この運転手以外からも話を聞く機会があった。しかし、彼らの言葉をそのまま書くと、ドミニカ人のハイチに対する複雑な感情のために、誤解を招く恐れがある。そのため、ここでは先ず、この感情についての若干の説明から始めたい。

アンチ・アイティアニスモ

ドミニカは多くの移民を海外に送り出しており、彼らからの送金が国民経済を支える移民送出国家である。統計や文献によるとその数は200万人以上。統計に表れない実数を含めると300万人と推定する研究者もいる。総人口が約900万人だから、その3分の1が海外で暮らしていることになる。一方で、200万人近いハイチからの移民労働者がドミニカ国内に暮らしている。ちょうど海外に出て行ったドミニカ人の穴埋めをするかのように。その多くは、サトウキビ畑での農作業や首都サント・ドミンゴの建築作業員、マンションの門番といったドミニカ人がやらなくなった職種に就いている。

こうした過酷な労働に加え、ハイチ系移民労働者はホスト社会からの激しい差別にさらされている。プロローグで書いたように、ドミニカはかつてハイチによって統治されていた時期がある。その経験が、ハイチ系の人びとへの異常なまでの蔑視をうみだした。「アンチ・アイティアニスモ(反ハイチ主義)」と呼ばれるこの感情は、しかし、たんなる差別意識ではない。

逆説的な思い

小さな島に二つの国家が併存する特殊な環境。スペインとフランスという異なる宗主国に支配された歴史。一方はスペイン語を、他方はフランス語とクレオール語であるパトゥワ語の二つの言葉を話す。ラテンアメリカで最初に独立を果たしたハイチは、それゆえに近代化が遅れ、結果的にラテンアメリカの「最貧国」であると世界銀行に格付けされている。

両国ともに、アフリカから連れてこられた奴隷が持ち込んだブードゥー教が土着化しており、表面上はカトリックを信仰しながらも、折に触れてブードゥー教の宗教儀礼が実践されている。その宗教儀礼では、アフリカから伝わった打楽器を激しく叩きながらそのリズムにあわせて踊るのだが、ドミニカの代表的な音楽であるメレンゲにタンボーラ(両面太鼓)という楽器が欠かせないのは象徴的にうつる。それにもかかわらず、ドミニカの人びとがハイチ人を差別する際に、自身のことは棚にあげてその土着性を標的にする。例えば、ドミニカの子どもが、唇が分厚い友人を「お前はハイチで生まれたんやろ」とからかうとき、大人が肌の色が濃い人について「あいつはまるでハイチ人みたいだ」と陰口をたたくとき、また「ハイチの女はねぇ……」と卑猥な冗談を飛ばすとき、自己に内在化する土着性、あるいはアフリカ的なるものをハイチ人に背負わせて自身を近代の側に対置することで、優越感を獲得しているのだ。したがって、「アンチ・アイティアニスモ(反ハイチ主義)」とは、自身の内なる黒人性を否定しつつも、確認しておきたいというパラドキシカルな感情のことを指しているのである。

大地と感情が揺れ動く

今回のハイチ地震に対するドミニカ人の反応は、「変な宗教を信仰しているからバチがあたったのだ」であり、「世界中からの援助で、今やハイチは億万長者やね」という辛辣なものである。しかし、こういった言説は、これまで述べてきたように、ハイチという存在が、長年にわたってドミニカ人の自我意識の形成に関わっており、その感情の発露が差別という形で表出したものである。そして、今回のような未曾有の地震が起きた際に可視化されるのである。

そんな事を考えていると、運転手が「地震以降、外国からやってくる報道関係者やボランティアをハイチ国境まで何組か運んだおかげでいい稼ぎになったよ」とニヤリと笑った。タクシーが交差点に入り、速度を落とす。信号待ちの車の隊列をぬって、ハイチ系の物売りが数人こちらに向かってくる。そのうちの一人、マニ(ピーナッツ)を売っている男性と目があった。その瞬間、かつてスペイン語学校で机を並べたハイチ系の友人たちの顔が鮮明によみがえり、不意に胸がしめつけられた。その時の私たちは、顔を合わすたびに片言のスペイン語と満面の笑顔だけで、必死に何かを伝えようとしていたし、言葉のわからない外国で生活をする不安や寂しさを共有していたように思う。こみあげてきた感傷にまかせるままに、普段なら見向きもしないマニを買ってみようかと窓を開けかけたとき、運転手が車を急発進させて物売りの男を置き去りにした。