ロータリーの青い空
2010年6月5日

バス停に向かっていつものロータリーを歩いていたわたしは、ふと見あげた看板の背景が青いことに気づいた。なぜだろう、ここでは空が真っ青になる日は少ない。雲があってもなくても、空は白っぽく、淡い水色をしていることがほとんどだ。
2010年6月5日

バス停に向かっていつものロータリーを歩いていたわたしは、ふと見あげた看板の背景が青いことに気づいた。なぜだろう、ここでは空が真っ青になる日は少ない。雲があってもなくても、空は白っぽく、淡い水色をしていることがほとんどだ。
2010年5月29日

「トイン見て、きれいやね……」
手が届きそうな天の川に、息をのむ。足もとの暗闇、目の前の人ごみ、胸に抱えたバッグ。眠らない、大都市ラゴスの夜。流れに乗ってただまっすぐ進まなければならないのに、立ち止まって見つめずにはいられない。
左斜め前を行くトインが、頭の上のバッグを右手でささえながら、ふりかえる。
彼女はほほえんだ。
「ほら、撮りなよ」
2010年5月22日

体がだるい……。
朝から外出していたわたしは、昼過ぎに体の様子がおかしいことに気づいた。座っているのもだんだんときつくなり、仕方なく家に帰ることにした。床に一枚の布を敷いて横になる。それにしても、今日は暑い。
熱い。体温なのか、気温によるものなのか、なにが熱いのかわからない。いつのまにかあたりは暗い。不安になって下の階にいる友人に電話をかける。友人の携帯は鳴らない。少しでも冷たい空気に触れたくて、転がりながら窓の下へ行く。
2010年5月15日

「なんの本を読んでるんですか?」
左の座席に座るタイ人の青年が、本のなかのモノクロ写真を興味深そうにのぞきこむ。
「今から55年くらい前にアフガニスタンを旅した人の探検記」
わかったような、わからないような顔をする青年。わたしは本を閉じ、イヤホンを外した。
2010年5月8日

「明日来ると思ってたのに……」
着古したTシャツに膝丈のスカートでミシンに向かうタヨが、残念そうに言う。アーティストのパパケイの夫人、ママケイが営む仕立屋に見習いで通うタヨと、この翌日、わたしは記念写真を撮る約束をしていた。4か月近くつづいた大学のストライキが解除されることになり、翌週、タヨは大学がある隣の州に戻ることになっている。
2010年5月1日

2010年4月19日、ロンドンの空港が再開されないまま5日が過ぎ、わたしは成田空港をあとにした。バックパックに押しこんだ一通の手紙は、妹へ届かなかった。
「さっきから2時間も待ってるのに、何も変わらないじゃないか」
「娘の試験が来週はじまるんです、どうしても明日までに飛行機に乗せてください」
思い思いの事情を抱えた人びとの長い列が、チェックイン・カウンターまで連なる。スーツケースが積まれたカートにもたれかかる白髪の男性が広げた英字新聞には、アイスランド火山の噴火とヨーロッパ各地の空港大混乱を報じる記事。その後ろで、半そでに短パン姿の金髪の男性が、4月半ばに雪降る異常な寒さに両腕をさすっている。
ティティは8年間、ナイジェリアの家族に会っていない。今年4月にロンドンへ行くことが決まったわたしに、姉のトインは、この手紙をたくした。
2010年4月24日

携帯を気にしながら、ベルトコンベアと1時間半のにらめっこ。やっと自分のバックパックを見つけ、出口へ向かう。携帯はまだ鳴らない。はしっこの目立たない場所を探して荷物を置き、携帯をにぎりしめる。2時間経って、係員たちが掃除をはじめる。空港からだんだんといなくなる人びとを、柱に寄りかかり、ぼんやりと眺める。
ここ、西アフリカ最大の商業都市ラゴスの国際空港には、宿やレンタカーの案内所もなければ、バスはもちろん、安心して乗れるタクシーもない。
2010年4月17日

「こういうことが、子どもたちの思い出として残るのよ」
アミナがそうつぶやいてはじめて色づいた、この遊園地。裕福であっても、貧しくても、この場所でも、あの時でも、変わらないものがある。
ラゴスのゲットー、アジェグンレで育ったアミナの話を聞くのが好きだった。貧しいなか家族10人が寄り添って、6畳ほどの部屋で暮らした。問題がなかったわけじゃないけれど、しあわせな思い出。結婚して裕福になったアミナは、首都アブジャの一等地に家を買い、車を4台買った。アジェグンレの話をしなくなったアミナのあたらしい暮らしに、わたしは戸惑った。
2010年4月10日

後輪に結ばれた朱色の錠をほどき、空色の自転車をこぐ。登校する小学生たちを追い越しながら、坂道をすべるように降りる。園児を送る何台もの父兄の車を軽いブレーキでかわし、ぐるり、ロータリーをまわる。臙脂(えんじ)色の電車の下をくぐった先で片足を地面につけ、スーツを着た人びとと並んで信号を待つ。真上を行くモノレールを見上げながら坂を登りつめれば、下に見えてくる高速道路をへだてた向こうに白色の小手毬(こでまり)と桜並木。疾走をつづけて着いたこの大学院生室からも、淡紅色の、七部咲きの桜が見える。
2010 年4月。2年ぶりにむかえる日本の春なのに、それほど懐かしくない、桜を見る感覚。
「オワンビオバイイー(ここで降ります)!」
2010年4月3日

ウチェは歴史学を専攻する大学4年生。生活を支えるのは、退職した母親からの仕送りと、パート・タイムで働く姉とロンドンに住む叔父からの小遣い。これでは、授業に必要な本のコピーもとれないし、3度の食事もままならない。美容院にも行きたいし、新しい服やアクセサリーもほしい。浪人中の弟にも小遣いをあげたい。
ナイジェリアでも若者たちはバイトをする。けれども彼らが雇われることはほとんどない。雇われるとすれば、10代の子どもたちまで。それもほとんどの場合は雇用主の手伝いや見習いであって、駄賃をもらえる程度。アルバイト雑誌も存在しない。若者は自分たちで仕事を立ちあげる。それが、ナイジェリアのバイトである。
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