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	<title>清水弘文堂 &#187; 緒方しらべ</title>
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	<description>環境学、民俗学の学術書を提供する清水弘文堂の公式ウェブサイトです。</description>
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		<title>煩悩即菩提</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 00:00:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
				<category><![CDATA[d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから]]></category>
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		<description><![CDATA[d beauty of9ja――誰かに経験と思いを伝える文章を手紙以外で書いたのは、これがはじめてだった。本をろくに読まず、ボキャブラリーが貧困なわたしが、文章をとおして、人になにかを伝えようとしている。そうして過ごして [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/12/dbeautyof9ja-100-200309-540.jpg" alt="2003年8月、イフェ　モダケケ地区のトインの下宿のまえにて" title="2003年8月、イフェ　モダケケ地区のトインの下宿のまえにて" width="358" height="540" class="aligncenter size-full wp-image-7326" /></p>
<p>d beauty of9ja――誰かに経験と思いを伝える文章を手紙以外で書いたのは、これがはじめてだった。本をろくに読まず、ボキャブラリーが貧困なわたしが、文章をとおして、人になにかを伝えようとしている。そうして過ごしてきたこの2年間が、信じ難くもある。</p>
<p><span id="more-7321"></span></p>
<p>中学生のころからミュージシャンになりたかった。音を奏でるイメージは、いまでも頭から離れない。歌うように、鳴らすように、伝えられたらいいのにと思っていたが、簡単じゃない。言葉を探し、文章をつなげ、活字で表現するということ。わたしを知らない誰かに伝えるため、目で見たこと、肌で感じたこと、脳裏に浮かぶものを書くことに思いのほか骨を折る。友だちに書く手紙なら、迷わず筆が進むはずなのに。目を見つめれば、きっといくらでも語りかけることができるだろうに……。</p>
<p>頑固であきらめの悪いわたしは、これから一体どれほど柔軟に、まっさらに、書いていくことができるのか。誰に頼まれるでもなく、なにかに追い立てられるわけでもない。無理して伝える必要なんてない。それでも伝えたい欲望がとまらないのは、伝えたいものをわたしにあたえてくれる人たちがいるからだと言ってしまうと、ずるいだろうか。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />2003年8月、大型の鉄鍋でジョロフ・ライスをつくるトイン。当時はまだデジタルカメラを使っておらず、数に限りのあるフィルムがなくなることを恐れ、「遊び」はインスタントカメラで撮っていた。「遊び」こそかけがえのない大切なものだとは知らずにいたころのことだ。この日は、大学で新入生歓迎会が開かれることになっており、幹事であったアミナは、歓迎会用の食事をつくるためにトインとわたしに手伝いを頼んだ。ナイジェリアの都市では、屋外でこのように料理するのは基本的に賄いの仕事をしている人のみで、料理はふだん屋内の台所でする。土曜日の午後、青空の下ではしゃぎながら、ふざけながら、必要のない味見を何度もしながらご飯を炊き、夕方無事に会場へ届けた。はじめての9ja滞在で苦しかった2か月半のなかで、たのしいと感じた数少ない日のひとつだった。<br />
&nbsp;<br />
この連載の第1回目は、トインの「出発」ではじめた。ここに写っている彼女の6年後の姿だった。100回目となる今回は、トインに出会ったころの写真のなかから、わたしが一番好きなこの写真を選んだ。2012年からは、更新曜日や頻度をふくめ、あたらしいスタイルで書きはじめたいと思っている。<br />
&nbsp;<br />
2003年8月、イフェ　モダケケ地区のトインの下宿のまえにて</p>

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		<title>アートに生きる</title>
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		<pubDate>Sat, 24 Dec 2011 06:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
				<category><![CDATA[d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから]]></category>
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		<description><![CDATA[人口約40万のイフェに、アーティストと呼ばれるひとたちは100～500人いるといわれている。そのうち66人と出会ったが、国内外で有名なアーティストはひとりかふたり、いるかいないか。 アーティストたちの作品を眺めてみる。面 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/12/dbeautyof9ja-100-20110907-540.jpg" alt="2008年9月7日　イフェ　モーレ地区のパパケイの自宅まえにて" title="2008年9月7日　イフェ　モーレ地区のパパケイの自宅まえにて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7307" /></p>
<p>人口約40万のイフェに、アーティストと呼ばれるひとたちは100～500人いるといわれている。そのうち66人と出会ったが、国内外で有名なアーティストはひとりかふたり、いるかいないか。</p>
<p><span id="more-7306"></span></p>
<p>アーティストたちの作品を眺めてみる。面白いものも面白くないものも、センスのよいものもよくないものも、丁寧なものも雑なものも、売れるものも売れないものも、色いろ、ある。</p>
<p>彼らの暮らしを訪ねてみる。6畳間のアパートで家族と住んでいる人、2階建ての家で車を2台所有している人、近所の人たちと冗談を言いあって笑っている人、目を閉じて祈っている人、さまざま、だ。</p>
<p>彼らの姿を見つめる。自らの才能を信じて夢をあきらめない人、荷を背負いすぎであっても胸に誇りを捨てない人、愚痴をこぼしては可能性を拾い集める人、黙って足で歩んで手を動かしつづける人……ただ、創ることをやめない人たちがそこにいる。</p>
<p>果てしないやるせなさと底なしの明るさを持ちあわせる彼らが、アートに生きている。その不条理を、原動力を、描こうとするわたしがここにいる。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />アーティストのパパケイ（中央）とその家族。わたしはイフェのアーティストたちを訪ね歩いてフィールドワークをおこなっている。つくり手や作品について知ろうとして気づくことは、つくり手がアートに出会いその技術を習得していくことや、作品に価値が見出されていくこと、そして、つくり手が家族をはじめとする周囲の人たちとつながりをもつことだ。その過程で、さまざまな闘争や交渉、それから、よろこびや悲しみ、不安や希望といった葛藤がつくり手のなかに、つくり手と周囲の人びととのあいだに生じる。そうして彼らがアートとともに人生を歩んでいることを、「アートに生きる」として、わたしはその様子を文化人類学において描きだそうとしている。<br />
2008年9月7日　イフェ　モーレ地区のパパケイの自宅まえにて</p>

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		<title>父よ、母よ</title>
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		<pubDate>Sat, 17 Dec 2011 05:02:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[木彫家アフォラヨンの自宅を訪ねた。15年の歳月をかけて建てたばかりの平屋の扉は重く頑丈だが、窓枠には白色の厚手のビニルシートがさげてあるだけで、網戸も窓ガラスもはめられていない。壁は内側も外側もコンクリートのままで、屋根 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/12/dbeautyof9ja-098-20110614-540.jpg" alt="2011年6月14日、イフェ　アフォラヨンの自宅裏庭にて" title="2011年6月14日、イフェ　アフォラヨンの自宅裏庭にて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7298" /></p>
<p>木彫家アフォラヨンの自宅を訪ねた。15年の歳月をかけて建てたばかりの平屋の扉は重く頑丈だが、窓枠には白色の厚手のビニルシートがさげてあるだけで、網戸も窓ガラスもはめられていない。壁は内側も外側もコンクリートのままで、屋根には数十枚のトタンがのっかっているだけ。光の入らない居間に並べられた椅子とテーブル、ドアのないふたつの部屋の入り口にかけられた布の隙間から見える寝具、ガス台のない台所の床に重ねられた食器は、アフォラヨンがここに家族と住んでいることを静かに告げる。</p>
<p><span id="more-7297"></span></p>
<p>裏庭の小さな家庭菜園のそばで、彼のライフヒストリーを聞かせてほしいと頼む。アフォラヨンは部屋へ戻って、なにかを持って庭へ出てきた。父親と母親の写真だった。</p>
<p>貧しい農夫だった父親は、家族のために懸命に働いた。息子を中学校へ進学させてやることはできなかったけれど、弟子入りして夢中に木を彫りつづけた息子は、やがて一流の木彫家となってひとり立ちした。けれども作品が売れない時代は長い。病に伏した父親の死を見とどける以外、息子はなにもすることができなかった。いま、アフォラヨンの希望は、子どもたち3人を大学へ進学させること。そして、車を買って、田舎に住む母親のところへ通うこと。</p>
<p>葛藤と希望がにじむ光彩をひとみからこぼしながら彼は言った。<br />
「あたらしい時代は来ますから」</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />アフォラヨンが見せてくれた父親（左）と母親の写真。いずれも1960年代に撮影されたと思われる。彼は、目もとは母親に、口もとは父親によく似ている。1960年代から1980年代までは、海外からの観光客や国内の富裕層に売れていた木彫だが、1990年代よりほとんど売れなくなってきている。その原因として、儀礼用具として木彫を必要とする土着信仰が衰退していることや、ナイジェリアの経済不安により、装飾品としての木彫が売れなくなっていることなどがある。しかし、西アフリカのヨルバランドから北米、中米、南米へと離散した奴隷の子孫たちの一部は現在でもヨルバの土着信仰を受けついでおり、こうした海外からの木彫の需要が、不定期ながらもある。<br />
2011年6月14日、イフェ　アフォラヨンの自宅裏庭にて</p>

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		<title>祈れ</title>
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		<pubDate>Sat, 10 Dec 2011 00:00:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[どうしようもない状況で9jaの人びとは祈る。でもそれは、困ったときの神頼みではない。 彼らはいつも、毎朝目ざめてすぐ、仕事をはじめるまえや旅立つまえ、食事のまえや集会の終了後、そして1日の終わりに、祈っている。貧富の差、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/12/dbeautyof9ja-097-20100627-540.jpg" alt="2010年6月27日　イフェ　イロデ地区のプロテスタント教会にて" title="2010年6月27日　イフェ　イロデ地区のプロテスタント教会にて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7290" /></p>
<p>どうしようもない状況で9jaの人びとは祈る。でもそれは、困ったときの神頼みではない。</p>
<p>彼らはいつも、毎朝目ざめてすぐ、仕事をはじめるまえや旅立つまえ、食事のまえや集会の終了後、そして1日の終わりに、祈っている。貧富の差、権力ある者から弱き者への搾取、何十年待っても整わぬインフラなど、多くの人びとにとって、3度の食事やきょうの仕事、通学や進学もままならない。</p>
<p><span id="more-7289"></span></p>
<p>神を信じて、感じて、感謝して祈る姿は、たくましい。右も左も行き止まり、まえに進むこともうしろへ戻ることもできない選択肢なき状況で、祈りつづけて道を切りひらいていく。</p>
<p>もう祈るしかないからなのか。信じてやまない心があるからなのか。</p>
<p>気づけばわたしは、どうしようもない日に祈るようになった。ありあまる選択肢をまえにどうしようもないだなんて、甘えた人間の戯言を神さまが聞いてくれるだろうか。</p>
<p>「一緒に祈ろう」「祈ってるから」「祈るのよ」<br />
そう何度も言われた9jaの日常を思い出す。信じるつよさを、祈る力を、いま、もう一度感じてみる。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />教会での日曜礼拝で祈る人びと。この教会では毎週日曜日、朝8時半から午後1時半まで、人びとは歌い踊りながら、祈りつづける。個人で祈るときは心のなかで静かに唱えることもあるが、教会など集団のときは大きな声で唱え、手足を動かし、全身で祈る。イフェのおもな宗教はキリスト教、イスラム教徒、土着信仰だが、キリスト教徒が多い。ナイジェリアの人びとは信仰が厚く、宗教活動を盛んにおこなう。たとえば、キリスト教徒が日曜日に教会へ行くことは必須であり、それだけではなく、週2、3回以上あるいは毎日教会へ行って祈ったり、聖書学を学んだり、教会内のさまざまな活動に参加する人たちも多い。宗教活動はかならずしも信仰のためだけではなく、相互扶助をはじめとするいくつかの働きがあることも、ナイジェリアで宗教が重要視されることの理由のひとつだろう。<br />
2010年6月27日　イフェ　イロデ地区のプロテスタント教会にて</p>

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		<title>時代が変わっても</title>
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		<pubDate>Sat, 03 Dec 2011 00:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[かつてこの土地では、ヨルバの神々をあがめる信仰のために盛んに木が彫られていた。儀礼のための道具や太鼓、神像や祠の柱にも、人物や動物の具象的な像をあしらった装飾がほどこされていた。19世紀にイスラム教とキリスト教が布教する [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/12/dbeautyof9ja-096-20091031-540.jpg" alt="" title="" width="361" height="540" class="aligncenter size-full wp-image-7247" /></p>
<p>かつてこの土地では、ヨルバの神々をあがめる信仰のために盛んに木が彫られていた。儀礼のための道具や太鼓、神像や祠の柱にも、人物や動物の具象的な像をあしらった装飾がほどこされていた。19世紀にイスラム教とキリスト教が布教するまえのことだ。</p>
<p><span id="more-7246"></span></p>
<p>木彫の需要は20世紀半ばにはどんどん減っていった。しかし躍動感とユーモアあふれるヨルバの木彫は国内外の一部の人びとを魅了しつづけ、わずかとなったつくり手たちは彫ることをやめなかった。なかでも1940年代からカトリック教会の装飾として依頼を受けるようになったことは、主題こそそれまでとはちがうが、同じ木をつかって、同じスタイルで彫るという意味で、ヨルバの伝統を継続させるきっかけとなった。けれども、木彫づくりは以前のように盛んにはならない。</p>
<p>それでもいま、毎日彫りつづける人たちがいる。<br />
「彫ることは体の一部みたいなもんだから」<br />
「祖父の教えをただ受け継ぎたくて」<br />
――そう静かに口にする彼らのそばで、時代が変わっても変わらないなにかを、見つけたい。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />教会から依頼された十字架とキリストの像を彫り終えた木彫家のローレンス・アヨデレ。かつて人びとの生きるささえでもあった土着信仰は、現在では、「昔の風習」どころか「危険なもの」とすら言われるようになった。その背景には、いけにえとして人の命が捧げられることがあったり、憎しみや金銭的利益のために信仰がつかわれるようになったことなどがある。しかしもちろん、善のために、そして先祖から伝えられてきた伝統を守るために、現在でも土着信仰を捨てない人びともいる。<br />
2009年10月31日　イフェ　アジバンデレのアヨデレの工房にて</p>

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		<title>I miss you</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 00:00:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「I miss you――会いたいわ」 電話の向こう、大陸を越えた外国にいる夫にそう言っていたママ・ブリジッタ。話のほとんどはエヴェ語（ガーナ南西部を中心に話されている言語）でわからなかったけれど、この英語はいつも下宿の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/11/dbeautyof9ja-095-20090722-540.jpg" alt="2009年7月22日　イフェ　モダケケ地区の下宿にて" title="2009年7月22日　イフェ　モダケケ地区の下宿にて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7220" /></p>
<p>「I miss you――会いたいわ」<br />
電話の向こう、大陸を越えた外国にいる夫にそう言っていた<a href="/d-beauty-of-9ja/22-mama-brigitta/" title="ママ・ブリジッタ">ママ・ブリジッタ</a>。話のほとんどはエヴェ語（ガーナ南西部を中心に話されている言語）でわからなかったけれど、この英語はいつも下宿の居間から、庭から、ベランダから聞こえてきていた。</p>
<p><span id="more-7218"></span></p>
<p>2010年、欧州から一時帰国した夫と5年ぶりの再会を果たしたママ・ブリジッタ。その1年後、母国ガーナで仕事の決まった夫のもとへと引っ越して行った。彼女にとって、11年ぶりの帰郷だった。</p>
<p>かつて夫が仕事をしていたイフェに娘とふたりで残っていたママ・ブリジッタと、同じ下宿で19か月過ごした。掃除や水汲み、料理や看病、雨漏り対策や巨大ネズミの退治、愚痴や悩みの言いあい、なんでも一緒にやってきたひとつ屋根の下。異国の地での不自由と孤独を気に病まず、女ひとりしっかりとやっていく彼女の姿を見ることは、「9ja暮らしのレッスン」でもあった。学んだ秘訣は、しっかり食べることと、たくさん笑うこと。</p>
<p>ともに暮らしたあたりまえの日々はときの向こうに過ぎ去り、かけがえのない思い出となった。つぎに下宿へ行ってももう会えないけれど、最愛の人と一緒に暮らせるようになった彼女に今度はわたしが言う。<br />
「I miss you――会いたいよ」</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />誕生日の晩、当時フランスで仕事をしていた夫と携帯電話で話しをするママ・ブリジッタ。ひとり娘のブリジッタの手料理と手づくりのケーキ、そして少しのお酒を下宿のみんなでかこみ、ママ・ブリジッタの誕生日を祝った。この夜も電気はなく、音楽をかけて踊ることのできないパーティだったが、ろうそくの明かりとにぎやかな笑い声のなかでママ・ブリジッタはよろこんでいた。暗くてきちんと写真を撮れなかったため、数日後、太陽の光のなかで誕生日の記念写真を撮った。ママ・ブリジッタは夫が買ってくれたこの白いワンピースをもう一度着て、庭でポーズをとった。<br />
2009年7月22日　イフェ　モダケケ地区の下宿にて</p>

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		<title>あおぞらエンターテイメント</title>
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		<pubDate>Sat, 19 Nov 2011 00:00:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[雨期もたけなわ、ヨルバの地ではエグングンと呼ばれる祖先崇拝の祭がおこなわれる。キリスト教とイスラム教が主流となったこの国では、土着信仰である祖先崇拝はわずかな信者たちによってひっそりとしかおこなわれなくなった。それでも祭 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/11/dbeautyof9ja-094-20080809-540.jpg" alt="2008年8月9日　イフェ北部　イペトゥモドゥの王宮敷地内にて" title="2008年8月9日　イフェ北部　イペトゥモドゥの王宮敷地内にて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7213" /></p>
<p>雨期もたけなわ、ヨルバの地ではエグングンと呼ばれる祖先崇拝の祭がおこなわれる。キリスト教とイスラム教が主流となったこの国では、土着信仰である祖先崇拝はわずかな信者たちによってひっそりとしかおこなわれなくなった。それでも祭囃子と熱気に誘われれば「信仰」はにのつぎ。映画館や水族館、サッカー場もテーマパークもないこの地で年に1度の「あおぞらエンターテイメント」は、人びとを集わせ、魅了する。</p>
<p><span id="more-7212"></span></p>
<p>頭から足の裏まで布で厚く覆われているエグングンの踊り手は駆けまわるように舞う。なんじゅうにも重ねられた古い布ははためいて何度もめくれるのに、内側の正体は見えない。目も鼻も口もない踊り手の脳天には動物の角や骨をあしらった不気味な木製の仮面。男たちはそのまわりで木の枝をふりまわし、鞭打ちあい、はやしたてる。踊り手は観衆の群れをめがけて走りだす。男たちも追って走る。逃げだす観衆たちは声をあげ砂埃を立てて散っては、また群れる。集まった老若男女はもう、数えきれない。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />全身を布で覆われたエグングンの踊り手や、はやしたて役の男たちを見に王宮に集まった人びとの一部。子どもたちはトラックのうえの見晴らしのよい席でたのしんでいる。エグングン（踊り手に宿った祖先の魂）を見ると、頭上で大きく輪を描くように両手をまわす風習がある。アクロバティックな舞と男たちのはげしい衝突（木の枝で鞭打ちあう）で祭は盛りあがる。踊り手は太鼓奏者たちを引き連れて家を出発し、街をまわって王宮に到着すると、王に舞を披露する。舞を終えると王のまえでひざまずき、王からの祝福と報酬を受けて家へ帰っていく。毎年6月から8月にかけてヨルバランド各地でおこなわれる祭だが、キリスト教徒の反対により中断したり廃止された地域もある。<br />
2008年8月9日　イフェ北部　イペトゥモドゥの王宮敷地内にて</p>

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		<title>はじまり</title>
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		<pubDate>Sat, 12 Nov 2011 00:00:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
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		<category><![CDATA[アフリカ]]></category>
		<category><![CDATA[ナイジェリア]]></category>
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		<description><![CDATA[「アートをやるようになったきっかけってなんですか？」 街のアーティストたちにたずねてみる。 「小学生のころ黒板に先生の絵を描いて罰を受けたのがはじまり。なんか悔しくて」 「20歳前後にやってた新聞配達先でアーティストたち [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/11/dbeautyof9ja-093-20090620-5401.jpg" alt="2009年6月20日　イフェ　モーレ地区のパパケイの自宅兼アトリエにて" title="2009年6月20日　イフェ　モーレ地区のパパケイの自宅兼アトリエにて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7209" /></p>
<p>「アートをやるようになったきっかけってなんですか？」<br />
街のアーティストたちにたずねてみる。</p>
<p><span id="more-7204"></span></p>
<p>「小学生のころ黒板に先生の絵を描いて罰を受けたのがはじまり。なんか悔しくて」<br />
「20歳前後にやってた新聞配達先でアーティストたちと知り合った」<br />
「中学のとき生物学が好きで、微生物とか動物、それに人間の内臓とか描いてたから慣れてたんだ」<br />
「大学入試代を稼ごうと思ってはじめたバイト先で土器づくりやってて、俺は夢中になった」<br />
「父から教わったんだ」<br />
「下宿の近くにアーティストたちが住んでて、彼らは成功しててさ。俺はもう30過ぎてたんだけど、当時の仕事を辞めてアートをやろうって決めた」<br />
「うちには中学校へ行く金がなかったので、彫り師だった従兄のところで学ぶことにしました」<br />
「絵が好きなぼくに、兄が中学でアートの教員をやってる友人を紹介してくれたんだ」<br />
「ただ好きで3歳のころから彫ってたら家族や近所の人たちにほめられてね」<br />
「兄貴が中学の課題で描いたっていう校舎と花の絵を見て素敵だなって思ったの、いまでも覚えてる。ぼくはまだ小学生だったな」</p>
<p>さまざまなきっかけと、色とりどりのストーリーを語ってくれる。</p>
<p>ひとりの人間が生まれる。その人がまたべつの人やモノに出会う。それを可能にする、あるいは阻む、家族や友人、地域や国の状況がある。目のまえにあるその作品は、努力も才能も、想像も創造も、悲劇も奇跡も、すべて抱えて生きている人間から生まれる。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />アーティストのパパケイの二女ララ（6歳）が、自分で描いた絵を見せてくれた。<br />
2009年6月20日　イフェ　モーレ地区のパパケイの自宅兼アトリエにて</p>

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		<title>姉妹</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Nov 2011 13:06:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
				<category><![CDATA[d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから]]></category>
		<category><![CDATA[アフリカ]]></category>
		<category><![CDATA[ナイジェリア]]></category>
		<category><![CDATA[フィールドワーク]]></category>
		<category><![CDATA[人類学]]></category>
		<category><![CDATA[緒方しらべ]]></category>
		<category><![CDATA[芸術]]></category>

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		<description><![CDATA[11月とは思えないほどに汗ばむ陽気の午後、自動販売機のまえで立ちどまって選んだのはパイナップルジュースだった。甘くて濃い果汁をストローで吸い込みながら思い出したのは、いまにも消えそうな声で妹が口にした「パイナップル……」 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/11/dbeautyof9ja-092-20091204-540.jpg" alt="2009年12月4日　イフェ　モダケケ地区の下宿にて" title="2009年12月4日　イフェ　モダケケ地区の下宿にて" width="540" height="363" class="alignnone size-full wp-image-7201" /></p>
<p>11月とは思えないほどに汗ばむ陽気の午後、自動販売機のまえで立ちどまって選んだのはパイナップルジュースだった。甘くて濃い果汁をストローで吸い込みながら思い出したのは、いまにも消えそうな声で妹が口にした「パイナップル……」のひと言。</p>
<p><span id="more-7200"></span></p>
<p>あの日、電話をすると妹はマラリアで寝こんでいた。「何なら食べれる？」とたずねて、果物屋さんへ寄って家へ駆けつけた。でも居間で旦那さんや息子や友だちとDVDで映画を観ながらとても元気そうにしている姿を見て、気が抜けた。足もとにたまっていた洗濯ものの心配から将来の夢の話までしゃべりつづける妹と、窓の外が濃紺一色になるまで一緒にいた。</p>
<p>末っ子のわたしを「お姉ちゃん」と呼ぶ唯一の人、甘えてばかりのわたしが甘えさせてしまう世界でただひとりの妹、ウチェ。砂ぼこりのバス通りを、かしましい市場を、路地裏の凸凹を、きょうもおなかの子と一緒にゆっくり歩いているのだろうか。胸が満たされると、空のパックをぎゅっとにぎってビルの谷間をまた歩きはじめた。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />夕食後、停電していない隙にノートパソコンでDVD（映画）をたのしむウチェ（左）と、リラックスするウチェの実姉トイン。2009年12月4日　イフェ　モダケケ地区の下宿にて</p>

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		<title>イヤ・アラロ</title>
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		<pubDate>Sat, 29 Oct 2011 00:00:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>緒方しらべ</dc:creator>
				<category><![CDATA[d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから]]></category>
		<category><![CDATA[アフリカ]]></category>
		<category><![CDATA[ナイジェリア]]></category>
		<category><![CDATA[フィールドワーク]]></category>
		<category><![CDATA[人類学]]></category>
		<category><![CDATA[緒方しらべ]]></category>
		<category><![CDATA[芸術]]></category>

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		<description><![CDATA[隣街のオショボに、藍染め工房がある。と言っても、土壁とさびついたトタン屋根の古い家屋に囲まれた空き地に、土器製の坪や道具がいくつか、細い木と竹で支えられたツギハギだらけの屋根の下で寄せてあるだけの場所。ワンピース用のいく [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/wordpress-top/wp-content/uploads/2011/10/dbeautyof9ja-091-20110704-540.jpg" alt="2011年7月4日　オショボ　オケ・ポポのイヤ・アラロの自宅まえにて" title="2011年7月4日　オショボ　オケ・ポポのイヤ・アラロの自宅まえにて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-7167" /></p>
<p>隣街のオショボに、藍染め工房がある。と言っても、土壁とさびついたトタン屋根の古い家屋に囲まれた空き地に、土器製の坪や道具がいくつか、細い木と竹で支えられたツギハギだらけの屋根の下で寄せてあるだけの場所。ワンピース用のいくつもの布を藍色に染めたいわたしは、専門は絵画だが伝統的な藍染めにも興味を持っているアーティストのパパケイを誘って、この工房をこれまで何度も一緒に訪れている。</p>
<p><span id="more-7166"></span></p>
<p>藍色に深く染まったしわしわの手をふって迎えてくれるのは、工房の主、イヤ・アラロ（ヨルバ語で「藍染めのおばさん」）。最初は「金持ちのガイコク人とその付き添い人」だと思われていたようだけれど、足しげく通ううちに、「伝統的なものに興味しんしんの娘と息子」のようにわたしたちを迎えてくれるようになった。古いものならなんでも好きなのかと思っているのか、自作の藍染めの布だけではなく、40年まえの織り布や、かつて染料としてつかっていた老木も家の奥から持ち出してきて、昔話をしてくれる。</p>
<p>「ぼくの母親にどこか似てるんだよね」<br />
パパケイはそっとわたしに言った。肝がすわっていて強気だけど、ユーモアとあたたかさに溢れるイヤ・アラロ。昔話をしてくれたあとには、「で、これも買うかね？」と、ちゃんと商売っ気を忘れないところも憎めない。</p>
<p class="naija-caption"><strong>Photo</strong><br />カムウッドに水分をふくませ、赤褐色の染料をとりだすところを実演してくれるイヤ・アラロ。カムウッドはアフリカビャクダンともいい、西アフリカ産のマメ科の高木（Baphia nitida）。かつては赤色染料として、化粧などに使われていたという。わたしたちが藍染めのためにオショボまで行くのは、3、40年まえまではイフェの街にいくつもあった工房が、現在はひとつもないからだ。輸入された布や洋服が増え、伝統的な布の流行も少しずつ変化していき、藍染めの布や糸の需要は減った。いまでは、藍染めの工房には、色褪せたジーパンを濃くしたい人、大都市で観光客に売る「アフリカ的」な染めの布やデザイン・シャツをつくるアーティスト、伝統宗教の儀礼に藍色の糸を必要とする人たちからの依頼がわずかにあるくらいだ。<br />
2011年7月4日　オショボ　オケ・ポポのイヤ・アラロの自宅まえにて</p>

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