ゴッド・ブレス・ナイジェリア
2011年6月25日

2011年、9jaで再会した人たちの多くは、「震災で大変だったんだってね」と声をかけてくれた。新聞、テレビ、インターネットを通じて、「3.11」のニュースにこの国でもたくさんの人びとが胸を痛めた。
2011年6月25日

2011年、9jaで再会した人たちの多くは、「震災で大変だったんだってね」と声をかけてくれた。新聞、テレビ、インターネットを通じて、「3.11」のニュースにこの国でもたくさんの人びとが胸を痛めた。
2011年6月19日

「一緒に食べようと思ってまだ殺さないでいたんだ」
パパケイはそう言うと、育てて6か月になる雄鶏をケージから放した。二男はまきで火をおこし、鍋いっぱいの熱湯を準備する。パパケイはナイフを研ぐ。雄鶏と妹たちは、一緒に走りまわって遊んでいる。嫌がったり、手を洗ったり、エプロンをつけたりする様子はまったくない。小さな娘たちはパンツ一枚に砂だらけの手足でたのしそうだ。
2011年6月12日

写真:母親が準備をしたロヘリオの昼食。ドミニカ共和国、バニにて
毎朝、近所のコルマドへパンを買いに行くのが私の日課である。ある日、ロヘリオの家のまえを通りかかったときにいつもと違うことに気がついた。「Rogelio no tiene la casa(ロヘリオには家がない)」と入口近くに落書きされていたのである。
平屋だろうが、高層マンションだろうが、ブロックを積みあげていくのがドミニカ流の建築スタイルである。外壁は、ブロックの表面にセメントを塗って下地にする。下地ができると、あとは施主の好きな色でペンキを塗れば完成である。どの町に行っても、素材がブロックから板にかわることはあっても、色とりどりに塗られた外壁はかわらない。強い日ざしが反射する、壁が立ち並ぶ通りを歩いていると虹のなかにいる感覚になる。なので、壁に文字が書かれてあると目をひく。たいていの場合は、「Se Vende(売り家)」「Se Alquila(入居者募集)」というものだから、内容が内容だけに、ロヘリオの家の落書きは異様にうつった。そういえばここ数日、彼の姿を見かけない。ロヘリオになにかあったのだろうか。胸騒ぎがした。
2011年6月11日

イフェのとある写真家にインタビューに行くと、その家の子どもたちに勉強を教えていたのがシェグンだった。2度、会話をしただけ。彼はナイジェリアで大学に進学することの困難さを語った。2005年のことだ。
3年まえ、道でばったり再会したシェグンは道沿いにキオスクをかまえていた。わたしはそこで買いものをするようになった。たくさん話をするようになったわたしに、彼はビジネスの展望を語ってくれた。
2011年6月4日

関西国際空港を発って11時間のフライトを終えると、カタールの首都ドーハに着く。乗り継ぎ客用の荷物検査場を抜ければ、前後にいた日本人たちはたちまちどこかへ散っていく。両肩にくいこむ機材の入ったリュックサックの重みも忘れながら急ぎ足で着いたラゴス行きの搭乗口には、懐かしい人たちが集まっていた。
2011年5月31日

写真:「ミャウチカー」は、独特のにおいを消すためにさまざまな香草、調味料と一緒に炒める。
「食べること」は、私たちの生活の基礎をなすが、何をどのように食べるのかは、おなじ集団同士であっても、自明ではない。例えば、関西と関東で味つけが違う、そんなふうに食べないだろうというものを他県の人が食べるなど、普段は意識しないのだが、ふとしたときに、ああそうか、と気がつかされることがある。同じことは、タイの難民キャンプでもおこる。
同じ民族同士でも、異なる食習慣をもつ人に出会うのが難民キャンプである。例えば、ビルマ東部のカヤー州出身のカヤーという人びとは、サルを食べる。その料理は、ビルマ語で「ミャウ(サル)チ(大便)カー(苦い)」と呼ばれる。その名がほのめかしているように、「チ」のものと思われる独特のにおいがする。風味に加えて、そのサルの希少性も、この料理を珍味たらしめている。犬と同じように、食べたら身体が火照り、たくさんは食べられないらしい。
2011年5月28日

19世紀末から20世紀半ばにかけて、アフリカの木彫は欧米をはじめとする美術家や美術愛好家たちを魅了した。関心の中心は、珍奇で魅惑的、そして、エキゾチックな美。ピカソやマチスといったヨーロッパの画家たちも、その美に影響を受けて作品をつくった。彫刻のつくり手や享受する人、そしてそれが現地でどのように使われるのかということは、美術家たちにとっては二の次だった。
2011年5月21日

モノレール、リムジンバス、飛行機、車、乗合バスを乗り継いで46時間。見るもの、匂うもの、聞くもの、触るもの、話す言葉……すべてがいつもと違う。いま、わたしは異国にいる。
水を汲んで、ほうきで掃いて、水を浴びて、マッチを擦って、明かりを灯す毎日。ばかみたいに時間ばかりかかる不便さに途方に暮れて、ふと気づく。場所を異にしても、変わらない自分を知る。
2011年5月14日

奮発してたっぷりのシチューをつくり終えたあとに「やっぱり行けない」と電話がくると、がっかりする以上に腹が立つ。炎天下のなか市場へ出かけて食材をもとめて2時間。電気がなければ冷蔵庫もない台所で3時間。手間暇かけてつくったオクラと鶏肉のシチューだった。やっとひとりでつくれるようになった、9ja料理。口にする友人たちは、「もうナイジェリア人と結婚できるよ」といつも褒めてくれる。お客さんが手土産を持って行くよりも、むしろお客さんに食べものを出すこと、最低でも飲みもの(コーラやファンタなど瓶や缶に入った清涼飲料)を出すこと。それは9jaで大切にされているマナーであり、ホスピタリティである。
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