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難民の人類学 タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住 Amazon Kindle版

2017年11月1日

久保忠行 著

※この商品は Amazon Kindle 専用です。書籍版をお探しの方は『難民の人類学 タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住』をご覧ください。
※電子版のため、弊社への直接注文は承っておりません。ご了承ください。

問題は、難民というラベルが突きつける固定観念である。

故郷を追われ、難民キャンプや遠く離れた国で暮らす難民たち。ビルマ(ミャンマー)、タイ、アメリカでたくましく生きる姿を丹念に追い、その姿に新しい光をあてるフィールドワーク。

「迫害される少数民族」が難民になるという図式は、書物から学んだものと一致する。そうした話に触れるたびに、まるで自分が歴史の証人になったような気になり、背筋が伸びる思いをした。

しかし、困難な経験を自ら語る「迫害される少数民族」に出会うたびに、違和感を覚えることもあった。それは、まるで迫害の経験が定型化されているのではないか、というものである。………難民に無力さがともなうことには違いはない。しかし、それを主張するという行為に、人間が生きるうえでのたくましさを感じるとともに、一般的な難民イメージでは難民を適切に理解できないのではないかと考えるようになった。

………そこで、本書では難民というラベルの意味を検討しつつ、当事者が難民であることを受容し、ときに利用しながら生きる姿を明らかにする。

――緒言「問題の所在」より

日本図書館協会選定図書(第2929回 平成26年11月19日選定)

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「アジア経済」にて『難民の人類学』が紹介されました

2017年3月30日

日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所アジア経済」 Vol.58 no.1 (2017.3) にて『難民の人類学』を紹介していただきました。

石井由香氏(静岡県立大教授)による評で、難民を支援・管理する側からの分析でなく、難民の主体的営為の分析を試みていること、そのために徹底して人類学的な方法を用いていること、さらに長期化する難民状態に関する分析枠組みを提示していることなどを高く評価してくださっています。

その一方、「難民であること」と「民族(カレンニー)であること」とを不可分と捉えている点、難民の「自律」への評価・考察、また移民労働者と比較する視点の要望など、課題も挙げられています。ただ、そう指摘された上で、

これらは本書の価値を損なうものではまったくない。本書はグローバル化時代の難民像を理解する上で,非常に有効な視点と内容をもっている。難民,国際移民に関心をもつ方々に一読を強く勧めたい。

としめくくられています。


「移民政策研究」Vol.7にて『難民の人類学』が紹介されました

2015年5月28日

移民政策学会編「移民政策研究」2015 Vol.7 書評欄にて『難民の人類学 タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住』を紹介していただきました。

評者は人見泰弘氏(名古屋学院大学専任講師)。同書の内容を簡潔に紹介し、分析枠組みや難民性の概念に批判的・発展的な問いかけをおこないながら、以下のように締めくくられています。

本書は,カレンニー難民の経験や意識,解釈を読み解き,彼らの移住過程を厚みのある記述をもって描いている。(……)難民研究では数少ない人類学的手法が活かされた著作であり,多くの人に読まれるべき一冊である。

みなさまもぜひご一読ください。


難民の人類学 タイ・ビルマ国境のカレンニー難民の移動と定住

2014年8月8日

久保忠行 著

問題は、難民というラベルが突きつける固定観念である。

故郷を追われ、難民キャンプや遠く離れた国で暮らす難民たち。ビルマ(ミャンマー)、タイ、アメリカでたくましく生きる姿を丹念に追い、その姿に新しい光をあてるフィールドワーク。

「迫害される少数民族」が難民になるという図式は、書物から学んだものと一致する。そうした話に触れるたびに、まるで自分が歴史の証人になったような気になり、背筋が伸びる思いをした。

しかし、困難な経験を自ら語る「迫害される少数民族」に出会うたびに、違和感を覚えることもあった。それは、まるで迫害の経験が定型化されているのではないか、というものである。………難民に無力さがともなうことには違いはない。しかし、それを主張するという行為に、人間が生きるうえでのたくましさを感じるとともに、一般的な難民イメージでは難民を適切に理解できないのではないかと考えるようになった。

………そこで、本書では難民というラベルの意味を検討しつつ、当事者が難民であることを受容し、ときに利用しながら生きる姿を明らかにする。

――緒言「問題の所在」より

日本図書館協会選定図書(第2929回 平成26年11月19日選定)

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「定住」を問いなおす――日本におけるインドシナ難民とカレン難民の経験から(2012年11月18日)

2012年11月3日

以下のワークショップで報告します。

————
トヨタ財団研究助成プロジェクト「日本で暮らす難民の人生と生活の記録」成果公開ワークショップ

「定住」を問いなおす--日本におけるインドシナ難民とカレン難民の経験から

 日時:2012年11月18日(日)13:00~17:00(受付開始 12:30)
 会場:TKP大阪梅田ビジネスセンター・カンファレンスルーム16B(最大定員105名)
 * 参加費無料、事前登録は不要です。

◇趣旨
インドシナ難民の定住受け入れが開始されてから30年以上が過ぎ、2010年度よりカレン難民の定住受け入れが試行的に行われている現在、日本における難民をめぐる状況は新たな局面を迎えています。しかしながら、難民の受け入れについては、ともすれば制度的な議論や諸外国の経験の紹介が先行し、当の定住難民の経験は十分に検討されてきたとはいえません。本ワークショップでは、日本社会に再定住したインドシナ難民とカレン難民を対象にフィールドワークを行なってきた若手研究者の報告をもとに、定住難民の経験から「定住」を問いなおし、難民問題をめぐる日本の課題と可能性を展望したいと思います。

◇プログラム
13:00~13:30  企画趣旨

13:30~14:00  報告1:久保忠行(日本学術振興会特別研究員)「カレン難民の定住にむけて―インドシナ難民から学んだこと、学ばなかったこと」

14:00~14:30  報告2:乾美紀(兵庫県立大学)「ラオス定住難民は日本の教育を享受できたか―子どもたちの教育経験の検証を試みる」

14:30~14:40  休憩

14:40~15:10  報告3:瀬戸徐映里奈(京都大学)「『食』からみるベトナム難民の定住過程-日本で故郷の味を食べるということ」

15:10~15:40  報告4:岩佐光広(高知大学)「ライフコースからみた定住の射程―ラオス定住難民の高齢化を例に」

15:40~15:50  休憩

15:50~16:50  ディスカッション

16:50~17:00  閉会の辞

プロフィール(報告順)

久保 忠行(くぼ ただゆき)
所属: 日本学術振興会・特別研究員(京都大学東南アジア研究所)
専門: 文化人類学、移民・難民研究、ビルマの諸民族(カレンニー)に関する研究研究テーマ: 移動と定住、難民の生活戦略に関する人類学的研究主要業績: 『ミャンマー概説』(共著、めこん、2011)、「難民キャンプにお
ける伝統の復興–難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』37輯、2011)、「難民の人類学的研究にむけて–難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』75号1巻、2010)など。

乾 美紀(いぬい みき)
所属: 兵庫県立大学環境人間学部・准教授
専門: 比較教育学、マイノリティの教育問題
研究テーマ: エスニシティと教育の継続、マイノリティへの教育支援、ラオス
の少数民族と教育
主要業績: 「ラオスの初等教育における市民性教育の変容–社会主義とグローバル化の狭間で」(『比較教育学研究』46号、印刷中)、『Minority Educationand Development in Contemporary Laos』(Union Press,2009)、「ラオス系難民子弟の義務教育後の進路に関する研究–「文化資本」からのアプローチ」(『人間科学研究紀要』33巻、2007)など。

瀬戸徐 映里奈(せとそ えりな)
所属: 京都大学大学院農学研究科博士後期課程
専門: 移民・難民研究、インドシナ難民とくにベトナム難民に関する研究
研究テーマ: 「食の確保戦略」からみるベトナム難民の定住過程
主要業績: 「在日ベトナム系住民の生活における食の確保戦略–兵庫県姫路市を事例として」(修士論文、京都大学、2011)、「The Human Network of the Resettled Vietnamese Refugees through “Securing Daily Meals”:A Case
Study of Hyogo Himeji-city in Japan」(Proceedings of The 4th Next-Generation Global Workshop “Nation –States and Beyond : Private and Public Sphere Under Globalization, Kyoto University)。

岩佐 光広(いわさ みつひろ)
所属: 高知大学教育研究部人文社会科学部門・講師
専門: 文化人類学・ラオス地域研究
研究テーマ: ケアの実践・論理・態度の人類学的研究
主要業績: 『高齢者のウェルヴィーイングとライフデザインの協働』(共編著、御茶の水書房、2009)、「在日ラオス系定住者の相互扶助の展開過程」(『文化人類学』77号2巻、2012)、「老親扶養からみたラオス低地農村部における親子関係の一考察」(『文化人類学』75号4巻、2011)など。


ビルマ(ミャンマー)で変わったこと、変わらないこと

2012年7月6日

 2011年末からビルマ(ミャンマー)情勢は急激な変化を迎えている。同国での変化、変わらないこと、確かなこと、確かではないことは何か。根本敬・田辺寿夫の近著、『アウンサンスーチー ――変化するビルマの現状と課題』(角川書店)でも、「何がどこまで変わったのか」が簡潔に述べられているが、同書とは一部重なりつつも、異なる側面から、このテーマをまとめてみよう。

ビルマ(ミャンマー)の変化
 最近のビルマの変化といえば、アウンサンスーチーの解放、「総選挙」と議会の招集、海外メディアへの解放、一定数の政治囚の釈放、補欠選挙でスーチーが国政へ復帰したこと、諸民族との停戦に向けた話し合いの開始、二重為替の撤廃と管理変動相場制への移行、海外投資の積極的な呼び込み、などが挙げられる。
 
 項目だけを列挙しても、どれほどこの国が変わりつつあるのか一望できよう。「軍政から民政移管へ」という変化を期待する声は国内外を問わず大きい。私の知る在日の難民のなかにも、この「チャンス」を活かしたいと思っている人もいるようだ。他方で、変わらないこともある。根本・田辺の近著の冒頭で述べられているように、「当面、変化しそうにもないビルマ」も見据え、変化の時代に、「何が変わらないか」にも気をつける必要がある。

変わらないもの
 よく知られているように、現体制の基盤となる憲法は、軍政時代の権力構造を温存するよう仕組まれている。例えば、議会の25%は軍関係者が占めること、大統領には軍事的知識が必要であること、国防大臣、内務大臣、国境担当大臣は、大統領ではなく国軍最高司令官が指名すること。つまり有事のさいは、これまでどおり全権を国軍が握れる仕組みになっている(注1)。

 また、内戦が完全に終結したわけではない。中国と国境を接するカチン州では、政府とカチン独立軍(KIA)との17年間の停戦合意が崩れたため、現在も数万人が住居を追われ、7千人~1万人が中国へ避難していると伝えられる。スーチーの動きをはじめとする「中央」での変化は伝えられるが、あいかわらず「辺境」地域で起こっていることは忘れ去られている(注2)。

 バングラデシュに近い国境の西側では、「仏教徒のアラカン」と「ムスリムのロヒンギャー」との「宗教対立」が報じられている。しかし、これは宗教対立というよりも、軍政時代の負の遺産であろう。ビルマでは、国籍法(1982年)によって「国民」の範疇が定められたが、そこからロヒンギャーは排除された。結果、ロヒンギャーを排斥する動きは、「法的な」正統性をももつことになる(注3)。軍政時代、いわゆる「少数民族」は、多数派のビルマ族に対して不利な状況におかれることが多かった。そうした差別は連鎖し、「少数民族」が、さらなる「少数者」であるロヒンギャーを暴力的に排斥することになる。

 「仏教徒」の側の言い分は、ムスリムのロヒンギャーは一夫多妻だから人口が増えて我々の土地を奪う、というものだ。しかし実際に2人以上の妻をもつにはそれに見合った経済力と社会的地位が必要で、まるで無限に増殖するロヒンギャーという言い分は、適切ではない。「宗教対立」の名のもと、何が見えなくなっているのかを見極める必要がある。

確かなこと
 他方で、国内外の多くのビルマを出身とする人は、最近の変化を受けて、これまでなかった希望を抱いている。以前に、「信頼」と「不信」をテーマに記事を書いたが、まさに今は、「信頼」が醸成されつつある時期とも読める。外の人間は、批判をすることよりも、信頼醸成に資するアプローチをとる必要もあるだろう。海外投資が今の「民主化」を後戻りできないものにする、という見方もあるし、軍関係者でさえ、それを望んでいないという声もある。

 「民政移管」にともない「民主化運動」のあり方も変化を迫られている。隣国タイを中心に国外で政治活動を続けてきた在外組織は、これまでどおり活動資金を得ることが難しく、存続の危機にさらされている。制裁から投資へという大きな流れのなか、国内にヒトもカネも関心も流れ込んでいるからである。ビルマからタイへ流れてくる移民/難民の駆け込み寺であり、年間10万人もの患者を診療しているタイのメータオクリニックもまた、この流れの渦中にある。これまでドナーとなっていた組織が国内投資へシフトするにしたがい、150人ものスタッフをリストラすることになった。また、政府からはクリニックを国内に移転するよう要望があった(注4)。

 時代はさかのぼるが、1980年代後半~90年代にかけて、ビルマ政府は、反政府勢力の資金源を駆逐すべく国境の闇貿易を禁止し、正式な国境貿易を開始したことがある。これは、狙い通り大きな「成果」をあげ、反政府勢力の弱体化が劇的にすすんでいった。

 同じような効果を狙ったものなのかどうかは分からないが、国外に流れていたカネ・ヒト・モノの流れを制することで、政府が望む体制の土台が整いつつあるのは確かである。

 そして何よりも確かなことは、独裁者のタンシュエが“見事”ともいえる幕引きをはかったことである。なし崩し的に「民主化」がすすむにせよ、将来の国民和解を議論するさい、ビルマの人々は、軍政時代の負の遺産と責任をいかに清算するのを望むのだろうか。

不確かなこと
 次回の選挙は、2015年に実施される。前回の選挙は、現体制をつくるための出来レースであったことが知られているが、果たして3年後は、どうであろうか。上で述べたように、大統領は軍人から選ばれるが、現職のテインセインは、3年後も軍人から支持されているのだろうか。「とりあえずASEANの議長国になって国際社会からの名誉を挽回するための変化だったから、まだ次の選挙があるまでは分からない」、という不安の声も聞こえてくる。

 2015年になって、ようやくビルマ(ミャンマー)はひとつの節目を迎えるだろう。その頃には、世界中に離散した難民の本国への帰還の目処も立っているのだろうか。

 変わったこと、変わらないこと、確かなこと、不確かなことを並べてみてみると、必ずしも、それぞれが対になっているのではなく、双方が同居した上での「変化」であることがわかる。要はこれから、ということだが、目先の変化だけに気をとられない「関与」が肝要ではないだろうか。

注1:ウェブサイトでは、根本敬 「はじめての方々への解説」の2.新憲法の中身は軍政の「合法化」を参照。書籍では、根本敬・田辺寿夫 2012 『アウンサンスーチー ――変化するビルマの現状と課題』(角川書店)を参照。

注2:ヒューマン・ライツ・ウォッチ(2012年6月26日)「中国/ビルマ:援助不足と人権侵害に苦しむカチン難民」を参照。

注3:ロヒンギャー問題の歴史的背景については、根本敬 2007 「「ロヒンギャー問題」の歴史的背景—「仏教国」ビルマの中のイスラム教徒たち」『アリンヤウン』33:10-21。また、ロヒンギャーそのものではないが、生まれながらに国民とはされないビルマのムスリム住民については、斎藤紋子 2007 「ビルマにおけるムスリム住民に対する見えざる『政策』―国民登録証にまつわる問題―」『言語・地域文化研究』13:1-16を参照。

注4:Dr Cynthia Meets with Aung Min, The Irrawaddy online. (June 26, 2012).


グローバリゼーションの末端(1) セイフ・ハウス

2011年10月7日

施設での学校が休みの日、みんなで床掃除。手伝いをする子どもたちは、しっかりしていて行儀がよい。一見すると普通の民家だが、こうした態度からも、ここが施設であることが伺える。
写真:施設での学校が休みの日、みんなで床掃除。手伝いをする子どもたちは、しっかりしていて行儀がよい。一見すると普通の民家だが、こうした態度からも、ここが施設であることが伺える。

8月上旬から9月中旬まで、タイで調査していたため、ブログの更新が滞ってしまった。これからは現地での最新の事情も含めつつ更新していきたい。
これから2回にわたって、行き場のなくなった人の保護シェルターと、ゴミ捨て場で暮らす人を事例に、グローバリゼーションの末端について考えてみたい。セイフ・ハウス(safe house)とは、さまざまな事情で自分の力では生活できなくなった人を保護するシェルターのことをさす。孤児院なども含めて、タイ・ビルマ国境には身寄りのない人びとの保護施設がある。ここでは、タイ西部のカンチャナブリ県サンクラブリー郡にあるセイフ・ハウスを紹介したい。

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言い逃れ

2011年7月2日

宮本常一・安渓遊地著 『調査されるという迷惑』(みずのわ出版、2008年)にあるように、調査者は、調査対象者に、さまざまな迷惑をかけている可能性がある。迷惑をかけていないつもりでも、迷惑をかけていることがあるから調査は難しい。難民を調査対象とする場合には、独特の難しさがある。

難民たちは、さまざまなインタビューを体験した後に調査者に出会う。もしかすると、調査者は、最後のインタビューアーなのかもしれない。ビルマ難民の場合、彼らは、タイ国境に着いた時点で、国境警備隊との問答を繰り返し、キャンプ生活の開始時には、個人情報を登録するための質問に答え、その後は提供される支援について、国際支援機関のインタビューを受ける。

こうしたプロセスを経た後に対面するのが調査者である。よって、自分のことを「流ちょうに」語る人もいれば、不利益を被ることを恐れてか、口が重い人もいる。誰しもよく知らない人に自分の話を好んではしない。そんなときに、相手の気分を害さずに、うまく切り抜ける方法を彼らは知っている。その切り抜け方を2つ紹介しようとおもう。

その1.状況次第

調査をはじめた頃からの私の友人・米国人のマイケルとよくネタにする言い回しが、“depends on the situation(状況次第)”である。英語でこれからの身の振り方や、意見を尋ねられると、彼らはよくこの言い回しを使う。

こちらとしては、煙に巻かれたような気がするのだが、当然、彼らはさして気にとめていない。
というのも、この回答が、次の二点で当を得ているからである。ひとつはとにかく質問には答えていること、もうひとつは、あながちウソを言っているわけではないという感覚が本人にはあるからである。

よく「10年も20年も難民生活が続いている」と言われる。これはあたかも同じ状態が、これまでもこれからもずっと続いていると思わせてしまう。しかし、変わらないようにみえる生活にも変化がある。この点について詳しくは別稿に譲るが、収容者ではなく生活者の視点からみると、決して難民生活は、不変ではない。

その2.何も起こらない

もうひとつは、「バー・マ・ピッ・ブー(何も起こらない)」という言い方である。転じて、「どうっちゅーことない」とも「どうにもならない」とも意訳することもできるだろうか。

これから起こりうることや、将来像なんかを尋ねると、こう切りかえされることがある。先が読めない事態をあれこれ考えるのではなく、思考停止し、会話を絶つさいによく用いられる表現だ。これはビルマ語だが、ビルマ人も同じように使うのかはわからない。

これらの「言い逃れ」は、調査者が放つ面倒な問いかけに答えつつ、回答を回避する言い回しである。同時に、一寸先の不確かな未来への向き合いかたをも示唆している。どうってことない、状況次第で身を処するところに、彼らの生活戦略の本質があるのかもしれない。


サルの「うんこ」

2011年5月31日


写真:「ミャウチカー」は、独特のにおいを消すためにさまざまな香草、調味料と一緒に炒める。

珍味

「食べること」は、私たちの生活の基礎をなすが、何をどのように食べるのかは、おなじ集団同士であっても、自明ではない。例えば、関西と関東で味つけが違う、そんなふうに食べないだろうというものを他県の人が食べるなど、普段は意識しないのだが、ふとしたときに、ああそうか、と気がつかされることがある。同じことは、タイの難民キャンプでもおこる。

同じ民族同士でも、異なる食習慣をもつ人に出会うのが難民キャンプである。例えば、ビルマ東部のカヤー州出身のカヤーという人びとは、サルを食べる。その料理は、ビルマ語で「ミャウ(サル)チ(大便)カー(苦い)」と呼ばれる。その名がほのめかしているように、「チ」のものと思われる独特のにおいがする。風味に加えて、そのサルの希少性も、この料理を珍味たらしめている。犬と同じように、食べたら身体が火照り、たくさんは食べられないらしい。

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在日ラオス人たちの新年

2011年5月15日


写真:バーシーと呼ばれる健康や安全を願う伝統的な祈祷式のようす

ピーマイ

「あけましておめでとう!!」

先日、在日ラオス人たちのピーマイ(新年)のお祝いに、知人たちと一緒に参加させてもらった。
2月が中国の旧正月にあたるように、ラオス、タイ、ビルマなどでは、4月中旬が旧正月にあたる。現地では、1月よりも4月のピーマイが盛大に祝われる。ただ、その時期はたいてい平日なので、日本など他の国にいる人たちは、時期をずらして土日や連休に新年のお祝いをする。

兵庫県で毎年行われているピーマイは、西日本で暮らすラオス人たち数十から100人ちかくが参加した。遠路、広島から参加している人もおり、みんながとても楽しみにしているイベントであることが伺える。

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ビルマ難民キャンプが閉鎖へ!?

2011年4月15日

難民の帰還は可能なのか

いくつかの報道機関によれば、今後、タイ政府は難民の帰還を促すとともに、ビルマ難民キャンプの閉鎖を検討しているという[1]。むろん、難民が帰還するには時期尚早だと思われるが、送還計画がでてくることじたい、驚くべきことではない。というのも、ここに至るまでの伏線があったからである。

まず、過去にも送還計画はもちあがっており、機会があれば難民を送還し、その数を減らすというのがタイの基本方針だからである[2]。これを助けるのが、第三国定住制度の導入だった。ビルマ難民に先立つインドシナ難民のケースでも、第三国定住制度が難民数の減少とキャンプ閉鎖を促した。

そして、ビルマ政府が形式的にでも、「民主化」を進めたことである。これは難民の送還にむけた格好の口実となる。ビルマでは、11月の「総選挙」をうけて、2011年1月31日に議会が招集され、3月30日に新政府が発足した。これにともない軍政である国家平和発展評議会(SPDC)は解散した。新大統領には、SPDCのタンシュエ議長の側近であるテインセインが就任した。以前の記事で書いたように、これは形式的な「民政移管」であり、ビルマ政府にとっては既成事実をつくることが重要なのだ。政権の内実に変わりはない。

ただし、インドシナ難民のときと異なると思われるのは、新たに数万人単位で移民・難民がビルマからタイへ流入していることである。このため、新たにキャンプに流入した難民の登録はされておらず、誰がキャンプの成員かどうかさえ、はっきり把握されていない。

こうした事情から、ただちに難民の送還が実施されるとは考えられないが、この先20年間もこのままの状態であるわけもないだろう。では、どんな顛末が考えられるのだろうか。

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  1. [1]Irrawaddy(イラワディ誌) Time for Refugees Go to Home? (April 7 2011)
    Democratic Voice of Burma(ビルマ民主の声) Refugees fearful of Thai warning (April 11 2011)
    Asahi.com(朝日新聞オンライン) ミャンマー難民キャンプの閉鎖検討 タイ政府、帰国促す(2011年4月11日)
    Democratic Voice of Burma(ビルマ民主の声) Thailand rues refugee ‘burden’, plans return (April 12 2011)
    いずれの記事にも最終アクセス日は、2011年4月15日。
  2. [2]詳しくは拙稿 「タイの難民政策」『タイ研究』9号を参照。

震災によせて

2011年4月8日

今回の震災で被災された方に、心からお見舞い申し上げます。

未曾有の大災害から、もうすぐ1か月が経過しようとしている。いまだに被害の全容すらつかめずにいることへのもどかしさとともに、大災害に対する無力さを痛感している人も多いかもしれない。
震災をとおして目の当たりにしたのは、何十万人規模にもおよぶ「難民(困っている人)」である。

正直、2010年1月12日に起きたハイチの地震では、「他人事」だった震災も、今回はどこか「当事者」の意識をもって経緯を見守っている自分に気がつく。それは、流れてくる映像や被災状況があまりにもショッキングだったからだろうか。それとも、「国民」としての意識がそうさせるのだろうか[1]

海外では、「規律正しい日本人」に賞賛の声があがっているらしい。しかし、レベッカ・ソルニットが著書、『災害ユートピア』で紹介しているように、災害時に短期的にでも助け合いが生まれるのは、日本に限ったことではない。

詳細

  1. [1]ハイチの地震では、23万人が死亡、150万人を超える人が住居を失ったという。人の命を人数ではかることはできないが、改めてその規模に言葉を失う。(窪田暁 2010年3月13日 「大地が震動するとき―ハイチとドミニカの関係―」を参照)