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この暮らし、あの感覚

2010年8月7日

彫刻家のアフォラヨンさんが、赤く熟れるまえのアタ・ロド(トウガラシ)とその花を見せてくれた。2010年7月1日、イフェ、大学敷地内にあるアフオラヨンさんの畑にて

先日、彫刻家のアフォラヨンさんが畑に連れて行ってくれた。トウモロコシ、キャッサバ、ヤム芋、菜っぱなど、ここでは多くの人びとが、自分たちでできるかぎりの農作物を育て、家族で食べる。アフォラヨンさんのうしろではしゃぎながら畑をまわり、あのころと同じ、土と緑のにおいをかぐ。

一緒にこたつで暖をとっていたはずの祖母の姿がない。ひとりで目が覚めた、冬休みの午後。急いで玄関へ行くと、手押し車がなくなっている。あわてて坂を下って畑へ向かう。大根畑のなかで、しゃがむ祖母の姿を見つけた。

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30

2010年7月31日

オメナと一緒にわたしの部屋で晩ご飯を食べた(鶏肉とオクラのシチューと、キャッサバを醗酵させた餅)。オメナの住むデルタ州は、ナイジェリアでもっとも治安の悪い産油地帯に近い。遊びにおいでよと何度も誘ってくれるけれど、まだ会いに行けない。代わりに彼女が、イフェまでよく会いに来てくれる。2009年8月21日、イフェ、モダケケ地区の下宿先にて

2010年6月25日。朝一番、オメナに電話した。

機嫌よく話す彼女。
「今日は仕事がオフになったから歯科クリニックへ行ってくるわ。ねぇ、信じられる? 誕生日に歯を抜かれるなんて」
「え~、それじゃケーキ食べれんちゃない?」

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息子との約束

2010年7月24日

ラゴス行きのバスに乗りこんだトインとロティミ。窓はこれ以上開かなかった。2010年6月13日 イフェ、イフェ大学正門前バスターミナルにて

「司法学校から帰ってきたら、もう離れないからね」そう言った母の言葉を、息子は忘れなかった。

3歳のロティミを10か月のあいだ実家に残し、トインは司法学校に通った。司法試験を終えるとすぐ、彼女は山で夜どおし合格祈願をしようとした。わたしがあずかるつもりだったロティミは、「約束どおり」母について行くと言ってきかなかった。その晩、冷えこむ山のなか、祈る母の足もとで息子はぐっすり眠った。

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わたしたちの週末

2010年7月17日

朝食をとり終わっても、出かける支度をせず話に花を咲かせるトイン(左)とオメナ(右)。寝衣姿を撮られることを、オメナは恥ずかしがって笑った。2010年6月13日 イフェ、モダケケ地区の下宿先にて

わたしたち3人は今、それぞれの場所で忙しく暮らしている。

仕事の都合、家庭の事情、財布の状況で、なかなか会えない。

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父を手伝う

2010年7月10日

父親の木彫作品にニスを塗るダミロラ。階段の下、スズキのバイクが前にとめられた工房(写真右奥)では、父親が作品をつくっている。2010年6月7日 イフェ、イレモ地区のアヨデレさんの工房にて

「ぼくはやりません。木彫でやっていくのはきびしいから」

彫刻家のアヨデレさんの次男ダミロラは、大学の受験勉強をしながら携帯電話の修理店で働いている。修理の技術はこの2年で覚えた。今年からは毎週1、2回、ラジオ番組に出演して番組のつくりかたも学んでいる。

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くらべることはない

2010年7月3日

「ALL FINGERS ARE NOT EQUAL(すべての指は同じ長さではない=くらべることはない)」(白字、上から3行目)と書かれたトラック。2008年10月8日 ニジェール川を越え、アブジャへ向かう途中のエキスプレスウェイで

会うたびに少し痩せた姿のマイケル。彼はあいかわらず忙しくビジネスをしている。
はじめて会ったとき、彼はわたしが帰り道によく寄っていた下宿に住む大学生だった。建築学を専攻するかたわら、近隣都市で養鶏場を経営。両親からの仕送りは受けていない。身のまわりにあるものからスタートし、それを増やしていく。夢は大きく持つ。ビジネスのこつを教えてくれた。

あれから5年、マイケルは修士課程に進学した。ビジネスも忙しく、大学院のあるイフェと近隣都市を走りまわっている。わたしに会う時間も、ほとんどない。

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ゲットー発

2010年6月26日

散髪してもらっているアレックス(右奥)と、アジェグンレ発祥のダンス「アランタ」を披露してくれる近所の男性(手前)。2009年11月9月 ラゴス、アジェグンレの床屋で

口をあけて、舌をだして、くしゃくしゃの顔をしてみせる。両手で胸板をたたくしぐさをくり返し、足はがにまたに。この街で生まれた音楽にのって、こうして踊るダンス「アランタ」を目のまえに、自然と顔がゆるみ、手がふるえる。アレックスと一緒に床屋へ入ると、この地域ではまず見かけないガイジンをめずらしがり、店内や近所の人たちが、おもむろに音楽をかけて踊りだした。

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ママ・ブリジッタ

2010年6月19日

誕生日の記念に写真を撮ってと、裏庭から2階のわたしを呼んだ、ママ・ブリジッタ。2009年7月26日 イフェ、モダケケ地区の下宿先にて

彼女はわたしの住む下宿の1階に、娘とふたりで住んでいる。夫はフランスへ働きに出て4年。ふるさとのガーナへは、もう10年帰っていない。

あたりまえのことを、あたりまえに教えてくれたのは、この女性、ママ・ブリジッタだった。

疲れていて料理ができず、ピーナッツや焼きトウモロコシ、バナナやパパイヤで夕食をすませていたわたしに、ぽつりとつぶやく。「日本の母親に言いつけるわ、悲しむわね」

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My dear sister

2010年6月12日

子どもたちを学校へ送り、家の男たちが出かけた後、メイクをたのしむアミナとトイン。2008年10月9日 アブジャのアミナの家にて

ばかな男のことは忘れるのよ、わかった?
もっと楽しむことね、自分を自由にして
わたしもそう、バスであの街を通るたびに思い出したわ
あんたって人はもう……かわりにわたしが彼を愛してあげたい
でも夫は子どもたちを心底愛しているから……
あんたはまだましよ、わたしなんかもうなにも感じない
夢で見たわ、帽子をかぶったとびっきりやんちゃな男の子、あんたの子よ
19や20歳のときにとっくに経験ずみよ、そんな気持ち
彼の罪なら忘れられるの……でも他の男だったらだめね、絶交してそれでおしまい
急がないで、神さまが導いてくれるから

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ロータリーの青い空

2010年6月5日

カメラにおさめた、めずらしく青い空と大きな看板。2009年6月16日 イフェ、モダケケ地区とイレモ地区にまたがるロータリーにて

バス停に向かっていつものロータリーを歩いていたわたしは、ふと見あげた看板の背景が青いことに気づいた。なぜだろう、ここでは空が真っ青になる日は少ない。雲があってもなくても、空は白っぽく、淡い水色をしていることがほとんどだ。

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11月の天の川

2010年5月29日

「トイン見て、きれいやね……」
手が届きそうな天の川に、息をのむ。足もとの暗闇、目の前の人ごみ、胸に抱えたバッグ。眠らない、大都市ラゴスの夜。流れに乗ってただまっすぐ進まなければならないのに、立ち止まって見つめずにはいられない。

左斜め前を行くトインが、頭の上のバッグを右手でささえながら、ふりかえる。
彼女はほほえんだ。
「ほら、撮りなよ」

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看病

2010年5月22日

初めてマラリアにかかった日の翌朝、「食べなきゃ治らないよ」と、シェグンが作ってくれたお弁当。2009年3月18日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

体がだるい……。
朝から外出していたわたしは、昼過ぎに体の様子がおかしいことに気づいた。座っているのもだんだんときつくなり、仕方なく家に帰ることにした。床に一枚の布を敷いて横になる。それにしても、今日は暑い。

熱い。体温なのか、気温によるものなのか、なにが熱いのかわからない。いつのまにかあたりは暗い。不安になって下の階にいる友人に電話をかける。友人の携帯は鳴らない。少しでも冷たい空気に触れたくて、転がりながら窓の下へ行く。

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