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この暮らし、あの感覚
2010年8月7日
先日、彫刻家のアフォラヨンさんが畑に連れて行ってくれた。トウモロコシ、キャッサバ、ヤム芋、菜っぱなど、ここでは多くの人びとが、自分たちでできるかぎりの農作物を育て、家族で食べる。アフォラヨンさんのうしろではしゃぎながら畑をまわり、あのころと同じ、土と緑のにおいをかぐ。
一緒にこたつで暖をとっていたはずの祖母の姿がない。ひとりで目が覚めた、冬休みの午後。急いで玄関へ行くと、手押し車がなくなっている。あわてて坂を下って畑へ向かう。大根畑のなかで、しゃがむ祖母の姿を見つけた。
30
2010年7月31日
2010年6月25日。朝一番、オメナに電話した。
機嫌よく話す彼女。
「今日は仕事がオフになったから歯科クリニックへ行ってくるわ。ねぇ、信じられる? 誕生日に歯を抜かれるなんて」
「え~、それじゃケーキ食べれんちゃない?」
息子との約束
2010年7月24日
「司法学校から帰ってきたら、もう離れないからね」そう言った母の言葉を、息子は忘れなかった。
3歳のロティミを10か月のあいだ実家に残し、トインは司法学校に通った。司法試験を終えるとすぐ、彼女は山で夜どおし合格祈願をしようとした。わたしがあずかるつもりだったロティミは、「約束どおり」母について行くと言ってきかなかった。その晩、冷えこむ山のなか、祈る母の足もとで息子はぐっすり眠った。
父を手伝う
2010年7月10日
「ぼくはやりません。木彫でやっていくのはきびしいから」
彫刻家のアヨデレさんの次男ダミロラは、大学の受験勉強をしながら携帯電話の修理店で働いている。修理の技術はこの2年で覚えた。今年からは毎週1、2回、ラジオ番組に出演して番組のつくりかたも学んでいる。
くらべることはない
2010年7月3日
会うたびに少し痩せた姿のマイケル。彼はあいかわらず忙しくビジネスをしている。
はじめて会ったとき、彼はわたしが帰り道によく寄っていた下宿に住む大学生だった。建築学を専攻するかたわら、近隣都市で養鶏場を経営。両親からの仕送りは受けていない。身のまわりにあるものからスタートし、それを増やしていく。夢は大きく持つ。ビジネスのこつを教えてくれた。
あれから5年、マイケルは修士課程に進学した。ビジネスも忙しく、大学院のあるイフェと近隣都市を走りまわっている。わたしに会う時間も、ほとんどない。
ゲットー発
2010年6月26日
口をあけて、舌をだして、くしゃくしゃの顔をしてみせる。両手で胸板をたたくしぐさをくり返し、足はがにまたに。この街で生まれた音楽にのって、こうして踊るダンス「アランタ」を目のまえに、自然と顔がゆるみ、手がふるえる。アレックスと一緒に床屋へ入ると、この地域ではまず見かけないガイジンをめずらしがり、店内や近所の人たちが、おもむろに音楽をかけて踊りだした。
ママ・ブリジッタ
2010年6月19日
彼女はわたしの住む下宿の1階に、娘とふたりで住んでいる。夫はフランスへ働きに出て4年。ふるさとのガーナへは、もう10年帰っていない。
あたりまえのことを、あたりまえに教えてくれたのは、この女性、ママ・ブリジッタだった。
疲れていて料理ができず、ピーナッツや焼きトウモロコシ、バナナやパパイヤで夕食をすませていたわたしに、ぽつりとつぶやく。「日本の母親に言いつけるわ、悲しむわね」
My dear sister
2010年6月12日
ばかな男のことは忘れるのよ、わかった?
もっと楽しむことね、自分を自由にして
わたしもそう、バスであの街を通るたびに思い出したわ
あんたって人はもう……かわりにわたしが彼を愛してあげたい
でも夫は子どもたちを心底愛しているから……
あんたはまだましよ、わたしなんかもうなにも感じない
夢で見たわ、帽子をかぶったとびっきりやんちゃな男の子、あんたの子よ
19や20歳のときにとっくに経験ずみよ、そんな気持ち
彼の罪なら忘れられるの……でも他の男だったらだめね、絶交してそれでおしまい
急がないで、神さまが導いてくれるから
ロータリーの青い空
2010年6月5日
バス停に向かっていつものロータリーを歩いていたわたしは、ふと見あげた看板の背景が青いことに気づいた。なぜだろう、ここでは空が真っ青になる日は少ない。雲があってもなくても、空は白っぽく、淡い水色をしていることがほとんどだ。
11月の天の川
2010年5月29日
「トイン見て、きれいやね……」
手が届きそうな天の川に、息をのむ。足もとの暗闇、目の前の人ごみ、胸に抱えたバッグ。眠らない、大都市ラゴスの夜。流れに乗ってただまっすぐ進まなければならないのに、立ち止まって見つめずにはいられない。
左斜め前を行くトインが、頭の上のバッグを右手でささえながら、ふりかえる。
彼女はほほえんだ。
「ほら、撮りなよ」