清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO

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式に集う

2011年10月15日

2009年11月7日 ラゴス オコタ地区のメディナの実家にて

太鼓の音が鳴り響き、祝賀モードで家は華やかにごったがえしている。誰もが歌い踊り、笑っている。何種類もの香水と宴の料理のにおいが漂っている。まばゆいばかりの視線とフラッシュを浴びて、花嫁は座っている。紅と黄金の錦につつまれ、プラチナの目もとでにじむ涙も、微小なクリスタルの汗も、かがやいている。たくさんの人たちから祝福を受けながら、メディナはいま、結婚式を挙げている。

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ごみがいざなう可能性

2011年10月8日

2010年9月13日 大阪 国立民族学博物館特別展示場にて

ごみのなかを歩くと感じる、人間の営みと息吹。街のあちらこちらで蒸留酒のサチェットを踏んでは思い浮かべる、昼夜酒を飲む人たちの姿。足元に散らばる同じせっけんのパッケージを何度も見ては思う、人びとの趣向と流行。投げ捨てられたマンゴーの種やトウモロコシのしんにつまずいて伝わってくる、季節の味わい。「ごみはくずかごへ」といったような、「近代型環境保全国家」ではなかなかできない発見や発想のプロセスが、9jaにはある。

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ごみのゆくえ

2011年10月1日

2008年9月16日 イフェ モダケケ地区 オモレ・エステイト

この住宅地でごみの収集がはじまったのは2010年。かつてみんなが「ごみ捨て場」として利用していたいくつもの場所に、地主など金銭的に裕福な人たちがあたらしく家を建てるようになったからだ。ポイ捨てする場所のなくなったこの住宅地では、週1回、1袋(45リットルのごみ袋相当)100ナイラ(約50円)で個人の収集屋がごみを引き取るようになった。収集屋はリアカーで各家庭をまわってごみと現金を受け取ると、ごみを車に積んで郊外の空き地や繁みへ捨てに行く。

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きみはやらないのかい?

2011年9月24日

アーティストのパパケイに習ったデッサン。2009年7月17日 イフェ モダケケ地区の下宿にて

この街で暮らすアーティストたちを訪ね歩き、作品をつくっているところを見たり、作品にまつわる話を聞き、ライフヒストリーをメモする。そんな人類学のフィールドワークをしているある日、ひとりのアーティストから言われた。「きみは話を聞くのが好きだね。彫ってみたくはないのかね?」

木彫家の彼は、つづけて言った。
「やってみたらいいよ、小さいものならそんなに力もいらないから」
「んー、今度やってみます」
と言ってメモを取りつづけた、あの日のわたし。

なんで彫刻刀を即座に握らなかったのだろう? 言葉にできない、口では伝えられない、自分の体で感じないとわからないことがあることを、ペンとノートを持ったわたしに教えようとしてくれたのかもしれない。

人びとを観察する。人間の暮らしを、生き方を記録して、論じる。
「文化って、社会って、なんだろう。人間って、なんだろう」
そこへすこしでも近づこうとしているのが人類学者と呼ばれる人たちであるのなら、見ていても、調べても、共感しようとしても、わからないことがたくさんある。周りを見ず、自分にだけ集中してやってみることもきっと必要なのだ、そこへ近づくために。

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アーティストのパパケイに習ったデッサン。ヘルメットやわたしをモデルにパパケイが描き方を教えてくれた。わたしもパパケイを描いたりしながら、アーティストとおなじ目線で描くことを経験させてもらった。観察もせず、メモもとらず、考えようともせず、ただ、パパケイと一緒に描くことをたのしんだ。
2009年7月17日 イフェ モダケケ地区の下宿にて


戦友よ

2011年9月17日

2011年6月25日 イフェ オバフェミ・アウォロウォ大学キャンパス内、建築学部入り口まえにて

建築学部がある建物の脇に座って、授業を終えて出てきたマイケルと話をした。相変わらず忙しくしているマイケルとの1年ぶりの再会だった。

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アフリカの衣

2011年9月10日

2009年11月15日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

糊、蝋、糸で防染して染色された、藍一色や大理石模様の染物。綿の生地にメタリックな化繊でハイライトされた織物。工場の大型機械によってプリントされた、原色でユニークな柄の布。レース編みにスパンコールの散りばめられたカラフルな布。どれもナイジェリアの伝統的・国民的な布である。いまでは国産品だけではなく輸入したものを利用することも多いが、いずれも日常から冠婚葬祭時まで、国民にひろく親しまれている。布は4.5~5.5メートル単位で売られ、人びとはそれを仕立屋に持って行き、オーダーメイドの服をつくる。

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「ダディ、エビンパミ」

2011年9月3日

2009年9月30日 イフェ、モーレ地区のパパケイの自宅にて

高い声で犬が吠えて、扉をドンドンたたく音。午後3時過ぎ、娘たちが学校から帰ってきた。「ただいま」と言いながらアトリエに入ってきて、一言。
「パパ、おなかすいた」

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病と闘う

2011年8月27日

2009年6月23日 イフェ、大学病院までの道のり、路線バスのなかにて

9ja の暮らしにつきもののマラリア、チフス、肺炎、黄熱病などの命をおびやかす病。人びとは、ときにそれに打ち勝ち、ときにそれとつきあい、またときにそれに屈する。

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ペペの力

2011年8月20日

2011年8月6日 大阪の下宿のベランダにて

帰国して1か月、うだるような暑さのなかの静かな暮らしに9jaの「刺激」が戻ってきた。友人が、旦那さんと一緒に大事に育てているハバネロをわけてくれたからだ。

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だから女は……

2011年8月13日

2011年5月29日 ラゴス アジェグンレのショディペ家にて

「カネのある男のところをハシゴする。いまの時代、ナイジェリアの女のほとんどは不誠実なんだ」「男みたいに遊びまわるうえ、男を傷つけて去る。綺麗な格好して中身はひどい女ばっかり」「いまからシュガー・ダディ(援助交際相手)に会いに行くの。顔なんてどうでもいいわ。帰りにちゃんとお小遣いくれるんなら」「あの店番の女、ぼくに家族がいるって知ってて誘ってくるんだよ。ぼくは断ってる」「だから女はごめんだ。ぼくたち兄弟はみんな結婚しないんだ、ちゃんとしたひとが見つかるまで」

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ウーマナイザー

2011年8月6日

2009年7月2日 アブジャ ウセのアミナの家にて

「いまわたしに言い寄ってくるのはみんな既婚者よ」「一夫多妻制が認められるなんておかしな話だわ。妻たちを平等に愛せるわけがないじゃない」「一夫多妻主義じゃない男性のほうが、もっとたくさん『妻』を持っている場合さえあるのさ」「父親がよそで子どもをつくって、子どももその母親も家に連れてきて一緒に暮らすってのはよくあることよ」「わたしはすでに65歳のとき、精子の活動を止めたんです。ナイジェリアの男性としてはめずらしいことなんですけどね」

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2011年7月29日

2011年6月25日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

真っ暗な夜、2本のロウソクがケーキを照らし、“Happy Birthday”の文字がくっきりと浮かぶ。2011年6月25日、オメナは31歳になった。

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