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「人類学」のタグが付いている記事

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2011年2月19日

9jaにはレジャースポットが少なく、大都市の一部の地区を除けば娯楽施設はまったくない。国内の8割を超える人びとには余暇にお金をかける余裕もない。たとえ余裕があっても、インフラの不整備で道は悪く治安も不安定だから、目的地まで簡単にたどり着けない。でもみんな、余暇を持たないわけでもその楽しみかたを知らないわけでもない。

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信仰の世界 2

2011年2月16日

鶏骨占い。本ブログ「信仰の世界」を参照
写真: 鶏骨占い。本ブログ「信仰の世界」を参照

「私は○○人(民族)です」や「私の宗教は○○教です」という意識は、彼らにとっては、必ずしも自明ではない。というのも、こうした当事者の帰属意識は、「ただひとつ」とは限らないからである。例えば、「仏教徒でありアニミスト」と表明したり、クリスチャンと自称するが教会には行かず、アニミズムに基づいた伝統行事に参加することもある。このように、当事者が表明したり実践したりするレベルでは、その「信仰」をクリアにわけることはできない。

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第26回 ラティーノ・エキスプレス

2011年2月15日


写真:ヘーズルトン行きの客を待つタクシー。ニューヨーク、マンハッタンのワシントンハイツにて

移民街をむすぶ

午前5時30分。スーツケースを足もとに置いて玄関先の道路で待つ。2011年1月下旬のペンシンルバニアの通りには除雪車によって両端に押しのけられた雪が解けずに残っており、日の出まえの暗闇をやわらげてくれる。氷点下10℃では、ついさっき飲んだばかりのコーヒーの効き目もとっくに薄れ、つま先からじわじわと寒さがせまってくる。大型ワゴンのヘッドライトがゆっくりとこちらに向かってきた。ヘッドライトを数回点滅させたから、きっとあのワゴンに違いない。私も合図に応えるように右手をあげた。

ペンシルバニア州ヘーズルトンからニューヨークのマンハッタンに向かうには自分で車を運転するか、グレイハウンドバスを利用するのが一般的である。しかし、ドミニカ人の多くはニューヨークまでのガソリン代60ドルを払う余裕のない生活を送っている。長距離バスにしても、限られたダイヤや停留所からの移動を考えると不便である。そこで登場するのが、ドミニカ人経営の乗り合いタクシーである。

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父はいつもいる

2011年2月12日

兄に手を引かれて幼稚園から帰ると、いつも父が玄関の扉を開けてくれる。それでわたしは決まって言う、お腹がすいたと。父はアトリエの机の引き出しから10ナイラ札(約6円)を取りだして、姉に渡す。姉はわたしの手を引いて、隣の店で棒つきキャンディーや炒りピーナッツを買ってくれる。

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弟子はいない

2011年2月5日

パパケイはいつも「ひとり」で仕事をしている。大作に取りくむときも、こまごまとした作品をつくるときも。どうしても手が足りないときは長男や次男に手伝わせる。ふたりの息子はそれぞれ、物理学者と医者を目指している。

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信仰の世界

2011年1月30日


写真:2008年、サイクロン「ナルギス」がビルマを襲った1か月後に開催された集会のようす

精霊への畏怖

カヤーの人びとには、山・森・木・水・大地などに宿る精霊と、自然への畏怖にもとづく信仰がある。ビルマの「ナッ」と呼ばれる精霊への信仰に似て、カヤーの人びとは森羅万象に精霊たちが宿ると信じている。これらの精霊は、定期的に供物を捧げなければならないものと、病気や災害といった不測の事態に対応するために捧げるものに大別される。これを怠ると、病気になったり、農作物が不作になったりとさまざまな災いが生じるとされる。

精霊への畏怖は、カヤーの神話に基づいている。その神話によれば、すべての人間(カヤー)は、「イリュプ」と「ケプ」という2つのグループにわかれていた。「プ」とは人びとないしは集団を意味し、「イリュプ」と「ケプ」は、それぞれ「イリュの人びと」、「ケの人びと」という意味である。

これら2つの集団の誕生は、ピトゥルモという神が、人間と世界を創造した神話に由来する。それによれば、人間は創造神から世界を与えられたが、次第に自己中心的で欲深くなってしまった。そこで創造神は、人間を戒め悪い者を罰するために山・川・木・森といった自然界に宿る悪い精霊を人間の世界へ送った。この結果、人間たちは創造神と自然界の精霊を慰撫する必要に迫られた。そこで、創造神を敬う人びととしての「イリュプ」と、自然界に宿る精霊を慰撫する人びととしての「ケプ」という集団が誕生したという。しかし、キリスト教や仏教の伝来によってアニミストが減少するにともない「イリュプ」と「ケプ」の区分も、廃れてしまい厳密ではなくなったとされる。

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第25回 それぞれの守護聖人

2011年1月30日

パトロナレスを前にバリオを行進する学生のバトン隊。ドミニカ共和国、バニにて
写真: パトロナレスを前にバリオを行進する学生のバトン隊。ドミニカ共和国、バニにて

祭り囃子の誘惑

いつも冗談ばかり言っては場をなごませているベヘが浮かない顔をして、ひとり椅子に腰かけていた。おりしもバリオは年に一度のパトロナレス(守護聖人の祭り)をむかえて浮かれモードである。お祭り男のベヘがこんなしけたツラをしていてはこちらの調子もあがらない。

「どうした、ベヘ?」
「パトロナレスなんてなければいいのにと思ってさ……これから11日間、パトロナレスが続くだろ。普段は週末にしか飲まない酒が飲める。望むところさ。ただし金があればの話だ。ここ3日、建築現場の仕事がまわってこなくてスッカラカン。でも遠くから音楽が聞こえてくると、いてもたってもいられなくなる。で、結局行くんだけど金がない。人にたかるのは好きじゃないし、自分の金で好きなだけ飲めないなら、いっそのことはやく終わってくれたらいいのに……」

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師匠を訪ねて

2011年1月29日

18歳のとき弟子入りして木彫を学びはじめたオバダレさんは、その後、大学でも木彫を専攻した。大学付属の自然史博物館の館長に依頼されて木彫作品をつくったことから、手先の器用さが認められ、その博物館で剥製師として雇われることになった。

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2011年1月22日

ケージの扉に鼻先と前足をはげしくあてながら、胸をおどらせて吠える。大好きなトペが近づいてくる。開かれた扉から飛びだして、トペのまわりをくるくるまわって離れない。笑って、跳ねて、あお向けに寝そべってみせる、ペドロ。

この町の大きな家のほとんどに犬がいる。武装強盗や空き巣を恐れ、みな番犬を飼うのだ。広い敷地内で放し飼いをする、あるいは、日中はケージのなかに入れて、暗くなるころ敷地内で放す。ペットというより門衛。散歩に連れられている犬はほとんど見かけない。道で見かける動物といえば、ヤギとニワトリとヒヨコ。

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オロカダ!

2011年1月17日

以前ここでオロカダをしていたアーティストのパパケイに紹介してもらい、オロカダたちが客待ちをしている場所で撮影させてもらった。

バイクタクシーの運転手のことを、ヨルバ語で「オロカダ」という。文字通りの訳は、「バイクを持つ人」。

飛行機、バス、自家用車、バイクといった交通手段のなかで、もっとも多くの人びとがナイジェリア国内で利用しているのは、おそらくバイクだろう。100~125ccのバイクは、タクシーや自家用の乗り物として一番身近に存在している。

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第24回 チチグアと少年

2011年1月16日


写真: あり合わせの材料でチチグアをつくるラモン。ドミニカ共和国、バニ

カリブの風にのって

バリオの人たちがセロ(丘)と呼ぶ場所がある。なんてことのないハゲ山で、でこぼこの岩がいたるところでむきだしになっている小高い丘。乾季には干あがってしまう小川を渡り、子どもたちが草野球に興じる原っぱを抜けるとなだらかな坂の入口に出る。そのあたりはバリオの人たちのゴミ捨て場と化していて、いつも2、3頭の牛がゴミの山に鼻先を押しつけてエサを物色している。私は息をとめて悪臭の漂う一帯をやり過ごし、そこら中に散らばっている牛糞に足をすくませながら頂上をめざす。

これまで何度セロへと足を向けただろう。調査にいきづまるとここに来た。頂上までのぼって腰をおろすとここちよい風がやさしく頬をなでて、疲れを遠くに運び去ってくれる。眼下に広がるバリオはそのなかにいると息苦しかったはずなのに、こうして全体を見わたしていると、愛しく思えてくるのが不思議だ。なにより坂道ダッシュをしている野球少年のほかには誰もやって来ないのがいい。いつのまにかここが調査地で唯一ひとりになれる安息の場所となっていた。

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難民キャンプにプライバシーはあるのか?

2011年1月15日

難民キャンプと村落は一見すると見わけがつかない。住居が不自然に密集しているところからは、そこがキャンプであることを推察することができるかもしれないが、難民自身がそこを「村」と呼ぶことがあるように、生活感があふれている。

キャンプの住居は高床式で、木材と竹で骨組みをつくり、壁と床は薄く裂いた竹でしつらえる。壁も床も薄いので、床は骨組みの部分を歩かないと抜けてしまいそうになることもある。屋根はユーカリの葉を編みこんだものを重ねたもので、2~3年に一度張り替える。こうした家の構造から、日中は外に比べて涼しく感じる。家のつくりや間取りはそれぞれである。

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