「人類学」のタグが付いている記事
征服者・シェグン
2011年6月11日
イフェのとある写真家にインタビューに行くと、その家の子どもたちに勉強を教えていたのがシェグンだった。2度、会話をしただけ。彼はナイジェリアで大学に進学することの困難さを語った。2005年のことだ。
3年まえ、道でばったり再会したシェグンは道沿いにキオスクをかまえていた。わたしはそこで買いものをするようになった。たくさん話をするようになったわたしに、彼はビジネスの展望を語ってくれた。
帰郷と旅立ち
2011年6月4日
関西国際空港を発って11時間のフライトを終えると、カタールの首都ドーハに着く。乗り継ぎ客用の荷物検査場を抜ければ、前後にいた日本人たちはたちまちどこかへ散っていく。両肩にくいこむ機材の入ったリュックサックの重みも忘れながら急ぎ足で着いたラゴス行きの搭乗口には、懐かしい人たちが集まっていた。
サルの「うんこ」
2011年5月31日
写真:「ミャウチカー」は、独特のにおいを消すためにさまざまな香草、調味料と一緒に炒める。
珍味
「食べること」は、私たちの生活の基礎をなすが、何をどのように食べるのかは、おなじ集団同士であっても、自明ではない。例えば、関西と関東で味つけが違う、そんなふうに食べないだろうというものを他県の人が食べるなど、普段は意識しないのだが、ふとしたときに、ああそうか、と気がつかされることがある。同じことは、タイの難民キャンプでもおこる。
同じ民族同士でも、異なる食習慣をもつ人に出会うのが難民キャンプである。例えば、ビルマ東部のカヤー州出身のカヤーという人びとは、サルを食べる。その料理は、ビルマ語で「ミャウ(サル)チ(大便)カー(苦い)」と呼ばれる。その名がほのめかしているように、「チ」のものと思われる独特のにおいがする。風味に加えて、そのサルの希少性も、この料理を珍味たらしめている。犬と同じように、食べたら身体が火照り、たくさんは食べられないらしい。
名前のない創作者
2011年5月28日
19世紀末から20世紀半ばにかけて、アフリカの木彫は欧米をはじめとする美術家や美術愛好家たちを魅了した。関心の中心は、珍奇で魅惑的、そして、エキゾチックな美。ピカソやマチスといったヨーロッパの画家たちも、その美に影響を受けて作品をつくった。彫刻のつくり手や享受する人、そしてそれが現地でどのように使われるのかということは、美術家たちにとっては二の次だった。
おのれを知る
2011年5月21日
モノレール、リムジンバス、飛行機、車、乗合バスを乗り継いで46時間。見るもの、匂うもの、聞くもの、触るもの、話す言葉……すべてがいつもと違う。いま、わたしは異国にいる。
水を汲んで、ほうきで掃いて、水を浴びて、マッチを擦って、明かりを灯す毎日。ばかみたいに時間ばかりかかる不便さに途方に暮れて、ふと気づく。場所を異にしても、変わらない自分を知る。
在日ラオス人たちの新年
2011年5月15日
写真:バーシーと呼ばれる健康や安全を願う伝統的な祈祷式のようす
ピーマイ
「あけましておめでとう!!」
先日、在日ラオス人たちのピーマイ(新年)のお祝いに、知人たちと一緒に参加させてもらった。
2月が中国の旧正月にあたるように、ラオス、タイ、ビルマなどでは、4月中旬が旧正月にあたる。現地では、1月よりも4月のピーマイが盛大に祝われる。ただ、その時期はたいてい平日なので、日本など他の国にいる人たちは、時期をずらして土日や連休に新年のお祝いをする。
兵庫県で毎年行われているピーマイは、西日本で暮らすラオス人たち数十から100人ちかくが参加した。遠路、広島から参加している人もおり、みんながとても楽しみにしているイベントであることが伺える。
妻の資格
2011年5月14日
奮発してたっぷりのシチューをつくり終えたあとに「やっぱり行けない」と電話がくると、がっかりする以上に腹が立つ。炎天下のなか市場へ出かけて食材をもとめて2時間。電気がなければ冷蔵庫もない台所で3時間。手間暇かけてつくったオクラと鶏肉のシチューだった。やっとひとりでつくれるようになった、9ja料理。口にする友人たちは、「もうナイジェリア人と結婚できるよ」といつも褒めてくれる。お客さんが手土産を持って行くよりも、むしろお客さんに食べものを出すこと、最低でも飲みもの(コーラやファンタなど瓶や缶に入った清涼飲料)を出すこと。それは9jaで大切にされているマナーであり、ホスピタリティである。
とくべつな恩寵
2011年5月7日
「あぁ、いたの? ごめん、気づかなかった。神と話をしてたもんでね」
ジョナサンは頭をあげてこちらを見ると、照れ笑いを浮かべて言った。格子窓から差しこむ天日で、彼の鼻とくちびるのあいだに散りばめられた汗のつぶが、またたいている。
ンゴズィの嫁入り
2011年4月30日
2011年4月25日のイースターマンデーに、ンゴズィは嫁いだ。
2008年12月の合宿、2週間おなじ部屋で過ごしたわたしたちの夜な夜な話の主題はいつも、「好きな人」の「あれやこれ」だった。
「あなたの夢見てたら、いま、あなたの電話で目が覚めたわ!」
早朝から大声で電話している彼女に起こされて、迷惑したこともあったけれど。
第29回 ソーナ・フランカ
2011年4月27日
写真:ソーナ・フランカの作業風景。ドミニカ共和国バニにて
ドミニカ経済の救世主
天井の低い体育館のような建物に作業机が何百台と並んでいる。その頭上には、手もとを照らすための蛍光灯がぶらさがっている。ミシンで袖を縫いつけるもの、アイロンで皺をのばすもの、ボタンを手作業でとりつけるもの。私が訪ねた建物だけでも500人ちかい労働者がいた。大半は女性であるが、男性の姿もちらほら見かける。彼らがタンクトップやTシャツという普段着のまま仕事をしているのが、私には新鮮だった。
「こんなところで何してるの?」と声をかけられた。見れば私の調査地に住む女性である。このとき、ひとつの風景にすぎなかった空間に生の営みが満ちてきて、俄然、いきいきと輝きはじめた。ひとりひとりの顔に表情がうかびあがり、はっきりと自己主張をはじめた。ソーナ・フランカ、おもしろそうじゃないか……。
大学へ
2011年4月23日
ナイジェリアには、国公立と私立をあわせて100を超える大学が存在する。とくにこの10年間で、「貧しい人たち」以外は大学を卒業することは常識となりつつあり、大卒でなければ就職も難しい。近年では、よりよい職に就くために修士課程に進学する若者も少なくない。
リーダー
2011年4月16日
アフリカ大陸では、2011年早々からチュニジア、エジプト、コートジボワールで大統領退陣をめぐる市民、政府、軍隊の衝突が相次いで起こっている。リビア情勢も予断を許さない。大陸で非常に緊迫した空気が漂うなか、2011年4月9日、ナイジェリアで選挙がはじまった。16日には大統領選が、26日には州知事選がおこなわれることになっている。2010年5月に大統領が死去して以来、副大統領が暫定大統領として国を統治してきたが、いよいよ、4年ぶりに新政権・新大統領が選ばれるときがきた。