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第21回 ことば遊び
2010年11月28日
写真:「昨日、シカゴ・カブスと契約してさ……」。ドミニカ共和国、バニ市
マイアミに行く
まんまとだまされてしまった。
週末の夜、いつものように近くのコルマド(食料品や生活雑貨をあつかう小商店)で飲んでいたときのこと。一緒にいたジョニーが「マイアミに行ってくる」と言って席をたった。最初、酔っているのかと思ったが、まだビールは2、3本しか空いていない。マイアミなんて名前のコルマドはこの辺りにはなかったはずだが……。
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帰り道
2010年11月20日
疲れているのに、お腹がすいているのに、トイレをがまんしているのに、家路は遠かった。バスに乗りこめば、隣前後の人たちとの「ふれあい」がまたはじまる。その日の汗と砂ぼこりが染みついた体を、たがいにくっつけて座る。いつもの渋滞や運転手の荒い運転に、みんなが野次やジョークを飛ばす。
第20回 American Way
2010年11月14日
写真:ラーラ先生と選手の英会話レッスン。ドミニカ共和国サント・ドミンゴ郊外にて。
ベースボール・アカデミー
高校時代、英語の時間が嫌いだった。とりわけ、例題に使用される英文の空疎さにどうしても馴染めず、勉強にも身がはいらなかったから、いつも先生に叱られていた記憶しかない。ひさしぶりに高校時代のことを思いだしたのは、ドミニカで英会話レッスンの様子を見る機会があったからだ。生徒は、17歳から22歳までの若者たち。みんな英語など話したことのないものばかり。これだけなら、日本の英会話教室や学校の授業とさほどかわらない。しかし、出席している生徒全員が野球選手で、クラスが開かれているのが、未来の大リーガーを養成する「ベースボール・アカデミー」だとすれば・・・・・・。
つくる
2010年11月13日
ナイジェリア中部で開かれた、アーティストの国際ワークショップに参加したときのこと。
砂の地面に画用紙を敷き、そこに座ってただみんなを見つめていた。ひとり静かに黙々と手を動かす彼、鼻歌を歌う彼女、皮肉まじりに政治の話をしながら笑いあっている彼ら、昼寝に行ったまま帰ってこない彼女たち――それぞれのスタイルで、アーティストたちが作品をつくっている。手もち無沙汰でずっと砂をいじっていたら、指先と画用紙がところどころ赤茶色になった。この季節にサハラ砂漠から吹く風「ハマターン」が強くて、折れ曲がる画用紙を時どき手で押さえていたからだろうか。
ジェイコブに誘われて
2010年11月6日
縁あって、ナイジェリアのアーティストたちが主催する国際ワークショップに参加することになった。熱帯にあるイフェから北上し、陸路13時間。乾燥した高原地帯に入って辿りついた会場は、赤茶の砂の舞う.台地にあった。車を降りて、土で覆われたボンネットに指で線を描く。赤茶色の背景に、不器用な線画が浮かびあがる。
第19回 野球狂出国記
2010年10月31日
写真: ラジオの野球中継を聴くロヘリオ。ドミニカ共和国、バニにて
コン・マチェーテの旅
携帯電話に見覚えのない番号から着信があった。ドミニカでは人の電話を借りてかけることが多いから、特に気にもせずリダイヤルのボタンを押す。何度目かの呼び出し音の後で、耳に飛びこんできたのは、2か月前にプエルト・リコに旅立ったはずのロヘリオの声だった。
独特の早口でまくしたてるスペイン語で、なんとか聞き取れたのが、昨日プエルト・リコから強制送還されて、首都に着いたところだという言葉だけだった。再会の約束をして電話を切った私は、無事でよかったと安堵する一方で、「またダメだったのか」と、ロヘリオの悲運になんともやるせない思いが残った。
同級生
2010年10月30日
2003年雨季、ボラデさんの弟子だったゴケにはじめて会った。当時彼は、アトリエの奥で作品にヤスリをかけたり、留守番したりしていた。同い年だから、同級生のように色いろな話をした。
ヘアスタイル
2010年10月23日
9jaの若い女性たちは、髪型のことをつねに意識している。
彼女たちの髪には生まれつき細かいウェーブがかかっており、それが絡み合いながら上向きにふくらむように伸びる性質をもっている。だから、伸びてきた髪は編みこむか、専用のクリームを使って、ふくらみを押さえながら髪を下向きになでおろして束ねている。編んだ髪は2週間をめどにほどき、洗って、またあたらしく編みなおす。
第18回 犯人は誰だ!?
2010年10月17日
写真: ジョナタンに抱かれる猫。ドミニカ共和国、バニ市にて
消えた魚
その日のレイナの頼みごとは変わっていた。「悪いけど、この魚の重さをマリッサの店で量ってきてくれない?」とビニール袋を手渡された。そんなことならお安い御用……でも、何のために? とにかく、2.75リブラ(約1.24キロ)という数字だけをしっかりと頭に刻みこみ、レイナに伝えた。「アイ!! なんてこと。サンポールが私を騙したわよ!」。
ことの顛末はこうである。つい先ほど魚の行商人であるサンポールが家の前を通りかかった。家のものがみんな出払って、今日はお使いを頼むことができない。サンポールが来たのを幸いに、昼ご飯のおかずにと魚を買うことにした。その時、サンポールは確かに3.5リブラ(約1.58キロ)と言い、その分の金額をレイナは支払ったのだ。魚の入ったビニール袋を台所の流しに置いてから、玄関に椅子を持ち出してフリフォーレス(インゲン豆)の皮むきをしていたそうだ。そろそろ昼食の準備にとりかかろうかというときになり、初めて異変に気づいた。これ3.5リブラもないじゃない、と。
Please call me. I love you.
2010年10月9日
真昼の太陽が照りつけて、車内は蒸れていく。左右に座る人たちと密着した太ももは汗でにじんでいく。メール着信音が鳴りはっとして、手さげ袋をまさぐる。
“Please call me. I love you.” (「電話ください――あなたのこと思っています」)
つかんだ携帯に表示された、「いつもの」テキスト・メッセージ。渋滞停車中の満員バスのなか、ひとりほほえむ。
第17回 コンパドレの仁義
2010年10月3日
写真: ジョルキンの代父のジュニオール(右)は、父親ジョニーのコンパドレ。ドミニカ共和国、バニにて
代父母(パドリーノ)選びは慎重に
カトリックが国教となっているドミニカでは、子どもが生まれると洗礼式をおこなう。そのとき、両親と一緒にその場に立ち会うのが代父母(パドリーノ)たち。みんなで祈りを捧げ、水で赤ん坊の身体を清める。この儀式が終わると、ようやく神の子としてこの世に生を受けたことが認められる。洗礼式がすめば彼らの役目が終わるのではなく、その子の成長を実父母とともに一生見守っていく責任を負う。もし両親が経済的に困窮したならば、代父母である彼らが食事を与え、服を買い与えるのだ。
このように重大な責任を負うことになるのだからパドリーノは慎重に選ばないといけない。幼馴じみや友だちであるからといって、安易に選んではならない。大切なことは尊敬できるか否か、信頼できるか否かである。なぜなら、子どもの代父母であると同時に、ことあるごとに自分の相談相手になってくれるのも彼らだからである。こうして選んだ相手とは、洗礼式以降は互いにコンパドレと呼び合い、常に敬意を払って接することになる。