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「フィールドワーク」のタグが付いている記事

征服者・シェグン

2011年6月11日

2011年5月28日 ラゴス アジェグンレの「Brain Computer institute」にて

イフェのとある写真家にインタビューに行くと、その家の子どもたちに勉強を教えていたのがシェグンだった。2度、会話をしただけ。彼はナイジェリアで大学に進学することの困難さを語った。2005年のことだ。

3年まえ、道でばったり再会したシェグンは道沿いにキオスクをかまえていた。わたしはそこで買いものをするようになった。たくさん話をするようになったわたしに、彼はビジネスの展望を語ってくれた。

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帰郷と旅立ち

2011年6月4日

2010年5月7日 カタール、ドーハ国際空港にて

関西国際空港を発って11時間のフライトを終えると、カタールの首都ドーハに着く。乗り継ぎ客用の荷物検査場を抜ければ、前後にいた日本人たちはたちまちどこかへ散っていく。両肩にくいこむ機材の入ったリュックサックの重みも忘れながら急ぎ足で着いたラゴス行きの搭乗口には、懐かしい人たちが集まっていた。

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サルの「うんこ」

2011年5月31日


写真:「ミャウチカー」は、独特のにおいを消すためにさまざまな香草、調味料と一緒に炒める。

珍味

「食べること」は、私たちの生活の基礎をなすが、何をどのように食べるのかは、おなじ集団同士であっても、自明ではない。例えば、関西と関東で味つけが違う、そんなふうに食べないだろうというものを他県の人が食べるなど、普段は意識しないのだが、ふとしたときに、ああそうか、と気がつかされることがある。同じことは、タイの難民キャンプでもおこる。

同じ民族同士でも、異なる食習慣をもつ人に出会うのが難民キャンプである。例えば、ビルマ東部のカヤー州出身のカヤーという人びとは、サルを食べる。その料理は、ビルマ語で「ミャウ(サル)チ(大便)カー(苦い)」と呼ばれる。その名がほのめかしているように、「チ」のものと思われる独特のにおいがする。風味に加えて、そのサルの希少性も、この料理を珍味たらしめている。犬と同じように、食べたら身体が火照り、たくさんは食べられないらしい。

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名前のない創作者

2011年5月28日

19世紀末から20世紀半ばにかけて、アフリカの木彫は欧米をはじめとする美術家や美術愛好家たちを魅了した。関心の中心は、珍奇で魅惑的、そして、エキゾチックな美。ピカソやマチスといったヨーロッパの画家たちも、その美に影響を受けて作品をつくった。彫刻のつくり手や享受する人、そしてそれが現地でどのように使われるのかということは、美術家たちにとっては二の次だった。

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おのれを知る

2011年5月21日

モノレール、リムジンバス、飛行機、車、乗合バスを乗り継いで46時間。見るもの、匂うもの、聞くもの、触るもの、話す言葉……すべてがいつもと違う。いま、わたしは異国にいる。

水を汲んで、ほうきで掃いて、水を浴びて、マッチを擦って、明かりを灯す毎日。ばかみたいに時間ばかりかかる不便さに途方に暮れて、ふと気づく。場所を異にしても、変わらない自分を知る。

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妻の資格

2011年5月14日

奮発してたっぷりのシチューをつくり終えたあとに「やっぱり行けない」と電話がくると、がっかりする以上に腹が立つ。炎天下のなか市場へ出かけて食材をもとめて2時間。電気がなければ冷蔵庫もない台所で3時間。手間暇かけてつくったオクラと鶏肉のシチューだった。やっとひとりでつくれるようになった、9ja料理。口にする友人たちは、「もうナイジェリア人と結婚できるよ」といつも褒めてくれる。お客さんが手土産を持って行くよりも、むしろお客さんに食べものを出すこと、最低でも飲みもの(コーラやファンタなど瓶や缶に入った清涼飲料)を出すこと。それは9jaで大切にされているマナーであり、ホスピタリティである。

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とくべつな恩寵

2011年5月7日

2009年12月10日 イフェ、エヌワのジョナサンの工房にて

「あぁ、いたの? ごめん、気づかなかった。神と話をしてたもんでね」
ジョナサンは頭をあげてこちらを見ると、照れ笑いを浮かべて言った。格子窓から差しこむ天日で、彼の鼻とくちびるのあいだに散りばめられた汗のつぶが、またたいている。

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ンゴズィの嫁入り

2011年4月30日

2011年4月25日のイースターマンデーに、ンゴズィは嫁いだ。

2008年12月の合宿、2週間おなじ部屋で過ごしたわたしたちの夜な夜な話の主題はいつも、「好きな人」の「あれやこれ」だった。
「あなたの夢見てたら、いま、あなたの電話で目が覚めたわ!」
早朝から大声で電話している彼女に起こされて、迷惑したこともあったけれど。

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第29回 ソーナ・フランカ

2011年4月27日


写真:ソーナ・フランカの作業風景。ドミニカ共和国バニにて

ドミニカ経済の救世主

天井の低い体育館のような建物に作業机が何百台と並んでいる。その頭上には、手もとを照らすための蛍光灯がぶらさがっている。ミシンで袖を縫いつけるもの、アイロンで皺をのばすもの、ボタンを手作業でとりつけるもの。私が訪ねた建物だけでも500人ちかい労働者がいた。大半は女性であるが、男性の姿もちらほら見かける。彼らがタンクトップやTシャツという普段着のまま仕事をしているのが、私には新鮮だった。

「こんなところで何してるの?」と声をかけられた。見れば私の調査地に住む女性である。このとき、ひとつの風景にすぎなかった空間に生の営みが満ちてきて、俄然、いきいきと輝きはじめた。ひとりひとりの顔に表情がうかびあがり、はっきりと自己主張をはじめた。ソーナ・フランカ、おもしろそうじゃないか……。

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大学へ

2011年4月23日

2008年12月6日、プラトー州パンクシン、国立パンクシン教育大学美術学部の教室にて

ナイジェリアには、国公立と私立をあわせて100を超える大学が存在する。とくにこの10年間で、「貧しい人たち」以外は大学を卒業することは常識となりつつあり、大卒でなければ就職も難しい。近年では、よりよい職に就くために修士課程に進学する若者も少なくない。

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リーダー

2011年4月16日

2009年10月25日 イフェ、イロデ地区のプロテスタント教会にて

アフリカ大陸では、2011年早々からチュニジア、エジプト、コートジボワールで大統領退陣をめぐる市民、政府、軍隊の衝突が相次いで起こっている。リビア情勢も予断を許さない。大陸で非常に緊迫した空気が漂うなか、2011年4月9日、ナイジェリアで選挙がはじまった。16日には大統領選が、26日には州知事選がおこなわれることになっている。2010年5月に大統領が死去して以来、副大統領が暫定大統領として国を統治してきたが、いよいよ、4年ぶりに新政権・新大統領が選ばれるときがきた。

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緑うすき熱帯

2011年4月9日

「熱帯アフリカってどんな感じですか?」
大学2年生の立春、アフリカ美術史の恩師にたずねてみた。1960年代にナイジェリアで10年暮らしたイギリス人の恩師は、しわしわの大きな白い手を羽に見たてておしえてくれた。
「ジャングルにはね、こんなに大きな蝶蝶がいるんだよ」

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