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完成の瞬間

2010年2月20日

出会って以来初めての安堵の表情をわたしに見せながら、作品にサインしはじめるパパケイ。2008年11月6日 イフェ、イレモ地区ラゲレのカトリック教会にて

「本当は画家なんだけどね。なんでもできないとここではやっていけないし、新しいことに挑戦するのも好きだから」
乾季の太陽が照りつける酷暑の屋外をよそに、ひんやりした教会。床に腕をつけたパパケイの筆先は、太陽の光に照らされている。いよいよサインをする、完成の瞬間だ。

この日パパケイが完成させた作品は、カトリック教会から依頼されたコンクリート製の彫刻。高さ3メートル、幅1.5メートル、奥行き0.8メートルの彫刻は10パーツにわけて制作され、各パーツは教会へ搬入したのち溶接して組み立てられた。薔薇の蔓(つる)がまかれた洞窟の入り口を模したこの彫刻の前に、教会が所蔵する聖母マリア像が置かれることになっている。

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バイクに花を

2010年2月13日

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広大な大学キャンパスには、たくさんのバイクタクシーが走っている。学生たちは、20~30ナイラ(約12~19円、2010年2月現在)で、各学部やバス停、食堂や銀行などへ移動ができる。灼熱の太陽に照らされていると、数百メートル歩くだけでもかなりの体力を消耗する。バイクタクシーを頻繁に利用する教員や比較的裕福な学生たちも少なくないが、交通費を節約しようと歩く人が大半だ。20ナイラあれば、水とスナックを買って空腹から逃れることができるし、痛み止め薬なら3回分(6錠)買うことができる。けれども実はそれ以上に、運転マナーの悪さやあまりの事故の多さから、乗り物としても職としても、ナイジェリアでバイクタクシーは好まれない。

この日すでに歩き疲れていたわたしは、しかたなくバイクタクシーに乗ることにした。そこには3、4人の運転手が待機しており、そのうちのひとりにわたしはたずねた。
「この花、どうしたんですか?」
「そこに咲いてたからとってきたんだ。花が好きでね」

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暴動と報道

2010年2月6日

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2010年1月末、ナイジェリア中部プラトー州の都市ジョスで宗教暴動がふたたび起こった。そのニュースを日本で見ていたわたしは、自分がプラトー州にいたあの日のことを思い出していた。

2008年11月末、ジョスでの宗教暴動のニュースが世界へ向けて報道されたその翌日、ジョスで、ナイジェリアのアーティストたちが主催する国際アーティストのワークショップがおこなわれる予定だった。わたしも参加者としてジョスへ向かっていたのだが、急遽、ジョス市内に入る手前で他の参加者たちと合流し、そこから車で1時間ほどのパンクシンという町に滞在先を移すことになった。

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テキストメッセージ

2010年1月30日

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友人のトインが息子のロティミを連れ、ラゴスからわたしを訪ねてイフェまで来てくれたときのこと。朝食をとりながらわたしは、奨学金をもらわない限り、来年の今ごろは戻って来ることができないとぼやく。すると2人はわたしの手をとり、目を閉じた。

「神さま、どうかしらべがまたここに帰って来れますように」

それから幾月か経った2008年11月初め、オバマ大統領当選の速報が流れた。そして間もなく、わたしは申請していた奨学金の合格通知を受けた。結果を知らせてくれた日本の姉からの電話を切るとすぐに、トインに電話をかけた。

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出発

2010年1月22日

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トインはこの前日、弁護士になった。合計2年間つづいた大学のストライキを経て、5年制の法学部を7年間かけて卒業。その後、司法学校に1年間通い、見事ストレートで司法試験に合格した。

司法学校に通学中、マラリアとチフスの合併症を患い、肺炎もおこした。肺の痛みをこらえ、吐き出る血におびえながら勉強をつづけた。眠くなるたびに自分自身に言い聞かせた言葉。

「これで試験に落ちたら、もう一度学費を払うことなんてできない」

朝7時過ぎ、早朝は10度台だった気温が25度前後まで上がってくるころ。乾季の太陽はわたしたちを射しはじめた。すでに多くの旅人や物売りの人びとがバスのまわりに集まっている。ナイジェリアの長距離バスのほとんどは、白のトヨタ・ハイエース。授与式のある首都アブジャまで陸路10時間の旅。招待したかった母親と3歳の息子は来ることができなかった。家族みんなを代表して来たわたしを、トインはバスが発車するまで見送ってくれた。職探しと子育てというこれからの大きな不安を抱えながらも見せてくれた彼女の笑顔は、バスの窓越しでもまぶしかった。

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プロローグ

2010年1月16日

2003年7月、わたしは初めてナイジェリアの地をふんだ。当時大学でアフリカ美術史を勉強していたわたしは、ナイジェリア南西部の小規模都市イフェに10週間滞在し、卒論のためのフィールドワークをおこなった。

同年9月、空港からその地を発つとき、もう2度とここへは来ないと誓った。

「みんな強引すぎる。ずるすぎる。マナーが悪すぎる」

わたしの心に響く声。みんながわたしの物を勝手に使ったり、食べたり、持って行ったりした。トイレを8時間がまんしたこともある。当時22歳だったわたしは、自分の生まれ育った環境と180度ことなるナイジェリアを嫌いになった。

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「9ja」ことナイジェリア

2010年1月16日

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ナイジェリア連邦共和国(以下、ナイジェリア)は、アフリカ大陸の西側、サハラ砂漠の南側に位置し、アフリカ大陸随一の人口をほこる大国である。総人口は約1億4~5000万人。ナイジェリア最大の商業都市であるラゴスの人口は推定1700万人だ(参考まで東京都は約1300万人で、ラゴスの人口密度は東京都の約2.8倍)。

国土面積は日本の約2.5倍。熱帯に属するが、南部、中部、北部では雨量や温度にかなりの差がある。砂漠に近い北部に対し、南部では熱帯雨林が見られ、また中部の高原地帯は肌寒い。ハウサ、イボ、ヨルバと呼ばれる人びとがナイジェリア3大民族といわれているが、そのほか250以上もの民族があるとされており、言語も、公用語である英語のほか300以上の言語が使用されているという。英語はナイジェリア独特のピジン・イングリッシュが主流である。

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新連載「d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから」

2010年1月16日

d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリア

今日からウェブの新連載がはじまります。タイトルは「d beauty of 9ja ― 魅するもの、ナイジェリアから」。アフリカ西部ナイジェリアをテーマにしたフォト・エッセーです。

著者の緒方しらべさんは、総合研究大学院大学の博士課程に在籍する若手研究者で、2003年以来ナイジェリアへ何度も足を運び、フィールドワークを続けています。特にナイジェリアの現代美術に関心をもち、現地のアーティストたちと信頼関係を築きながら研究を進めています。

"d beauty of 9ja" というのは "the beauty of Naija" つまり「ナイジェリアの美(美しさ)」を意味することばです(ナイジェリアはイギリスの旧植民地で、英語が公用語)。

この連載では、アフリカ/ナイジェリアの現代美術研究者の実体験がつづられます。ナイジェリアの人々、芸術、生活、社会――そこにある美しさ。

緒方さんは初めてナイジェリアを訪れたとき「ナイジェリアを嫌いになった」そうです。それでもふたたび旅立つことを選び、少しずつ、ナイジェリアに魅せられてゆきます。そこで緒方さんを魅了したたくさんのものは、この連載を通じて、あなたを「魅するもの」になることでしょう。

毎週土曜日に更新。緒方さんが撮影した写真と、そこに秘められたエピソードや想いが語られます。おたのしみに。