清水弘文堂書房マーク 清水弘文堂書房 SHIMIZU KOBUNDO

「アフリカ」のタグが付いている記事

看病

2010年5月22日

初めてマラリアにかかった日の翌朝、「食べなきゃ治らないよ」と、シェグンが作ってくれたお弁当。2009年3月18日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

体がだるい……。
朝から外出していたわたしは、昼過ぎに体の様子がおかしいことに気づいた。座っているのもだんだんときつくなり、仕方なく家に帰ることにした。床に一枚の布を敷いて横になる。それにしても、今日は暑い。

熱い。体温なのか、気温によるものなのか、なにが熱いのかわからない。いつのまにかあたりは暗い。不安になって下の階にいる友人に電話をかける。友人の携帯は鳴らない。少しでも冷たい空気に触れたくて、転がりながら窓の下へ行く。

詳細


空をわたる人びと

2010年5月15日

機内食をとった後、眠るナイジェリア人乗客たち。2010年5月7日、ドーハからラゴスへ向かう飛行機内、スーダン上空にて

「なんの本を読んでるんですか?」
左の座席に座るタイ人の青年が、本のなかのモノクロ写真を興味深そうにのぞきこむ。
「今から55年くらい前にアフガニスタンを旅した人の探検記」
わかったような、わからないような顔をする青年。わたしは本を閉じ、イヤホンを外した。

詳細


その顔を見せて

2010年5月8日

約束の記念写真を撮る準備をするみんな。左から、ママケイ、パパケイ、右から二人目がタヨ。ほかはママケイの見習いの女性たち。2009年10月6日 イフェ、イレモ地区のママケイの店にて

「明日来ると思ってたのに……」
着古したTシャツに膝丈のスカートでミシンに向かうタヨが、残念そうに言う。アーティストのパパケイの夫人、ママケイが営む仕立屋に見習いで通うタヨと、この翌日、わたしは記念写真を撮る約束をしていた。4か月近くつづいた大学のストライキが解除されることになり、翌週、タヨは大学がある隣の州に戻ることになっている。

詳細


妹へ届かなかった手紙

2010年5月1日

ロンドンに住む妹のティティに手紙を書くトイン。2009年12月6日、イフェ、モダケケ地区の下宿にて

2010年4月19日、ロンドンの空港が再開されないまま5日が過ぎ、わたしは成田空港をあとにした。バックパックに押しこんだ一通の手紙は、妹へ届かなかった。

「さっきから2時間も待ってるのに、何も変わらないじゃないか」
「娘の試験が来週はじまるんです、どうしても明日までに飛行機に乗せてください」
思い思いの事情を抱えた人びとの長い列が、チェックイン・カウンターまで連なる。スーツケースが積まれたカートにもたれかかる白髪の男性が広げた英字新聞には、アイスランド火山の噴火とヨーロッパ各地の空港大混乱を報じる記事。その後ろで、半そでに短パン姿の金髪の男性が、4月半ばに雪降る異常な寒さに両腕をさすっている。

ティティは8年間、ナイジェリアの家族に会っていない。今年4月にロンドンへ行くことが決まったわたしに、姉のトインは、この手紙をたくした。

詳細


ラゴスの宿

2010年4月24日

わたしが作ったナイジェリア料理を、「おいしいよ」と言って食べてくれたシェグン(左)とラジャ兄さん。 2009年12月11日、ラゴス、サテライトタウンのシェグンの下宿にて

携帯を気にしながら、ベルトコンベアと1時間半のにらめっこ。やっと自分のバックパックを見つけ、出口へ向かう。携帯はまだ鳴らない。はしっこの目立たない場所を探して荷物を置き、携帯をにぎりしめる。2時間経って、係員たちが掃除をはじめる。空港からだんだんといなくなる人びとを、柱に寄りかかり、ぼんやりと眺める。

ここ、西アフリカ最大の商業都市ラゴスの国際空港には、宿やレンタカーの案内所もなければ、バスはもちろん、安心して乗れるタクシーもない。

詳細


子よ、孫よ

2010年4月17日


黄金桜

2010年4月10日

後輪に結ばれた朱色の錠をほどき、空色の自転車をこぐ。登校する小学生たちを追い越しながら、坂道をすべるように降りる。園児を送る何台もの父兄の車を軽いブレーキでかわし、ぐるり、ロータリーをまわる。臙脂(えんじ)色の電車の下をくぐった先で片足を地面につけ、スーツを着た人びとと並んで信号を待つ。真上を行くモノレールを見上げながら坂を登りつめれば、下に見えてくる高速道路をへだてた向こうに白色の小手毬(こでまり)と桜並木。疾走をつづけて着いたこの大学院生室からも、淡紅色の、七部咲きの桜が見える。

2010 年4月。2年ぶりにむかえる日本の春なのに、それほど懐かしくない、桜を見る感覚。

「オワンビオバイイー(ここで降ります)!」

詳細


ウチェのバイト

2010年4月3日

アルバイトで、友人の爪の手入れをするウチェ。2009年4月17日 イフェ、オバフェミ・アウォロウォ大学の女子学生寮にて

ウチェは歴史学を専攻する大学4年生。生活を支えるのは、退職した母親からの仕送りと、パート・タイムで働く姉とロンドンに住む叔父からの小遣い。これでは、授業に必要な本のコピーもとれないし、3度の食事もままならない。美容院にも行きたいし、新しい服やアクセサリーもほしい。浪人中の弟にも小遣いをあげたい。

ナイジェリアでも若者たちはバイトをする。けれども彼らが雇われることはほとんどない。雇われるとすれば、10代の子どもたちまで。それもほとんどの場合は雇用主の手伝いや見習いであって、駄賃をもらえる程度。アルバイト雑誌も存在しない。若者は自分たちで仕事を立ちあげる。それが、ナイジェリアのバイトである。

詳細


水に溢れるもの

2010年3月27日

毎朝わたしが部屋の入り口に並べる、井戸から汲み上げた1日分の水 (右に並んでいるような、普通サイズのバケツ約8杯分。左にある黒のふた付きポリバケツには、右に並ぶバケツ4.5杯分の水が入っている)。2009年10月15日 イフェ、モダケケ地区の下宿にて

わたしが生まれ育った国では、誰にも会わなくても、蛇口からも、トイレからも、シャワーからも、洗濯機からも、欲しいときに水が出てくる。小学生だったころ、夏に一度だけ数時間の断水を経験したことがある。節水と書かれたシールはよく目にするけれど、水に困ったことはない。「体によい」と聞いて休日にどこかの田舎に湧き水を汲みに行ったのと、たまに市販の飲料水を買う以外、水を運んだこともない。

わたしがやってきたこの国には、水の出る家も、出ない家もある。水道はあっても水の通らない家がほとんどで、家の敷地内または近所の井戸や水タンクに水を汲みに行き、運んでくる。大きな都市であれば、リアカーでポリタンクの水を家庭まで運ぶ水売りがいる。水18リットル、20ナイラ(約12円)。水売りを見つけたら、アパートの4階からでも大きな声で彼を呼びとめ、水を運んでもらう。生活水をもとめて誰にもかかわらずに日常をおくれることはない。

詳細


アーティストの日曜日

2010年3月20日

日曜日の朝、教会で子どもたちに聖書学を教えるパパケイ。2009年10月25日 イフェ、イロデ地区のプロテスタント教会にて

日曜朝8時半過ぎ、似たような風景がつづく住宅地の長い一本道。飛ばすバイクタクシー運転手の背に乗っていると、風と砂ぼこりで目をちゃんと開けていられない。この先のどこからか、ドラムセットの打つリズムに手拍子、歌声と叫び声が聞こえてくる。その音がもっとも近づいた場所で、バイクを降りる。音のするこの民家は、アーティストのパパケイが通う教会だ。

日曜礼拝はもちろん、毎週水曜夕方の聖書学講座、そして隔週金曜の祈りの晩に、パパケイは家族そろってこの教会へ通う。聖歌隊の隊長もつとめているので、その練習も頻繁にある。さらに、「祈りの勇士」のメンバーであることから、毎月1回金曜の晩には家族を家に残し、夜を徹して祈りに教会へ。3か月に一度は、このメンバーで3日間断食して夜通し祈る。

詳細


台所に弟

2010年3月13日

朝食をつくってくれる弟。2009年11月25日 イフェ、モダケケ地区の下宿先の台所にて

かつて向かいの部屋に住んでいたアレックスは、大学へ通う姉と一緒に暮らしていた。毎朝大学へ行き、キャンパス内のバス停近くに黄色いパラソルを広げるアレックス。その下で学生たちに携帯電話のプリペイドカードを売って得る収入を、姉との生活費のたしにしていた。毎晩10時ごろだっただろうか、仕事から帰り食事を済ませたアレックスは、ノックしてわたしの部屋に入ってくる。その日あったこと、生まれ育ったラゴスの思い出、将来の夢、いろいろな話をはじめた。机に向かっているわたしはペンを置き、彼の話に耳を傾ける。たわいもないことだけれど、かけがえのない時間。机の左斜め後ろにあるベッドに腰掛けて話しつづける彼は、わたしの弟のような存在。

一緒に過ごしたあの日々から6年の歳月が流れた。25歳になった弟は大学で短期資格取得コースを修了し、今はラゴスで仕事を探している。

詳細


美術と魔術

2010年3月6日

午後4時前、下宿先を出て祭りの会場へ向かった。会場で作品をたくさん売るから見においでと、彫刻家のジョナサンがわたしを誘ってくれた。毎年6月にイフェでおこなわれるこの祭りは、イファというヨルバの土着信仰を祝う。この信仰は、ナイジェリア国内はもちろん、かつてヨルバの人びとが奴隷貿易で渡った南北アメリカ、カリブ諸島にも受け継がれていった。しかしキリスト教やイスラム教の影響により、現在、ナイジェリアでのイファ信仰はマイノリティである。

木に彫られたヨルバの神々の姿や象徴は、崇拝の対象として、また儀礼の道具として、イファ信仰に欠かせない。この日、イファの信者たちは国内他州からも、ブラジルからも来ていた。彼らがもとめるジョナサンの木彫は、とぶように売れる。その様子を撮影するわたしが乗った不安定な椅子を、ジョナサンの奥さんが支えてくれている。この長い椅子には、イファ信者のおじいさんたちも腰かけていた。めずらしそうに辺りを見まわすわたしにほほえみかけたり、おじいさん同士、話に花を咲かせたりしている。けれど奥さんは言った。 
「気をつけて。この人たち、ジュジュを使うんだから」

詳細