いつか、どこかへ ドォッカーデー


ビルマ(ミャンマー)で変わったこと、変わらないこと

2012年7月6日

 2011年末からビルマ(ミャンマー)情勢は急激な変化を迎えている。同国での変化、変わらないこと、確かなこと、確かではないことは何か。根本敬・田辺寿夫の近著、『アウンサンスーチー ――変化するビルマの現状と課題』(角川書店)でも、「何がどこまで変わったのか」が簡潔に述べられているが、同書とは一部重なりつつも、異なる側面から、このテーマをまとめてみよう。

ビルマ(ミャンマー)の変化
 最近のビルマの変化といえば、アウンサンスーチーの解放、「総選挙」と議会の招集、海外メディアへの解放、一定数の政治囚の釈放、補欠選挙でスーチーが国政へ復帰したこと、諸民族との停戦に向けた話し合いの開始、二重為替の撤廃と管理変動相場制への移行、海外投資の積極的な呼び込み、などが挙げられる。
 
 項目だけを列挙しても、どれほどこの国が変わりつつあるのか一望できよう。「軍政から民政移管へ」という変化を期待する声は国内外を問わず大きい。私の知る在日の難民のなかにも、この「チャンス」を活かしたいと思っている人もいるようだ。他方で、変わらないこともある。根本・田辺の近著の冒頭で述べられているように、「当面、変化しそうにもないビルマ」も見据え、変化の時代に、「何が変わらないか」にも気をつける必要がある。

変わらないもの
 よく知られているように、現体制の基盤となる憲法は、軍政時代の権力構造を温存するよう仕組まれている。例えば、議会の25%は軍関係者が占めること、大統領には軍事的知識が必要であること、国防大臣、内務大臣、国境担当大臣は、大統領ではなく国軍最高司令官が指名すること。つまり有事のさいは、これまでどおり全権を国軍が握れる仕組みになっている(注1)。

 また、内戦が完全に終結したわけではない。中国と国境を接するカチン州では、政府とカチン独立軍(KIA)との17年間の停戦合意が崩れたため、現在も数万人が住居を追われ、7千人~1万人が中国へ避難していると伝えられる。スーチーの動きをはじめとする「中央」での変化は伝えられるが、あいかわらず「辺境」地域で起こっていることは忘れ去られている(注2)。

 バングラデシュに近い国境の西側では、「仏教徒のアラカン」と「ムスリムのロヒンギャー」との「宗教対立」が報じられている。しかし、これは宗教対立というよりも、軍政時代の負の遺産であろう。ビルマでは、国籍法(1982年)によって「国民」の範疇が定められたが、そこからロヒンギャーは排除された。結果、ロヒンギャーを排斥する動きは、「法的な」正統性をももつことになる(注3)。軍政時代、いわゆる「少数民族」は、多数派のビルマ族に対して不利な状況におかれることが多かった。そうした差別は連鎖し、「少数民族」が、さらなる「少数者」であるロヒンギャーを暴力的に排斥することになる。

 「仏教徒」の側の言い分は、ムスリムのロヒンギャーは一夫多妻だから人口が増えて我々の土地を奪う、というものだ。しかし実際に2人以上の妻をもつにはそれに見合った経済力と社会的地位が必要で、まるで無限に増殖するロヒンギャーという言い分は、適切ではない。「宗教対立」の名のもと、何が見えなくなっているのかを見極める必要がある。

確かなこと
 他方で、国内外の多くのビルマを出身とする人は、最近の変化を受けて、これまでなかった希望を抱いている。以前に、「信頼」と「不信」をテーマに記事を書いたが、まさに今は、「信頼」が醸成されつつある時期とも読める。外の人間は、批判をすることよりも、信頼醸成に資するアプローチをとる必要もあるだろう。海外投資が今の「民主化」を後戻りできないものにする、という見方もあるし、軍関係者でさえ、それを望んでいないという声もある。

 「民政移管」にともない「民主化運動」のあり方も変化を迫られている。隣国タイを中心に国外で政治活動を続けてきた在外組織は、これまでどおり活動資金を得ることが難しく、存続の危機にさらされている。制裁から投資へという大きな流れのなか、国内にヒトもカネも関心も流れ込んでいるからである。ビルマからタイへ流れてくる移民/難民の駆け込み寺であり、年間10万人もの患者を診療しているタイのメータオクリニックもまた、この流れの渦中にある。これまでドナーとなっていた組織が国内投資へシフトするにしたがい、150人ものスタッフをリストラすることになった。また、政府からはクリニックを国内に移転するよう要望があった(注4)。

 時代はさかのぼるが、1980年代後半~90年代にかけて、ビルマ政府は、反政府勢力の資金源を駆逐すべく国境の闇貿易を禁止し、正式な国境貿易を開始したことがある。これは、狙い通り大きな「成果」をあげ、反政府勢力の弱体化が劇的にすすんでいった。

 同じような効果を狙ったものなのかどうかは分からないが、国外に流れていたカネ・ヒト・モノの流れを制することで、政府が望む体制の土台が整いつつあるのは確かである。

 そして何よりも確かなことは、独裁者のタンシュエが“見事”ともいえる幕引きをはかったことである。なし崩し的に「民主化」がすすむにせよ、将来の国民和解を議論するさい、ビルマの人々は、軍政時代の負の遺産と責任をいかに清算するのを望むのだろうか。

不確かなこと
 次回の選挙は、2015年に実施される。前回の選挙は、現体制をつくるための出来レースであったことが知られているが、果たして3年後は、どうであろうか。上で述べたように、大統領は軍人から選ばれるが、現職のテインセインは、3年後も軍人から支持されているのだろうか。「とりあえずASEANの議長国になって国際社会からの名誉を挽回するための変化だったから、まだ次の選挙があるまでは分からない」、という不安の声も聞こえてくる。

 2015年になって、ようやくビルマ(ミャンマー)はひとつの節目を迎えるだろう。その頃には、世界中に離散した難民の本国への帰還の目処も立っているのだろうか。

 変わったこと、変わらないこと、確かなこと、不確かなことを並べてみてみると、必ずしも、それぞれが対になっているのではなく、双方が同居した上での「変化」であることがわかる。要はこれから、ということだが、目先の変化だけに気をとられない「関与」が肝要ではないだろうか。

注1:ウェブサイトでは、根本敬 「はじめての方々への解説」の2.新憲法の中身は軍政の「合法化」を参照。書籍では、根本敬・田辺寿夫 2012 『アウンサンスーチー ――変化するビルマの現状と課題』(角川書店)を参照。

注2:ヒューマン・ライツ・ウォッチ(2012年6月26日)「中国/ビルマ:援助不足と人権侵害に苦しむカチン難民」を参照。

注3:ロヒンギャー問題の歴史的背景については、根本敬 2007 「「ロヒンギャー問題」の歴史的背景—「仏教国」ビルマの中のイスラム教徒たち」『アリンヤウン』33:10-21。また、ロヒンギャーそのものではないが、生まれながらに国民とはされないビルマのムスリム住民については、斎藤紋子 2007 「ビルマにおけるムスリム住民に対する見えざる『政策』―国民登録証にまつわる問題―」『言語・地域文化研究』13:1-16を参照。

注4:Dr Cynthia Meets with Aung Min, The Irrawaddy online. (June 26, 2012).



著者紹介

久保忠行

久保忠行 (くぼ・ただゆき)

1980年、兵庫県に生まれる。2003年、大阪府立大学総合科学部人間科学科を卒業。同年から神戸大学大学院総合人間科学研究科へ進学。2006年に修士課程を修了し、2011年に同大学院の博士課程を修了(博士・学術)。同年4月から日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア研究所に在籍。現在、タイ・ビルマ国境地域と日本の難民に関する人類学的な研究に取り組んでいる。

おもな業績に、「ビルマの『国民和解』に関する予備的考察―カレンニー社会から」、(『神戸文化人類学研究』、第2号、2008年)、「タイの難民政策――ビルマ(ミャンマー)難民への対応から」(『タイ研究』、第9号、2009年)、「難民の人類学的研究にむけて――難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』第75号第1巻、2010年)、「難民キャンプにおける伝統の復興―難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』第37輯、2011年)、『ミャンマー概説』(共著・めこん・近刊)などがある。

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