いつか、どこかへ ドォッカーデー


ビルマとミャンマー

2010年7月30日

ビルマは、人口5000万人(推定)、面積約65万平方キロメートル、仏教徒が約89パーセントを占める。政府分類によれば、ビルマ民族が約70パーセント、135民族で構成される。
画像: ビルマは、人口5000万人(推定)、面積約65万平方キロメートル、仏教徒が約89パーセントを占める。政府分類によれば、ビルマ民族が約70パーセント、135民族で構成される。

ビルマか、ミャンマーか

このブログでは、難民の出身国を、「ミャンマー」ではなく、「ビルマ」と表記する。

主要なメディアがミャンマーと報じることもあってか、よく耳にするのはミャンマーという呼称だろうか。それとも、第二次世界大戦での「ビルマ戦線」や『ビルマの竪琴』を見聞きしたことのある人には、ビルマの方が、馴染みがあるだろうか。

ビルマとミャンマー、ふたつの呼称にはどんな違いがあるのか。
私が使っているパソコンの変換ソフトで、「ビルマ」と入力すると、自動的に赤字で≪地名変更「→ミャンマー」≫と表示され、「ミャンマー」と表記するようにうながされてしまう。

これはたんなる地名の変更なのだろうか。これには、どんな意味があるのだろうか。

英語呼称の変更

ビルマからミャンマーに変更されたのは、1989年のことである。
ただし、このとき変更されたのは、英語の対外呼称である。つまり、英語での国名を、 Union of Burma から、 Union of Myanmar に変更したのだ。たとえるなら、 Japan という英語名を、 Nippon に変えたというようなものだろうか。

政府はその理由を、「ビルマはビルマ族だけをさすので、ミャンマーの方が多民族国家をあらわすのにふさわしい」と説明した。国連がこれを受理した後、日本政府はいちはやくこれを受け入れ、続いて日本のメディアも、「右にならえ」で一斉にミャンマーと表記するようになった。

先進諸国のなかで、ミャンマーの呼称を用いているのは、日本だけである。

しかし、このプロセスには、ひとつだけ「ウソ」がある。
政府の「ミャンマーの方が多民族国家をあらわすのにふさわしい」という説明である。

歴史学や近現代史の諸研究では、ビルマもミャンマーも、多数派のビルマ族しかささないことが明らかになっている。そもそも、ミャンマーという呼称が、1989年になって突然でてきたわけではない。1948年、ビルマがイギリスから独立するときのビルマ語の国名は、「ピダウンズ・ミャンマー・ナインガー(ミャンマー連邦)」で、英語名が Union of Burma (ビルマ連邦)であった。さらに、このふたつの呼称には、話し言葉(ビルマ)と書き言葉(ミャンマー)程度の違いしかない。

だから、「ミャンマーの方が多民族国家の名称としてふさわしい」とする政府の説明には、ウソがある。

ビルマという呼称を使う人びと

では、これらの呼称をめぐって、なにが問題になっているのか。

ビルマは、世界でも悪名高い軍事政権国家である。ビルマは、東南アジアのなかでも最大級規模の軍隊を維持し、タンシュエ国家平和発展評議会議長が、実権を握っている。ジャーナリストの長井健司さんが殺害された2007年の弾圧は、ビルマ国軍の銃口が自国民に向けられていることを、私たち日本人にも知らしめることになった。

ビルマ国内外の民主化を求める人びとは、国民の同意を得ない国名変更を認めていない。それは、政治、経済、社会、生活のあらゆる側面を強権的に推し進める政府に、反対する立場表明である。タイで、難民として生活する人びとも、ビルマと呼んでいる。私が、ビルマを用いるおもな理由は、この点にある。

研究者のポジション

こうした見地から、「ビルマかミャンマーか」は、当人の政治的立場を示す踏み絵のようになっているといわれることもある。研究するものとして、「中立的ではない」と言われるかもしれない。

しかし、まったくの中立的な研究などあるのだろうか。対象を批判的に検討しつつ、それと向き合うさいに、なんらかの立場を表明することは、避けては通れない問題ではないだろうか。

なによりも、ミャンマーとして国家建設を図る現政権の正統性はどこにあるのか。国内の政治、経済、社会の諸側面を注意深く検討してみても、現政権が国民を代表しているとは、とうてい思えない。数十万人規模の難民が流出している事実を、どのように正当化できるのだろうか。

政府という上からの目線ではなく、そこで暮らす人びとの目線に寄り添いながら、物事を見ていくのが、人類学の基本的な姿勢であるはずだ。

だから私は、ビルマという呼称を用いる。

フォトジャーナリストの宇田有三さんが、「ビルマとミャンマー」の呼称について言及している文献、雑誌、新聞記事の引用集を作成している。このブログでは説明しきれなかったことがたくさんあるので、こちらもぜひ参照されたい。

(毎月15・30日更新)



著者紹介

久保忠行

久保忠行 (くぼ・ただゆき)

1980年、兵庫県に生まれる。2003年、大阪府立大学総合科学部人間科学科を卒業。同年から神戸大学大学院総合人間科学研究科へ進学。2006年に修士課程を修了し、2011年に同大学院の博士課程を修了(博士・学術)。同年4月から日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア研究所に在籍。現在、タイ・ビルマ国境地域と日本の難民に関する人類学的な研究に取り組んでいる。

おもな業績に、「ビルマの『国民和解』に関する予備的考察―カレンニー社会から」、(『神戸文化人類学研究』、第2号、2008年)、「タイの難民政策――ビルマ(ミャンマー)難民への対応から」(『タイ研究』、第9号、2009年)、「難民の人類学的研究にむけて――難民キャンプの事例を用いて」(『文化人類学』第75号第1巻、2010年)、「難民キャンプにおける伝統の復興―難民キャンプと故郷の連続性」(『南方文化』第37輯、2011年)、『ミャンマー概説』(共著・めこん・近刊)などがある。

(株)清水弘文堂書房

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