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	<title>清水弘文堂 &#187; 野球＋越境する漂流者たち</title>
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	<description>環境学、民俗学の学術書を提供する清水弘文堂の公式ウェブサイトです。</description>
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		<title>第12回　気まぐれな同居人</title>
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		<pubDate>Sun, 25 Jul 2010 00:00:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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写真： 各家に向かって延びる電線。ドミニカ共和国バニ市にて。
すっといなくなる同居人
「セ・フエ・ラ・ルー（電気がいっちゃった）!!」この声を聞くと、私は使っていたパソコンの電源を落として、パティオ（裏庭）に出る。一日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/07/transborderplayers-12-01-540.jpg" alt="各家に向かって延びる電線。ドミニカ共和国バニ市にて。" title="各家に向かって延びる電線。ドミニカ共和国バニ市にて。" width="405" height="540" class="aligncenter size-full wp-image-4224" /><br />
写真： 各家に向かって延びる電線。ドミニカ共和国バニ市にて。</p>
<h4>すっといなくなる同居人</h4>
<p>「セ・フエ・ラ・ルー（電気がいっちゃった）!!」この声を聞くと、私は使っていたパソコンの電源を落として、パティオ（裏庭）に出る。一日に3回はやってくる停電の瞬間。ドミニカにも停電を表すスペイン語の単語はあるのに、電気に人格を持たせて「いっちゃった」と表現する言い方を私は気に入っている。</p>
<p>夜遅くには帰ってきて、明け方に出ていくことが多いから同居人のようなものだ。しかし、この同居人は気まぐれだ。昼の3時ごろにやってきて、夕方6時を回ったころにはふたたび出かけていく。そうかと思うと、別の日には昼前に1時間ほど顔を見せて、すっといなくなる。ドミニカ人男性の生活スタイルに似ているから、いっそのこと電気というスペイン語を女性名詞から男性名詞に変えればいいのにと思ってしまうほどだ <sup><a href="/transborder-players/12-living-with-a-capricious-man/#footnote-01" name="footnote-id-01">[1]</a></sup> 。</p>
<p><span id="more-4223"></span></p>
<h4>停電と盗電</h4>
<p>停電が起こるのはこの国の慢性的な電力不足が原因である。これは決して貧しいバリオに限った話ではなく、ドミニカ全体が抱える深刻な悩みとなっている。ホテルや商業ビルの建設、さらには地下鉄の開通などにより電力消費量は大幅に増加しているのに発電量が追いつかず、停電の頻度は年を追うごとにたかまる一方だ。首都の高級住宅街では停電に備え、電気会社にお金を払いながらも自家発電で電気を確保しなければならない。24時間365日、電気のある生活を送るにはかなりの出費を覚悟しなければならないのだ。</p>
<p>電気代を払っていないバリオにも深夜になると電気はやってくる。いわゆる政治的配慮のおかげだ。それにしてもわからないのは、隣のバリオも同じく電気代を払っていないはずなのに、一日中灯りが絶えないこと。答えは意外なところにあった。そのバリオにあるコーヒー工場で働く男性と話す機会があって、「電気がないと作業ができないから、電力会社も電気を止めない。そこに目をつけたバリオの誰かが、この工場へ繋がる送電線から電気を盗むことを思いついたんだ」と得意げに教えてくれた。</p>
<p>こちらのバリオも事情は同じだ。新しい家が建てられるごとに既設の電線から新しい線を引っ張りこむので、今では蛸足ならぬムカデ足のような電線が各家に向かって延びている。強風にあおられ、マンゴーの枝が電線に引っかかると、火花が散り、あたり一面に焦げ臭いにおいが充満する。そんなときは、バリオにひとりしかいない電気修理屋のナンが呼ばれる。絶縁手袋もはめずに、くわえ煙草で手際よく復旧工事を終えると、手間賃に100ペソ紙幣を数枚もらって帰っていく。電気を引くのも彼なら、修繕するのも彼の仕事。若いときは札付きの悪党だったナンも、今やバリオのみんなに頼られる存在になっている。</p>
<h4>家電製品を使う</h4>
<p>いつ停電になるか予測がつかないから洗濯のタイミングが難しい。洗濯機を使いはじめるのは電気が到着した直後と決めているが、一日に2回は水浴びをして服を着替えるきれい好きなドミニカ人のこと、洗濯物の量が半端ではないから大変だ。そこに洗濯機を持っていない近所の人がこれまた大量の洗濯物を抱えてやってくるので、その日の午後は洗濯機が悲鳴をあげながらフル稼働する。全部洗い終えるのに4時間はかかる計算で、私などは「後もうちょっとやからいかんといて」と祈らずにはいられない。それでも気まぐれな同居人はそんな私を尻目にまたふらっと出ていくのである。</p>
<p>冷蔵庫にしても事情は同じだから、ナマモノは保存できない。首都の大型スーパーでは、食料品をカートに山積みにした買物客をよく見かけるが、このバリオがある地方都市には生鮮食品を扱うスーパーがない。いや、正確には必要がない。その日に食べるものは、その日に食べる量だけを毎朝市場まで買いに出かける。市場には屠殺（とさつ）したての家畜の肉や近隣の畑から運ばれてきた野菜が所狭しと並べてあり、おかげで新鮮な食材を口にすることができるのだ。でもそれは停電が理由だと知ってしまうと素直には喜べないのだが……。</p>
<p>それでは冷蔵庫にはなにが入っているのだろう。水が入ったステンレス製のコップが数個、日持ちのするサラミ、ドミニカの家庭料理に欠かせない自家製調味料くらい。「それでもないよりはマシでしょ」とはこの家の母親の弁である。こうなると食料の保存という本来の目的はどこかに消えて、隣近所に対する見栄のために置かれているといったほうが正しいように思う。</p>
<h4>帰ってきた同居人</h4>
<p>夜遅くにようやくやつが帰ってきた。家の外に椅子を持ち出して涼んでいた大人たちや、道端で遊んでいた子どもたちのあいだから「ジェゴ・ラ・ルー（電気が着いた）!!」と歓声があがった。暗闇の世界から一転、まばゆいばかりの光の世界が立ち現れる。洗濯機がゆっくりとまわりはじめる音がする。一呼吸おいて、冷蔵庫のうなり声があとに続く。そこにテレビとラジオの音が重なり、家電の四重奏がはじまった。夜ごとくりひろげられるスペクタクルに倦（う）むことがないのは、伝統から近代へのタイムスリップが、人びとに刹那的な快楽をもたらすから。その刹那のなかで私は幻を見たのだろうか。アメリカに行ったきりでしばらく顔を見せなかったこの家の息子が台所で笑っている。そんな幻想を抱かせるくらいに、その瞬間はほんとうに突然やってきた。</p>
<p><a name="footnote-01">注1</a>： スペイン語の名詞には、男性と女性の性別がある。 [ <a href="#footnote-id-01">↑</a> ]</p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		<title>第11回　カクーの生涯</title>
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		<pubDate>Sun, 11 Jul 2010 00:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[野球＋越境する漂流者たち]]></category>
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		<description><![CDATA[
写真： ここがカクーの定位置だった。ドミニカ共和国バニにて
アポード（あだ名）
ドミニカで知り合いと出会った際にかわす挨拶は少し変わっている。日本だと「こんにちは」あるいは、「ご無沙汰しています」といったところだろうが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/07/transborderplayers-11-01-540.jpg" alt="ここがカクーの定位置だった。ドミニカ共和国バニにて" title="ここがカクーの定位置だった。ドミニカ共和国バニにて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-4153" /><br />
写真： ここがカクーの定位置だった。ドミニカ共和国バニにて</p>
<h4>アポード（あだ名）</h4>
<p>ドミニカで知り合いと出会った際にかわす挨拶は少し変わっている。日本だと「こんにちは」あるいは、「ご無沙汰しています」といったところだろうが、ドミニカではまず相手の名前を呼ぶのである。例えば、「ベヘ！」「マランガ！」といったような挨拶がかわされる。ベヘは「年寄り」という意味のドミニカン・スパニッシュ。マランガは「太っちょ」くらいの意味のあだ名である。ではどのようにあだ名をつけるのかというと、やはり身体的特徴から名づけられることが多い。聞くところによると、子どものころに名づけられたのが、そのまま現在にまで至っているというのがほとんどだ。</p>
<p>「カクー」というのは、ヘルメットを表す「カコ」というスペイン語からきている。ようするに「ヘルメットみたいに大きな頭をしているやつ」という意味である。日本で言うところの「福助」だ。こんなあだ名をつけられると、気持ちのいいはずはないと思ってしまうのは、繊細すぎる日本人の感覚で、ドミニカではむしろあだ名をつけられないことのほうが悲しい。</p>
<p>ドミニカには、日本のタロウやヒロシのように無数のホセやペドロが存在する。そのため、噂話をするときに「ホセがねぇ」といっても、まず「どのホセが」というところから説明しないといけないほどだ。ところが、ひとたびあだ名で呼ぶことで、そのほかのホセとは区別され特別な存在になる。また、あだ名をつけられる人は、良くも悪くも人びとのあいだで話題にのぼる頻度が高い。カクーもそのような人たちのひとりであった。</p>
<p><span id="more-4150"></span></p>
<h4>福助の生い立ち</h4>
<p>カクーは典型的なドミニカの大家族の6男として生をうけた。そして、今年の1月に28年間の短い人生に幕を降ろした。まともな職業に就くこともなく、フリトゥーラの後片付けを手伝うかわりに、その日の食べ物にありついたり、鶏を絞めて市場に売りにいく幼馴なじみのトラックの助手席に座っていたりと物乞いのような生き方をしていた。そんな苦労人だからか、私の拙いスペイン語に辛抱強くつきあってくれたのも、バリオの複雑な人間関係を私が理解するまでレクチャーしてくれたのも彼であった。</p>
<p>華奢の大食いであった。よくもこの細い身体でこんなにも食べられるものだと、感心したものである。あるとき、食べても太らないのはマリファナを常用していたせいだと知ったときは、「こいつも苦しんでいるのだ」と心が痛んだことを覚えている。バリオの連中はカクーの置かれている状況をよく知っていたので、彼が定職にも就かずにふらふらしていることを咎めるものはいなかった。ドミニカの大家族のなかで6男に生まれることの意味をこのバリオの人たちは充分すぎるほど知っていたのだ。</p>
<p>父親はバニと首都サント・ドミンゴを結ぶバスの運転手で、カクーの弟が車掌として一緒に働いている。日雇いの建設現場で働く男たちが多いこのバリオにあって、安定した収入があるとはいえ、それは8人の子どもを養えることと同義ではない。成人した子どもは地を這ってでも生きていかねばならないのだ。</p>
<h4>死者に寄り添い、送る</h4>
<p>ドミニカでは人が亡くなると、11日間喪に服す習慣がある。日本の通夜のように、亡くなった当日は親族が徹夜をして、死者があちら岸にたどりつくまで、寂しくないように見送るのだ。家の前にテントを張り巡らせて椅子を並べ、ドミノをしたり、酒を飲みながらにぎやかに夜を明かす。あくる日はお墓に埋葬するのだが、近所の暇をもてあましている男たちが、スーパーカブを暴走族のように連ね、そのエンジン音をあたかも葬送行進曲であるかのようにして死者に寄り添うのである。</p>
<p>死者がまだ若い場合は、バリオの人たちは一様に悲観にくれる。なにか得体の知れないものによってあの世に召されてしまったと考えるからだ。それを証拠に、殺人や事故で亡くなったもの、そしてカクーのように20代で亡くなったものの葬式では、その家につづく通りの両端にロウソクを等間隔に並べて、万燈篭のような幻想的な雰囲気につつまれる。このようにしてカクーの魂も無事にあの世に送られ、11日間続いた葬式が終わるとバリオはなにもなかったように、またいつもの日常へと戻っていった。</p>
<h4>残された帽子</h4>
<p>私の手もとにボストン・レッドソックスの帽子がある。所々に白いペンキがこびりついた年季のはいった帽子である。去年の9月、ドミニカを発つ前日にバリオの仲間が開いてくれた送別会での出来事だった。夕方から飲みはじめた酒も尽きはじめ、そろそろお開きというころ、朝から顔をみかけなかったカクーがふらりと現れた。ジーパンのポケットに突っこんであった帽子を私の手に握らせ、「これ日本に持って帰れよ」とだけ言うと、通りかかった知り合いのバイクに飛び乗り、暗闇の向こう側へと消えていった。</p>
<p>その数日前。ドミニカにレッドソックスのファンが多いのは、ドミニカからの移民がボストンに数多く暮らしていることと関係がありそうだという話をみんなでしているときに、私が研究資料としてレッドソックスの帽子を持って帰りたいと言ったのを覚えていてくれたのだ。</p>
<p>帽子をかぶってみる。力をこめないと奥まですっぽりと入らない。「あいつの頭、俺より小さかったんか」と気づいたとき、いつも肩を怒らせながら歩く、痩せたカクーの姿が目に浮かんで泣けてきた。</p>
<p>カクーというあだ名を耳にするたび、私は彼のことばや人生をすぐに思い浮かべることができる。それは私にとって「カクー」が特別な存在であるからだ。私は彼の本当の名前を知ろうとは思わない。</p>
<p>（隔週日曜更新）</p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		<title>第10回　イミグレーションと「運び屋」</title>
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		<pubDate>Sun, 27 Jun 2010 00:00:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[野球＋越境する漂流者たち]]></category>
		<category><![CDATA[スポーツ]]></category>
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		<category><![CDATA[野球]]></category>

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		<description><![CDATA[
写真：アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。
憂鬱な入国審査
「ドミニカへはなにをしにいくのか？」これまでに何度同じ質問をされただろう。
ドミニカへの行き帰りに米国移民 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/06/transborderplayers-10-01-540.jpg" alt="アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。" title="アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-4056" /><br />
写真：アメリカに滞在する娘にお土産用の「雄牛の頭の煮込み」を料理する母。ドミニカ共和国、バニ。</p>
<h4>憂鬱な入国審査</h4>
<p>「ドミニカへはなにをしにいくのか？」これまでに何度同じ質問をされただろう。<br />
ドミニカへの行き帰りに米国移民管理局による入国審査を受けるのだが、この時間が憂鬱でならない。イミグレーションの係官は私のパスポートに目を通すなり、一応に警戒の表情を浮かべる。</p>
<p>ドミニカへの出入国を示すスタンプが多いことがその理由らしいが、こちらとしてはなぜアメリカの入国管理官にドミニカ行きの理由を忖度されなければならないのか納得がいかない。コンピューターには私の個人情報が入力されているのだから、過去の質疑応答も記録しておけばいいではないかと毒づきたくなる。</p>
<p>「アメリカに滞在中は誰を訪ねるのか？」などと執拗に尋ねてくる係官にうんざりしながら、以前にアメリカで暮らすドミニカ移民の女性が語ってくれたエピソードを思い出していた。</p>
<h4>パンツを脱がせればいい</h4>
<p>現在、市民権を取得してアメリカのパスポートを持つマルレニィは、年に何度か残してきた子どもたちに会いに、ドミニカへと出かけていく。そんな彼女も空港の税関では毎回喧嘩になるという。なんでもアメリカの空港では、中南米からの女性ひとり旅は、麻薬の運び屋として疑われるのだそうだ。コカインやヘロインを詰めたビニール袋を飲みこんで、空港で待つマフィアに届けるコロンビア人の運び屋女性をテーマにした映画が、何年か前に日本でも公開されたが、マルレニィからすればその手の疑惑はいい迷惑でしかない<sup><a href="#footnote-01" name="footnote-id-01">[1]</a></sup>。</p>
<p>「どこのホテルに泊まるのか？」「誰が迎えにきているの？」挙句の果てには、「あなたのようなタイプの女性には、お腹にドラッグを入れてきて、ホテルに着いてから取り出す運び屋が多いからね」とはっきり言われたらしい。さすがに頭にきた彼女は、「そんなに疑うなら、ここでパンツを脱がせて覗いてみたらいいじゃない！」と英語で啖呵を切ったというからカッコいい。それにしても、あからさまな侮蔑を隠しもせずに先入観と偏見をもとにこんな質問を平気でする税関職員がいるということに驚いてしまう。</p>
<p><span id="more-4043"></span></p>
<h4>いざ、特別室へ</h4>
<p>とうとう入国管理局の特別室に案内されることになった。去年の9月、ドミニカから降り立ったニューアーク空港での出来事である。これまでの係官の態度から、いずれはご招待を受けるだろうと覚悟はしていたものの、いざ連れていかれるとなると、それなりに緊張するものだ。その時の係官の応対はなんとも「アメリカ人的」であった<sup><a href="#footnote-02" name="footnote-id-02">[2]</a></sup>。</p>
<p>以下、係官との一問一答。</p>
<p>係官「ドミニカでの滞在目的は？」<br />
私　「文化人類学のフィールドワークだ」<br />
係官「なぜ、毎年こんなに長期に滞在するのか？」<br />
私　「それがフィールドワークだからだ」<br />
係官「I don’t understand」<br />
私　「大学で人類学の講義を受けなかったの？」</p>
<p>……しばらく押し問答が続いた後、手もとのパソコンをログアウトした係官がブースを出て、特別室へと繋がる扉に歩を進める。私はきれいに刈りあげられた金髪頭をにらみつけながらその後に続いた。</p>
<h4>文化の「翻訳」</h4>
<p>特別室はIDカードがないと扉が開かない仕組みになっている。自由を奪われた気分だ。駅の待合室にあるような三人掛けのソファーが5列ほど並んでいて、そこでは中国系の中年夫婦と腕にタトゥーを彫りこんだメキシコ系らしき若者、そして黒人の老女といった人たちが名前を呼ばれるのを待っていた。</p>
<p>私の順番になり、飛行機に預けた荷物を命じられるままに取りにいく。税関はドミニカへの渡航歴が多い私を麻薬の「運び屋」ではないかと疑っているのだ。私の荷物は大きなボストンバックとキャリーバックの2つ。キャリーバックには、フィールドノートや資料、衣類などの私物。ボストンバックには、ドミニカの家族から預かった、アメリカで暮らす子どもたちへのお土産が入っている。そういう意味では、私もれっきとした「運び屋」に違いない。</p>
<p>目の前には、それだけで人を威圧することのできる、長身で筋骨たくましい体格をした白人の職員が立ちはだかる。早速、ボストンバックのファスナーを開けにかかった。ブルーガル（ラム酒）の大瓶が3本、ココナッツで作った自家製のペースト状のお菓子が6個、産まれたばかりの孫のためにと、これまた自家製の滋養たっぷりのスープ。いずれも中身がこぼれないように、アルミホイルで厳重に包装され、宛名として子どもたちの名前が書かれている。税関職員の眼光いよいよ鋭くなり、ビニールの手袋をはめて、ぞんざいな手つきで次々とアルミホイルを破っていく。</p>
<p>「これは？」ココナッツでつくったお菓子を手でもてあそんでいる。「ドミニカン・スイート」と答えるが、らちがあかない。それ以上の説明をする義理もこちらにはないので、「ドミニカではみんな食べるけど、知らないの？」と聞いてみた。その質問には答えずに、受話器を取り上げると、何やら短く用件を伝えている。やってきたのはドミニカ系の職員だった。テーブル上に散らかったものに目をやり、口元に笑みを浮かべた彼を見て、これで無罪放免だと確信した。彼がひとつひとつの品について、「ノープロブレム」とはっきりとした口調で伝えながら、次々と文化を「翻訳」してくれる。おかげで、ようやく私は解放されることとなった。</p>
<h4>残滓</h4>
<p>無残に剥ぎ取られて、くしゃくしゃになったアルミホイルの残骸を見ていると、私にお土産を託したドミニカの家族たちが踏みにじられたような気分になってきた。腹の底から激しい怒りがこみ上げてくる。「元通り綺麗に包みなおせよ」と低い声でつぶやくと、即座にドミニカ系の職員が「やめとけ」とスペイン語で割ってはいる。その目は、「そんなことじゃないんだ」と訴えかけているようにも見えた。荷物を詰めこむのを手伝ってくれながら、「このお菓子、小さい頃に母親がよく作ってくれたんよ」と懐かしそうにつぶやく。</p>
<p>そうか、本当は彼のほうがずっと悲しいのだ。目の前で白人の同僚から、自分のルーツである食べ物をぞんざいに扱われたのだから。おそらく彼は日常的に繰り返されるこの種の不条理に耐えながら、ドミニカから届けられるお土産を守ってきたのだ。私よりもまだかなり若そうな彼のさりげない優しさが、入国審査にまつわる一連のできごとを忘れさせてくれた。白人の職員はというと、つまらなそうな顔をこちらに向けて「さっさと出ていけ」と言わんばかりに顎で出口のほうを指し示した。</p>
<p><a name="footnote-01">注1</a>： 『そして、ひと粒のひかり』。ジョシュア・マーストン監督、2004年に制作されたアメリカ・コロンビアの合作映画。書籍に、ジョシュア・マーストン著、高橋美夕紀訳の『そして、ひと粒のひかり』（英知出版、2005）がある。 [ <a href="#footnote-id-01">↑</a> ]<br />
<a name="footnote-02">注2</a>： アメリカ人は概して内向的な人びとである。異文化に対して関心がない、というのは私の偏見だろうか。とりわけ内陸部ではその傾向が顕著である。ちなみに、アメリカのパスポート所持率は14%に過ぎない（日本は約40%）。  [ <a href="#footnote-id-02">↑</a> ]</p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		<title>第9回　文化の違い？ ―マキシモ・ネルソン投手の逮捕がなげかけた問い―</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Jun 2010 00:00:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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写真： 浅瀬で舟を操る漁師。ドミニカ共和国、サリーナスにて。
平均的なアメリカ人がアメリカのドミニカ人について知っているのは、サミー・ソーサのような大リーガーのことか、ドラッグの売人のことである。……ステレオタイプ化さ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/06/transborderplayers-09-01-540.jpg" alt="" title="transborderplayers-09-01-540" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-3970" /><br />
写真： 浅瀬で舟を操る漁師。ドミニカ共和国、サリーナスにて。</p>
<blockquote><p>平均的なアメリカ人がアメリカのドミニカ人について知っているのは、サミー・ソーサのような大リーガーのことか、ドラッグの売人のことである。……ステレオタイプ化されない時のドミニカ人は、大きく括られての『ドミニカ人』である。</p>
<p>―― P・ペッサール『a visa for a dream』</p></blockquote>
<h4>くりかえされる成功物語</h4>
<p>中日ドラゴンズのドミニカ出身選手、マキシモ・ネルソン投手が銃刀法違反（銃弾所持）容疑の現行犯で逮捕された。初犯だったため送検後すぐに釈放・不起訴となったものの、球団は3か月間の試合出場停止処分を決めた。</p>
<p>このニュースを耳にして、これまで彼について書かれた記事に目を通してみた。2年前、ドラゴンズへの入団が決まった翌日の紙面では、この契約がサクセスストーリーであるかのように紹介されている <a name="footnote-id-01"></a><sup><a href="#footnote-01">[1]</a></sup> 。その記事によると、ドミニカにあるヤンキースのアカデミーから、アメリカのマイナーリーグに昇格。しかし、2004年のシーズンオフに、30人のマイナー選手が関与する「偽装結婚事件」が発覚。以後、アメリカ滞在ビザが発給されないために、アメリカでプレーすることができなくなり、大リーガーへの道は絶たれてしまった。イスラエルリーグでプレーした後は、故郷の妻の実家に居候し、畑で野菜をつくったり、海で魚を釣ったりと野球浪人の生活を送っていたという。記事は、「お金をドミニカの家族に送金したい」という彼のコメントを載せて、今後のサクセスストーリーに注目しよう、と結んでいる。</p>
<h4>ステレオタイプの誘惑</h4>
<p>10年前にならすっと読むことができたこの種のエピソードが、ドミニカに毎年のように通うようになった今では、どうしても引っかかる。異文化を語るとき、自分たちの基準にあてはめたひとつの「物語」がつくられ、そのなかに散りばめられた巧妙なレトリックは、読者に偏見を植えつけ、やがてステレオタイプとして定着していく。では、これに代わる自由な「物語」はいかに紡ぎだせばいいのか。<br />
その問いに対する答えのひとつは、その出来事がおきている社会の文脈のなかで理解することであろう。そこで私は、調査地で出会ったサクセスストーリーではない無数の「物語」に想像をめぐらせてみようと思う。</p>
<p><span id="more-3960"></span></p>
<h4>結婚＝ビザ？</h4>
<p>私たちは「偽装結婚事件」のように、偽装や事件の文字を見ると、すぐに悪いイメージをいだいてしまう。それはパスポートと航空券さえあれば、どこへでも行けてしまう日本人特有の受けとめ方である。たとえ観光旅行でも滞在ビザを持っていなければアメリカへの入国が認められないドミニカの人びと（特に貧困層の人びと）が、アメリカ滞在ビザを取るには、かなりの知恵と努力、そして幸運が必要となる。そもそもアメリカが、ドミニカ人に対して無条件にビザを発給してくれないのであれば、アメリカ側が要求するビザ発給要件を満たさなければならないのはあたりまえである。そこで選択された方法が、滞在資格を有する人間との「結婚」だったとしても不思議ではない。このことはドミニカで、正式に結婚する夫婦はまれであり、「正式に結婚＝アメリカのビザ取得」と同義となっていることからも容易に想像できる。</p>
<h4>もうひとつの物語</h4>
<p>結婚の話でいえば、この短い記事のなかに、「妻の実家に居候」とさらっと書かれているので読者の多くが、「ああ強制送還をされて、マスオさんのように肩身の狭い思いをしてきたんだな」と感じたはずだ。では、この記事をスペイン語に訳して、ドミニカの人たちに読んでもらったらどんな反応をするだろうか？　<br />
すぐに居候という単語をなんと訳せばいいのかという問題に直面する。英語のパラサイトに似たスペイン語はあっても、ドミニカでは、妻の実家に住む夫を指してパラサイトとは言わないからだ。拡大家族の回で触れたように、核家族単位で独立した生計を立てているのではなく、親・兄弟・親戚、あるいは前の夫やその家族にまでおよぶ広い範囲の親族が密接に関係して、それが社会の最小単位となっている地域では、妻の実家に「居候」する男などいちいち話題にするような存在ではないのだろう。</p>
<p>そもそもサクセスストーリーを前提にした、自分たちの基準でつくられた「物語」なんておもしろいのだろうか。地球の反対側に自分たちとは異なる価値観を持って生きている人たちがいる。そんな「物語」に想像をめぐらせてみるとより人生が豊かになると思うのだが……。</p>
<h4>美しい花には<ruby><rb>棘</rb><rp>（</rp><rt>とげ</rt><rp>）</rp></ruby>がある</h4>
<p>ネルソン投手が逮捕された直後、中日のある選手が「文化の違いかな」とのコメントを残している。「文化の違い」という言葉は、両義性を持つ。ひとつは、違う文化を持っている（ここでは一般人でも許可さえあれば銃を持ってもいい社会で生きてきた）のだから、それを理解しないといけないという考え方。もう一方は、我々とはまったく違う文化に育ったのだから、理解しあうことは不可能だというもの。異文化理解という美しい花に生える棘。文化的他者を排除あるいは差別するための獰猛な棘。そこには少なからずステレオタイプの誘惑が影を落としている。多様な文化的背景を持った人びとが、同じ国家や地域で共存していくためには避けては通れない課題である。</p>
<p><a name="footnote-01">注1</a>： 中日スポーツ、2008年2月13日。</a> [ <a href="#footnote-id-01">↑</a> ]</p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		<title>第8回　ドミニカからつづく日本球界への道</title>
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		<pubDate>Sun, 04 Apr 2010 00:00:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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写真： トライアウトの出番を待つ少年、ドミニカ共和国サント・ドミンゴにて
トライアウト
2008年12月。サウスポーの彼は右手にグローブをはめると、私のほうをちらりと見やり元気よくマウンドへと駆けだしていった。首都サン [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/04/transborderplayers-08-01-540.jpg" alt="トライアウトの出番を待つ少年、ドミニカ共和国サント・ドミンゴにて" title="トライアウトの出番を待つ少年、ドミニカ共和国サント・ドミンゴにて" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-3679" /><br />
写真： トライアウトの出番を待つ少年、ドミニカ共和国サント・ドミンゴにて</p>
<h4>トライアウト</h4>
<p>2008年12月。サウスポーの彼は右手にグローブをはめると、私のほうをちらりと見やり元気よくマウンドへと駆けだしていった。首都サント・ドミンゴの片隅にある野球場。普段は<a href="http://www.mlb.com/" target="_blank">大リーグ</a>を目指す野球少年たちの練習場に使われているが、この日ばかりは様子が違っていた。ネット裏に陣取ったのは、日本の<a href="http://www.npb.or.jp/" target="_blank">プロ野球</a>関係者たち。ドミニカで初めてとなる<a href="http://dragons.jp/" target="_blank">中日ドラゴンズ</a>のトライアウトがおこなわれたのだ。肩慣らしを終えていよいよ本番。キャッチャーに背を向け大きく深呼吸をし、投球練習をはじめるエクトルを見ながら、初めてバニの球場で出会った日のことを思い出していた。</p>
<p>19歳のエクトルは2年前、大リーグ球団のアカデミーと契約するが、ケガなどの不運もあってアメリカに渡ることはできなかった。地元に帰ると妻と子どもが待っていた。銀行に預けていた契約金を切り崩しながら、ぶらぶらする毎日。アカデミーにいるときに、左投手が重宝されるのを知っていたし、まだ可能性はあるはずだと疑わなかったエクトルは、ふたたび昔のコーチのもとを訪ねる。初めて彼の投球を見たとき、素人目には凄い投手に映った。スピードガンの表示は90マイル（144キロ）をさしていたし、コントロールも申し分ない。なので、遅かれ早かれ、どこかの球団が彼と契約するだろうと簡単に考えていた。</p>
<p>バックネットに直接あたってしまう暴投が続く。日本のボールになれないのか、初めてのマウンドに足をとられているのか……。その後も思ったところにボールがいかない。野次馬のあいだから失笑がもれる。気の毒なくらいに顔が引きつっている。見かねたコーチが、投球フォームのアドバイスをするが、今度はフォームに気をとられてスピードが落ちてしまう。いつもの投球が戻らないまま、トライアウトが終った。</p>
<p><span id="more-3677"></span></p>
<h4>「就活の場」としてのウィンターリーグ</h4>
<p>アメリカでMLBのシーズンが終わるころ、ドミニカのウィンターリーグが幕をあける。全6球団で構成されるこのリーグ戦には、アメリカで活躍する選手が数多く参加するために白熱した戦いが繰り広げられる。10月なかばに開幕し、1月のプレーオフ、2月初旬のカリビアンシリーズ <a name="footnote-id-01"></a><sup><a href="#footnote-01">[1]</a></sup> が終わるまでのあいだ街角の話題を独占する。</p>
<p>数年前からドラゴンズは、数名の若手選手をウィンターリーグに派遣するようになった。大リーグで活躍する選手に混じってプレーができる貴重な機会と考えたからであろう。実際にその効果はめざましく、<a href="http://dragons.jp/teamdata/players/yoshimi_k.html" target="_blank">吉見一起</a>投手や<a href="http://dragons.jp/teamdata/players/nakata_k.html" target="_blank">中田賢一</a>投手が中心選手に育っていることはよく知られている。彼らの武者修行にはコーチ、ブルペン捕手、通訳が帯同する。選手の指導やサポートがおもな役割であるが、もうひとつの仕事がドミニカ人選手のスカウトだ。</p>
<p>ウィンターリーグには、翌年の契約先が決まっていない選手が数多く出場する。ほとんどの選手が、マイナーリーグではよい成績を残しながら、メジャーに定着するにはもう少しというレベルである。一方で、球場にはイタリア、メキシコ、ベネズエラ、台湾のプロ球団のスカウトが顔をそろえ、激しい選手争奪戦が繰り広げられる。選手にとっては自分を売りこむ貴重な就職活動の場なのだ。</p>
<h4>夢をかなえたもの、かなえられなかったもの</h4>
<p>昨年、ドラゴンズに入団した<a href="http://dragons.jp/teamdata/players/t_blanco.html" target="_blank">トニー・ブランコ</a>もそのような選手のひとりだった。1999年にレッドソックスと契約してはじまった野球人生。ドミニカのアカデミーからメジャーリーグまでのぼりつめたものの、メジャーでは結果を残すことができなかった。マイナーリーグで好成績を残しても給料は微々たるもの。くわえて毎年、若い選手が入ってくる。いつクビを宣告されても文句はいえない。気がつけばマイナー生活も10年。それが2008年までのブランコの野球人生だった。</p>
<p>しかし、その年のウィンターリーグで、ホームランを打ちまくっていたブランコにドラゴンズのコーチが興味をもつ。「あいつおもろそやな」といったかどうかは定かではないが、このコーチの眼力は確かだった。3000万円以下の年俸で獲得できたうえに、昨年度のセ・リーグ二冠王（本塁打、打点）に輝いたのだから。昨年の活躍のおかげで、今年の年俸は1億6000万円（推定）になった。マイナー暮らしの長かった苦労人が、新たな移民先で夢をかなえた。</p>
<p>2009年夏。半年ぶりに訪れたバニの球場では、いつものようにアカデミー契約をめざす少年たちが灼熱の太陽の下で汗を流していた。顔見知りの少年たちから声をかけられる。言葉を返しながらも、視線はグランドの隅々を探していた。しかし、とうとう一番会いたかったエクトルの姿を見つけることができなかった。</p>
<p>注<br />
<a name="footnote-01">1.</a> メキシコ、プエルト・リコ、ベネズエラ、ドミニカのウィンターリーグ優勝チームとのあいだで争われるカリブ海地域チャンピオンシップ。</a> [ <a href="#footnote-id-01">↑</a> ]</p>
<hr />
<p><a href="/transborder-players/01-to-dominica/">第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ</a><br />
<a href="/transborder-players/02-extended-family/">第2回 拡大家族</a><br />
<a href="/transborder-players/03-uncertain-promise/">第3回 約束――その不確かなもの</a><br />
<a href="/transborder-players/04-fritura/">第4回 フリトゥーラ</a><br />
<a href="/transborder-players/05-daily-life-in-the-field/">第5回 調査地での日々</a><br />
<a href="/transborder-players/06-baseball-immigrants/">第6回 「野球移民」降誕</a><br />
<a href="/transborder-players/07-when-the-earth-quakes-heiti-and-dominica/">第7回 大地が振動するとき ―ハイチとドミニカの関係―</a><br />
<strong>第8回 ドミニカからつづく日本球界への道</strong></p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		<title>第7回　大地が震動するとき ―ハイチとドミニカの関係―</title>
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		<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 03:00:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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写真：路上でマニ（ピーナッツ）を売るハイチ系の男性、サント・ドミンゴにて
ハイチ地震
2010年1月12日、現地時間午後4時53分、大地が揺れ動き、ハイチという国が一躍有名になった。そして同じ島をわけあっているドミニカ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/03/transborderplayers-07-01-540.jpg" alt="路上でマニ（ピーナッツ）を売るハイチ系の男性、サント・ドミンゴにて" title="路上でマニ（ピーナッツ）を売るハイチ系の男性、サント・ドミンゴにて" width="540" height="405" class="alignnone size-full wp-image-3444" /><br />
写真：路上でマニ（ピーナッツ）を売るハイチ系の男性、サント・ドミンゴにて</p>
<h4>ハイチ地震</h4>
<p>2010年1月12日、現地時間午後4時53分、大地が揺れ動き、ハイチという国が一躍有名になった。そして同じ島をわけあっているドミニカもしかり。ハイチの首都ポルトー・プランスを襲ったマグニチュード7.0の大地震で、23万人が死亡、150万を超える人びとが住居を失った。地震発生から2週間後の1月24日、私は多くの被災者救援ボランティアにまじってドミニカのラス・アメリカス国際空港に降り立った。彼らはハイチの空港が閉鎖されているので、ドミニカから陸路、国境を越えてハイチへと向かうため、こちらはドミニカで継続中のフィールドワークをおこなうためである。</p>
<p>最初の情報提供者は、空港で拾ったタクシーの運転手。<br />
「あの時は運転中だったけど、しばらくは何が起こったかわからなかった。車を停めて、揺れがおさまるのを待ったよ」<br />
その後も数度の余震を感じたというが、幸いにもドミニカ国内に被害はなかったとのこと。タクシーが首都サント・ドミンゴ中心部にさしかかる。なるほど、半年前ととくに変わった形跡もなく、穏やかないつもの光景だ。ただし、その光景には欠かせない重要なピースが抜け落ちている――ハイチ系移民労働者の姿である。普段なら通りごとに、必ず三輪自転車を停めてジュースを売るハイチ系の人たちを目にするのだが、やはり祖国に帰ったのだろうか。めっきりその数が減ったように思う。</p>
<p><span id="more-3439"></span></p>
<p>今回の地震については、ドミニカに滞在中、この運転手以外からも話を聞く機会があった。しかし、彼らの言葉をそのまま書くと、ドミニカ人のハイチに対する複雑な感情のために、誤解を招く恐れがある。そのため、ここでは先ず、この感情についての若干の説明から始めたい。</p>
<h4>アンチ・アイティアニスモ</h4>
<p>ドミニカは多くの移民を海外に送り出しており、彼らからの送金が国民経済を支える移民送出国家である。統計や文献によるとその数は200万人以上。統計に表れない実数を含めると300万人と推定する研究者もいる。総人口が約900万人だから、その3分の1が海外で暮らしていることになる。一方で、200万人近いハイチからの移民労働者がドミニカ国内に暮らしている。ちょうど海外に出て行ったドミニカ人の穴埋めをするかのように。その多くは、サトウキビ畑での農作業や首都サント・ドミンゴの建築作業員、マンションの門番といったドミニカ人がやらなくなった職種に就いている。</p>
<p>こうした過酷な労働に加え、ハイチ系移民労働者はホスト社会からの激しい差別にさらされている。プロローグで書いたように、ドミニカはかつてハイチによって統治されていた時期がある。その経験が、ハイチ系の人びとへの異常なまでの蔑視をうみだした。「アンチ・アイティアニスモ（反ハイチ主義）」と呼ばれるこの感情は、しかし、たんなる差別意識ではない。</p>
<h4>逆説的な思い</h4>
<p>小さな島に二つの国家が併存する特殊な環境。スペインとフランスという異なる宗主国に支配された歴史。一方はスペイン語を、他方はフランス語とクレオール語であるパトゥワ語の二つの言葉を話す。ラテンアメリカで最初に独立を果たしたハイチは、それゆえに近代化が遅れ、結果的にラテンアメリカの「最貧国」であると世界銀行に格付けされている。</p>
<p>両国ともに、アフリカから連れてこられた奴隷が持ち込んだブードゥー教が土着化しており、表面上はカトリックを信仰しながらも、折に触れてブードゥー教の宗教儀礼が実践されている。その宗教儀礼では、アフリカから伝わった打楽器を激しく叩きながらそのリズムにあわせて踊るのだが、ドミニカの代表的な音楽であるメレンゲにタンボーラ（両面太鼓）という楽器が欠かせないのは象徴的にうつる。それにもかかわらず、ドミニカの人びとがハイチ人を差別する際に、自身のことは棚にあげてその土着性を標的にする。例えば、ドミニカの子どもが、唇が分厚い友人を「お前はハイチで生まれたんやろ」とからかうとき、大人が肌の色が濃い人について「あいつはまるでハイチ人みたいだ」と陰口をたたくとき、また「ハイチの女はねぇ……」と卑猥な冗談を飛ばすとき、自己に内在化する土着性、あるいはアフリカ的なるものをハイチ人に背負わせて自身を近代の側に対置することで、優越感を獲得しているのだ。したがって、「アンチ・アイティアニスモ（反ハイチ主義）」とは、自身の内なる黒人性を否定しつつも、確認しておきたいというパラドキシカルな感情のことを指しているのである。</p>
<h4>大地と感情が揺れ動く</h4>
<p>今回のハイチ地震に対するドミニカ人の反応は、「変な宗教を信仰しているからバチがあたったのだ」であり、「世界中からの援助で、今やハイチは億万長者やね」という辛辣なものである。しかし、こういった言説は、これまで述べてきたように、ハイチという存在が、長年にわたってドミニカ人の自我意識の形成に関わっており、その感情の発露が差別という形で表出したものである。そして、今回のような未曾有の地震が起きた際に可視化されるのである。</p>
<p>そんな事を考えていると、運転手が「地震以降、外国からやってくる報道関係者やボランティアをハイチ国境まで何組か運んだおかげでいい稼ぎになったよ」とニヤリと笑った。タクシーが交差点に入り、速度を落とす。信号待ちの車の隊列をぬって、ハイチ系の物売りが数人こちらに向かってくる。そのうちの一人、マニ（ピーナッツ）を売っている男性と目があった。その瞬間、かつてスペイン語学校で机を並べたハイチ系の友人たちの顔が鮮明によみがえり、不意に胸がしめつけられた。その時の私たちは、顔を合わすたびに片言のスペイン語と満面の笑顔だけで、必死に何かを伝えようとしていたし、言葉のわからない外国で生活をする不安や寂しさを共有していたように思う。こみあげてきた感傷にまかせるままに、普段なら見向きもしないマニを買ってみようかと窓を開けかけたとき、運転手が車を急発進させて物売りの男を置き去りにした。</p>
<hr />
<p><a href="/transborder-players/01-to-dominica/">第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ</a><br />
<a href="/transborder-players/02-extended-family/">第2回 拡大家族</a><br />
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<a href="/transborder-players/04-fritura/">第4回 フリトゥーラ</a><br />
<a href="/transborder-players/05-daily-life-in-the-field/">第5回 調査地での日々</a><br />
<a href="/transborder-players/06-baseball-immigrants/">第6回 「野球移民」降誕</a><br />
<strong>第7回 大地が振動するとき ―ハイチとドミニカの関係―</strong></p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>第6回 「野球移民」降誕</title>
		<link>http://www.shimizukobundo.com/transborder-players/06-baseball-immigrants/</link>
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		<pubDate>Tue, 19 Jan 2010 09:50:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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		<category><![CDATA[窪田暁]]></category>
		<category><![CDATA[野球]]></category>

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写真：アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア市シチズンズバンク・パークにて
MLB ―― 移民国家の縮図
野茂英雄投手がメジャーリーグ・ベースボール（MLB）に移籍した1995年のことである。NHKの衛星放送か [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/01/pic06-01-540.jpg"><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2010/01/pic06-01-540.jpg" alt="pic06-01-540" title="pic06-01-540" width="540" height="361" class="alignnone size-full wp-image-3067" /></a><br />
写真：アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア市シチズンズバンク・パークにて</p>
<h4>MLB ―― 移民国家の縮図</h4>
<p><a href="http://www.nomo-radiant.jp/" target="_blank">野茂英雄</a>投手が<a href="http://mlb.mlb.com/" target="_blank">メジャーリーグ・ベースボール</a>（MLB）に移籍した1995年のことである。NHKの衛星放送から流れる試合をぼんやりとながめていた私は、カメラが映しだす観客席の光景に釘づけとなった。当時、野茂投手のチームメイトに<a href="http://sports.espn.go.com/mlb/players/stats?playerId=2932" target="_blank">ラウル・モンデシー</a>――ドミニカ出身で新人賞を獲得――という外野手がいた。彼が打席に立つたびに、<a href="http://losangeles.dodgers.mlb.com/la/ballpark/">ドジャー・スタジアム</a>の観客席から「ラウール」とスペイン語なまりの英語で掛け声がかかるのだ。アナウンサーが「ロサンゼルスには中南米からの移民が多く暮らしていまして、ラテン系の選手に対して熱心に声援をおくるのです」と説明をくわえた。当時の日本では、現在ほど街なかで外国人を見かける機会が少なかったから、ドジャー・スタジアムにつめかけた移民たちの表情までをはっきりと捉えた映像は新鮮だった。</p>
<p>その試合にはモンデシー選手のほかにも、ドミニカ、プエルト・リコ、イタリア、韓国に出自をもつ選手たちが出場していた。こんなことがあったのでMLBの選手名鑑を買ってきて選手の出身地を拾いあげてみると、なんと全選手のうち3割近くが外国出身者であった。アメリカ生まれとなっている選手でも名前がスペイン語読みの選手（祖先に中南米出身をもつ者）をくわえると、その比率はさらにあがる。MLBにたどりついた経緯はそれぞれ違うだろうが、国境を越えてアメリカにやってきた数多くの移民たちと同様に、彼らもまたMLBで野球をするために国境を越えてきた移民たちということになる。</p>
<p>今やMLBは、スタジアムにやってくる観客、プレーする選手たちも外からやってきた人たち抜きには成り立たなくなっている。歴史的に移民を受け入れることで国家を形成してきたアメリカでは、ナショナル・パスタイム（国民的娯楽）といわれるベースボールも当然の帰結として多民族化する運命にあったということだろうか。</p>
<p><span id="more-3035"></span></p>
<h4>助っ人ガイジンから野球移民へ</h4>
<p>それまで日本のプロ野球界も、毎年一定数の外国人選手を受け入れてきた。「助っ人ガイジン」と呼ばれる彼らの成績が、ペナントレースの行方を左右することもままあったが、当時、日本にやってきた「助っ人ガイジン」のほとんどが、最盛期をすぎたロートル選手であったことも事実である。MLBで成績を残せなくなったベテラン選手が、「物見遊山」感覚で高額の契約金を目当てにきていたのだ。そのため全力でプレーする選手は稀で、守備もお粗末なものだった。もっとも球団側もホームランさえ打ってくれれば、あとのことは目をつぶろうという姿勢であったのだが。また、複数年にまたがって日本でのプレーを望む選手は少なく、1年限りでアメリカに帰ると決めているためか、マンションを借りずに、ホテル暮らしを続けるまさに「観光客」のような選手も多かった。</p>
<p>そんな状況に変化がみられるようになったのはいつ頃からだろうか。今や「助っ人ガイジン」というだけでレギュラーが確約される時代ではない。外国人枠の拡充、育成選手契約制度 <a name="footnote-id-01"></a><sup><a href="#footnote-01">[1]</a></sup> の導入などにより、各球団はつねに5、6人の外国人選手を抱えるようになり、すべての外国人選手に高額な契約金を払えなくなった。かつては1億円をくだらなかった年俸も今では、3000万円以下の契約が増えている。育成選手契約にいたっては300万円程度である。</p>
<p>このような時代の流れにともない、日本にやってくる選手の出身地にも変化がみられるようになった。かつてはアメリカ出身選手がほとんどであったが、近年ではドミニカ、ベネズエラ、プエルト・リコ、パナマといったカリブ海地域からの選手が目立っている。共通しているのは、世界経済システムの周縁に位置する貧しい地域で生まれ育ったことである。彼らにとって、3000万円以下の年俸でも経済格差を考えると夢のような金額なのだ。</p>
<p>こういった条件でやってきた外国人選手は出場機会が約束されておらず、日本の若手選手との競争に勝つことが義務づけられた。成績があがれば年俸もあがることを知っているので真面目に練習に取り組み、試合では常に全力でプレーをする。結果的に、日本滞在が長期間になっていく。いわば「野球移民」の半定住化がおきているのだ <a name="footnote-id-02"></a><sup><a href="#footnote-02">[2]</a></sup> 。労働移民のほとんどが、過酷な労働やなれない移民先での生活にとまどいながらも、故郷への送金を続けている。プロ野球選手としてはけっして高くない契約金で、必死にプレーする野球選手にとっても故郷への送金がそのモチベーションとなっているのだ。</p>
<p>国内のプロ野球界において、外国人選手の性質がかつての「助っ人ガイジン」から「野球移民」へとあきらかにシフトしたといえそうである。これをもたらしたのは、日本人選手のMLBへの流出、選手年俸の高騰、野球人気の低迷による観客数の減少といったプロ野球界の構造変化である。しかし、その契機となったのは、ひょっとすると1995年の野茂秀雄投手だったのかもしれない。</p>
<p>注<br />
<a name="footnote-01">1.</a> 1軍の試合に出場できる支配下登録選手のレベルには達しないが、将来的な活躍が期待できる若手選手を育成する目的で2005年に創設。</a> [ <a href="#footnote-id-01">↑</a> ]<br />
<a name="footnote-02">2.</a> 楽天、オリックスなどに在籍したフェルナンデス選手、巨人のラミレス選手などがその代表。</a> [ <a href="#footnote-id-02">↑</a> ]</p>
<hr />
<p><a href="/transborder-players/01-to-dominica/">第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ</a><br />
<a href="/transborder-players/02-extended-family/">第2回 拡大家族</a><br />
<a href="/transborder-players/03-uncertain-promise/">第3回 約束――その不確かなもの</a><br />
<a href="/transborder-players/04-fritura/">第4回 フリトゥーラ</a><br />
<a href="/transborder-players/05-daily-life-in-the-field/">第5回 調査地での日々</a><br />
<strong>第6回 「野球移民」降誕</strong></p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		</item>
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		<title>第5回　調査地での日々</title>
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		<pubDate>Tue, 10 Nov 2009 10:30:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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		<description><![CDATA[写真: ドミニカ共和国バニ市リゴーラにて。深夜までにぎわうコルマド（食料品や生活雑貨をあつかう小商店）
日常生活
朝はいつも7時半頃にジョナタンを起こす母親の声で目を覚ます。朝食は母親が沸かしておいてくれるコーヒーに、サ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2009/11/pic05-01-540.jpg"><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2009/11/pic05-01-540.jpg" alt="pic05-01-540" title="pic05-01-540" width="540" height="405" class="alignnone size-full wp-image-2771" /></a><br />写真: ドミニカ共和国バニ市リゴーラにて。深夜までにぎわうコルマド（食料品や生活雑貨をあつかう小商店）</p>
<h4>日常生活</h4>
<p>朝はいつも7時半頃にジョナタンを起こす母親の声で目を覚ます。朝食は母親が沸かしておいてくれるコーヒーに、サラミか卵を揚げたパンにはさんで食べる。こちらでは昼食に力をいれるのが習慣で、朝食はみんな軽くすませる。朝食後は、近所の野球場にプログラマ（15歳以上のプロ契約を目指す少年対象の野球教室）の練習を見に行ったり、ジョニーが行くところについて行ったりする。</p>
<p>昼食後は、近所の人たちの井戸端会議にまじって話をする日もあるし、家を訪ねて調査めいたことをしたりする。夕方は、ジョニーが持っているリーガ（小さな子ども対象の野球教室）の練習を手伝う。気まぐれな人たちと生活していると、毎日がルーティンワークのように進んでいくことがなく、おもしろい。</p>
<p>軽い夕食をすませると、水のシャワーを浴び、小奇麗な格好に着替えてブラブラ。大リーグがやっている時期には、電気がきている市街地まで出て、コルマドでテレビ観戦をする。ビールを飲みながら、好きな野球を観ていると口もなめらかになるらしく、ジョニーがライフヒストーリーを問わず語りに話しだす。こっちは、必死にメモをとるから酔いつぶれるわけにはいかず、大変である。これもフィールドワークだと私は思っている。</p>
<p><span id="more-2768"></span></p>
<h4>調査者として生きることの葛藤</h4>
<p>こんな日常ですなどと書くと、「すごく楽しそうな調査でいいね」といわれそうだが、今回初めて滞在しているバリオの家庭を一軒ずつまわる調査をやっているので、人間関係を築くまえに質問をしないといけない苦しみを味わっている。また、道ですれちがう人たちからの「チーノ（中国人）！」「チャン、チュン、ホン、チュン、イー（カンフー映画の口真似）」にはうんざりさせられる。なぜ、最初に「あなたはどこの出身？」と聞けないのか。知らない人の言動ならまだしも、長い付き合いであるはずの近所の大人から、真顔で「ジャッキー・チェンと知り合いか？」と聞かれるたびに胃がキリキリとしてくる。テレビでは、カンフー映画ばかりやっていてその影響であることはわかってはいるけれど、やりきれない。</p>
<p>また、前日に調査で訪れた人が近所のコルマドの主人に「昨日、チーノが来ていろいろ聞いていったよ」「あいつは働かずにブラブラしていいな」といっていたというのを聞くと家族の前でも口がおもくなり、「どうしたんだ？」と心配される始末。さらに毎日のように「お金ちょうだい」「携帯電話貸して」「ビールおごって」の口撃にさらされる。人間ができていないので、口論になってしまうこともしばしばある。でも、次の日には、けろっとした顔で「サトルノ！　元気？」と声をかけてくる。こちらももう少し強く、ふてぶてしくならねばと思う日々である。</p>
<h4>週末の過ごし方</h4>
<p>土曜日の昼をすぎたあたりから、バリオの雰囲気は週末モードへときりかわる。プラスティックの椅子を家の前に持ちだし、メレンゲやバチャータ（ドミニカの音楽）をかけて、酒を飲みながら家族や近所の人たちとすごすのだ。コルマドで友人たちとビールを飲みながらのんびりとくつろぐ。私もその輪のなかにいれてもらうのだが、冷たいビールと軽快な音楽が昨日までの疲れを癒してくれる。</p>
<p>「ひとたび飲みはじめると金が尽きるまで飲む」というのがこちらの酒飲みの流儀である。そのために平日は無駄遣いをせずに週末にそなえる。週末に酒を飲めない不幸を避けるためだ。普段は午前0時に閉店しなければならないコルマドも、土曜日に限っては午前2時までの営業をゆるされている。遅くまで飲んで踊ったあくる日は、昼頃まで眠りつづけるため、日曜日の午前中はバリオ全体が静寂につつまれる。閉ざされた家の扉から昨夜の残滓が滲みでて、路上にはけだるさが充溢している。早起きした日曜の朝に、そんなバリオの姿をなにも考えずぼんやりとながめている時間が嫌いではない。</p>
<p>それにしても人間の欲望とはすさまじい。ここでは、すべての欲望が赤裸々にその正体をさらけだす。飲み、踊り、口説き、疲れ果てて眠りにつく。平日に我慢をしているために、なおさらその反動がすさまじい。私も調査中であることを忘れ欲望に身をまかせて……といきたいところであるが、一緒に飲みながら「この人たちの遊びに対する集中力はすごいな」などとついつい客観的に考えてしまう。やはり頭の片隅のどこかに調査中だという意識があるのだ。これもまたフィールドワーカーの宿命なのかもしれない。</p>
<p>日曜日、午前0時。コルマドの店員がシャッターを降ろして、今週の愉悦のひとときにおわりを告げる。にわかカップルたちが、暗闇の向こう側へと消えていく。飲みたりない男たちが、すこし不満気な顔で店先に立ちつくしている。私も後ろ髪をひかれる思いで、ビール瓶を片手に家路につく。平日と週末をはっきりと区別するここの人たちと暮らすうちに、私もいつしかその習慣になじんでしまったようだ。夜風が遠くから喧騒のかけらを運んでくるなか、寝静まったバリオをトボトボとほろ酔い気分で歩いていると、形容しがたい寂寥感におそわれる。異国で暮らしていることを意識するのもこの瞬間である。そしてまた、私の一週間がおわりを告げるのである。</p>
<hr />
<p><a href="/transborder-players/01-to-dominica/">第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ</a><br />
<a href="/transborder-players/02-extended-family/">第2回 拡大家族</a><br />
<a href="/transborder-players/03-uncertain-promise/">第3回 約束――その不確かなもの</a><br />
<a href="/transborder-players/04-fritura/">第4回 フリトゥーラ</a><br />
<strong>第5回 調査地での日々</strong><br />
<a href="/transborder-players/06-baseball-immigrants/">第6回 「野球移民」降誕</a></p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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		<title>第4回　フリトゥーラ</title>
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		<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 11:08:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[野球＋越境する漂流者たち]]></category>
		<category><![CDATA[スポーツ]]></category>
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		<category><![CDATA[フィールドワーク]]></category>
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写真： ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスにて。居眠りするフリトゥーラ店主
屋台経営者の苦悩
家の向かいにある屋台を営むオヤジから金を貸してくれといわれたときの話だ。彼の店では、鶏肉や豚肉の揚げもの、臓物の煮込みを [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2009/11/pic04-01-540.jpg"><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2009/11/pic04-01-540.jpg" alt="pic04-01-540" title="pic04-01-540" width="540" height="405" class="alignnone size-full wp-image-2742" /></a><br />
写真： ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスにて。居眠りするフリトゥーラ店主</p>
<h4>屋台経営者の苦悩</h4>
<p>家の向かいにある屋台を営むオヤジから金を貸してくれといわれたときの話だ。彼の店では、鶏肉や豚肉の揚げもの、臓物の煮込みを豆ご飯やバナナ揚げ、スパゲティと一緒に提供している。ドミニカでは主食のひとつであるプラタノ（食用バナナ）を揚げたものをフリートと呼び、このフリートを売る屋台形式の店をフリトゥーラと呼んでいる。</p>
<p>屋台といっても家の軒先にプラスティックの椅子を数脚持ち出して、ガラスケースに料理を並べただけの店構えである。夕方に開店するこの店は、夕食を軽くすませる近所の人びとや夕食にありつけなかった男たちに重宝がられており、いつも多くの客がやってくる。しかし、このオヤジの経営は、はたから眺めていても危なっかしい。一晩で1200ペソ（約2500円）くらいがこの屋台の平均の売り上げであるが、ここから彼の苦悩がはじまる。まず、サンと呼ばれる頼母子講の払いに120ペソ。米や鶏肉などの材料費に700ペソ。プロパンガスの充填代が130ペソ。ここまでで、手許には200ペソしか残らない計算になる。</p>
<p><span id="more-2738"></span></p>
<p>普段は深夜0時までねばって店じまいといったところだが、調子のいい日は10時に完売ということもある。そんな日は鼻歌を歌いながら接客をする。早く終れば大好きなラム酒を飲みに行けるからだ。しかし、調子に乗って明日の材料代にまで手をつけてしまうので、飲んだあくる日は、隣近所に借金を申し込むことになる。私にもときどきその役がまわってくるが、200から500ペソ程度を貸して10％の利子をもらう。金額が大きくなると携帯電話やバイクを担保に預かることもある。その日の閉店後か翌日には返済してくるところをみると、このオヤジの経営は完全なる自転車操業である。</p>
<h4>ドミニカ食文化の代表選手</h4>
<p>このオヤジとは近所のよしみで仲良くしているので、毎晩のように彼の隣に腰掛けて何を話すでもなく駄弁っている。その間にも客は入れかわり立ちかわりやってきては、値段の交渉で丁々発止のやりとりをして帰っていく。おもしろいことに、このオヤジが値段交渉に勝つ姿をついぞ見かけたことがない。根っからのいい奴なのだが、それゆえに自転車操業を余儀なくされるのだから複雑である。</p>
<p>この光景を眺めているだけでも飽きないが、毎晩通っていると、客の顔ぶれや来店時間に一定のパターンがあることがわかってきた。開店直後の揚げたてを目当てにやってくるもの、教会帰りに家族連れで立ち寄るものや飲みに行くまえの腹ごしらえに寄るものというように。なかには違う地域に引っ越したが、この店の味つけが好きで通ってくるような人やここで食べていると昔の知り合いと会えるからという理由でやってくる常連もいる。また、このオヤジは妻の兄弟からは代金を受け取らないばかりか、妻の甥たちに食器運びなどの仕事の駄賃代わりに食事をあたえている。かくいう私も隣の家に住んでいるからこの店にきている常連のひとりである。</p>
<h4>食をめぐる人間関係</h4>
<p>フリトゥーラはドミニカの食文化のみならず、社会関係を映しだす鏡であるのではないだろうか。ガラスケースに並ぶメニューからドミニカの家庭料理がわかるだけではない。その経営からはここの人びとの刹那的な金銭感覚が、料理を食べにくる客の顔ぶれからはこのバリオの人間関係が、裏庭の台所で料理を手伝う家族からはその親族関係が浮かびあがってくるからである。フリトゥーラにはドミニカの食をめぐる社会関係が凝縮されているのだ。</p>
<p>最後の客を送り出したのは11時前。ガラスケースを家のなかに運ぶのを手伝っていると「割り勘でラム酒を飲もうや」とのお誘い。さっきから鼻歌がでていたのでなんとなく嫌な予感はしていた。飲みに行くのはかまわないが、とひとりごちる私。やれやれ、明日はいくら貸してと頼みにくることやら。</p>
<p>（つづく）</p>
<hr />
<p><a href="/transborder-players/01-to-dominica/">第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ</a><br />
<a href="/transborder-players/02-extended-family/">第2回 拡大家族</a><br />
<a href="/transborder-players/03-uncertain-promise/">第3回 約束――その不確かなもの</a><br />
<strong>第4回 フリトゥーラ</strong><br />
<a href="/transborder-players/05-daily-life-in-the-field/">第5回 調査地での日々</a><br />
<a href="/transborder-players/06-baseball-immigrants/">第6回 「野球移民」降誕</a></p>
<hr />
<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
]]></content:encoded>
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		<title>第3回 約束――その不確かなもの</title>
		<link>http://www.shimizukobundo.com/transborder-players/03-uncertain-promise/</link>
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		<pubDate>Fri, 04 Sep 2009 10:36:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[野球＋越境する漂流者たち]]></category>
		<category><![CDATA[スポーツ]]></category>
		<category><![CDATA[ドミニカ]]></category>
		<category><![CDATA[フィールドワーク]]></category>
		<category><![CDATA[人類学]]></category>
		<category><![CDATA[移民]]></category>
		<category><![CDATA[窪田暁]]></category>
		<category><![CDATA[野球]]></category>

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		<description><![CDATA[
写真：ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスの青年。神妙な顔つきは何を思う
「今日」と「明日」
約束は破られるためにあるといったのは誰であっただろうか。ドミニカに暮らしているとこの言葉の意味を考えない日はない。調査滞在 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.shimizukobundo.com/wordpress-top/wp-content/uploads/2009/09/pic03-01-420.jpg" alt="pic03-01-420" title="pic03-01-420" width="420" height="281" class="alignnone size-full wp-image-2597" /><br />
写真：ドミニカ共和国バニ市ロス・バランコネスの青年。神妙な顔つきは何を思う</p>
<h4>「今日」と「明日」</h4>
<p>約束は破られるためにあるといったのは誰であっただろうか。ドミニカに暮らしているとこの言葉の意味を考えない日はない。調査滞在中の身ゆえ、週に何度かはインタビューに出向くことになる。事前にアポイントはとっていくのだが、不在で会えないことが多い。あとで電話をすると、急用ができたとか家族が急病になったとかさまざまな答えが返ってくる。そのときには次に会う約束だけをしておとなしくひきさがることにしている。しかし、こんなことが二度、三度と続くとこちらの気持ちもなえてくる。もう調査なんかどうでもいいかと投げやりになる。そんな日には、近所の公園で日陰のベンチに座り、何をするのでもなくぼーっと過ごすことに決めている。絞りたてのオレンジジュースを飲んで気持ちが静まるのをゆっくりと待つのだ。</p>
<p><span id="more-2594"></span></p>
<p>日本では、約束を破るのはあまりいいこととはされていない。「仏の顔も三度まで」ということわざがあるように、一度、二度なら大目にみてもらえるが、度重なれば信用を失ってしまうであろう。しかしこれは、約束をまもることを前提としている社会に限った話である。そうではない社会では、約束がもつ意味とはなんであろうか。</p>
<p>二杯目のオレンジジュースを飲みながらこれまでの約束を振りかえってみた。不思議なことに、果たされなかった約束のほとんどは「明日」以降のものであった。反対に、「今日」の約束はたいていの場合が実行されてきた。このことには、こちらの人びとの「今」という一瞬を大切にする生き方が大きくかかわっているのではないだろうか。約束はその性質上、「未来」と切り離しては存在しえないが、彼らにとって不確かな「未来」のことは大きな意味をもたないのである。それは、私たちが不確かな「未来」を確実なものにするために「今」を生きようとすることと正反対に位置する考え方ともいえよう。明日のことは明日にならなければわからないではないか。そうであるとしたら「明日」以降の約束をすることにあまり意味がないのは当然である。</p>
<h4>メンティーラ・ブランカ（白い嘘）</h4>
<p>約束が果たされなかった理由はもうひとつある。単純に会いたくなかったのである。どういうことかというと、こちらでは頼みごとをされた際にはっきりと断ることはあまりない。とにかくなにかと言葉を並べ立てて遠まわしに伝えるのである。会いたくない人に「明日いくよ」といえば、それはすなわち「会いたくない」というメッセージを相手に送っているのだ。こちらではこのことをメンティーラ・ブランカと呼び、ついてもよい嘘とされている。私がアポイントをとった相手と会えなかったのも行間を読みきれなかったということになる。「今」という一瞬を大切にするということは、「今」目のまえで話している相手を喜ばすことでもある。メンティーラ・ブランカははっきりと断って相手を落胆させないための礼儀作法とも理解することができる。</p>
<p>どのくらいベンチに腰掛けていただろう。紙コップの底では氷が溶けはじめている。約束が果たされなかった理由もすっきりとしてきたように思えてきた。そろそろ家に帰ろうと腰をあげたとき、モトコンチョに支払う小銭が足りないことに気がついた。紙幣をだすとお釣りがないといってぼられてしまうから、あるだけの小銭を払って、「大きい紙幣しか持っていない」といって我慢してもらおう。きっと運転手も「メンティーラ・ブランカだな」と行間を読んで許してくれるにちがいない。</p>
<p>（つづく）</p>
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<p><a href="/transborder-players/01-to-dominica/">第1回 漂流のはじまり……ドミニカ共和国へ</a><br />
<a href="/transborder-players/02-extended-family/">第2回 拡大家族</a><br />
<strong>第3回 約束――その不確かなもの</strong><br />
<a href="/transborder-players/04-fritura/">第4回 フリトゥーラ</a><br />
<a href="/transborder-players/05-daily-life-in-the-field/">第5回 調査地での日々</a><br />
<a href="/transborder-players/06-baseball-immigrants/">第6回 「野球移民」降誕</a></p>
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<p><h3>著者紹介</h3>
<div class="author-profile">
	<p><a href="/image/portrait-kubota-640.jpg"><img src="/image/portrait-kubota-240.jpg" alt="窪田　暁 （くぼた・さとる）" /></a></p>
	<p><strong>窪田　暁 （くぼた・さとる）</strong></p>
	<p>1976年生まれ。私立大学にて事務職員として勤務しながら、<a href="http://www.narapu.ac.jp/" target="_blank">奈良県立大学</a>商学部、<a href="http://www.kobe-u.ac.jp/" target="_blank">神戸大学</a>大学院総合人間科学研究科を卒業。</p>
	<p>現在、<a href="http://www.soken.ac.jp/" target="_blank">総合研究大学院大学</a><a href="http://www.soken.ac.jp/rcourse/bunka/" target="_blank">文化科学研究科</a>（<a href="http://www.minpaku.ac.jp/" target="_blank">国立民族学博物館</a>）に在籍。ドミニカ共和国からアメリカに渡る野球選手を「野球移民」と定義し、彼らの移動経験とスポーツを介した国際移動の実態を現地調査によってあきらかにすべく研究中。</p>
</div>
</p>
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